日米関係

2009/01/16

日本、米国それぞれの選択と可能性(4)

集団的自衛権について

参照:文藝春秋「日本よ、オバマを恐れるな」谷内正太郎(前外務次官)・手嶋龍一

谷内 アメリカの政治学者の言葉を借りれば、日本はまさに「巻き込まれる恐怖」と「見棄てられる恐怖」にさらされているわけです。(略)
この二つの不安定要因のバランスの上に、日米同盟があるのは不健全です。これを中長期的に、対等性と双務性を高めていく努力をしてこそ、日本の国力に見合った健全な同盟関係になっていくのです。

安倍首相と谷内外務次官には大きな期待を寄せていたものだ。安倍首相は日本版NCS構想を具体化し「憲法改正を政治スケジュールに乗せるためリーダーシップを発揮するときがやってきた」として、総理直轄の安全保障会議を創設した。集団的自衛権も検討課題として議論を詰めていたが、今は解散させられている。

谷内氏は、日本には「最後の最後はアメリカが面倒を見てくれるだろう」という依存心と、「日本が独自の政策を実行しようとしても、要はアメリカの言いなりじゃないか、と疑ってしまう」被害者心理があるという。なるほど親米には依存心が強く、反米には被害者心理が潜んでいるようだ。

谷内氏は、政府代表として麻生首相の外交アドバイザーを務めることになった。詳しくはこちらのエントリーにて。

反米・親米問わず保守層は「集団的自衛権の見直し」は当然のこととしている。「反米気質」の自存自衛を是とする保守層にあっても「集団的自衛権の行使」はなんだか武士道の延長みたいな話になっている。もちろん皆集団的自衛権のなんたるかを知ってのことだとは思うが、米国からの自立を目指すなら、日米同盟を見直して、「個別的自衛権」で一国単独主義を貫けばいい。すなわち「米国が主導する戦争には一切関わらない」、「敵が侵略してきたら自衛戦争をする」のほうがすっきりしない?日本の病巣を見ることなく、このまま集団的自衛権行使を可能にしたら、理念とは逆の結果になるよ、ということを皮肉を込めて言いたい。

私は日米は対等な関係と考えている。その上で日米安全保障条約は堅持すべきと思う。対等な関係である以上、双務性を負う。ゆえに「集団的自衛権」もまた“重い覚悟で”行使可能とするという結論になる。米国の庇護から卒業するどころかより重い責務を負うのである。その前に憲法9条を改正し、自衛隊を明確に「軍隊」と位置付けるのは当然のことである。

小野次郎氏のエントリーから考えてみてほしい。
アフガンでの戦いはイラクより激しく長いものになるだろう。ソマリアの海賊との戦いもある。日本の覚悟が問われている。

小野次郎議員のブログより

分かっちゃいないね、「集団的自衛権」

テレビで、ビートたけしらのタレント、評論家と各政党所属の国会議員が田母神前空幕長をゲストに迎えて、集団的自衛権と憲法改正の要否について激しく言い合っている姿を見た。テーマがテーマだから、参加者によって基本的な立場が異なるのは分かる。しかし,極端な設例を挙げて集団的自衛権の必要性を自明の理のように説くのは見逃せない。

個別的であれ、集団的であれ、「自衛権」とは国家レベルでの戦争開始の正当性に関する議論。集団的自衛権の典型的なケースは、同盟国が地球上のどこかで侵略を受けた場合に、我が国にとって何ら脅威になっていなくても、その侵略を自国に対する侵害と見なして戦争を開始すること。このケースを挙げれば、多くの日本国民は集団的自衛権に対して慎重な考え方になるだろう。

現場で、傍らの同盟国軍に対する攻撃に対して、我が自衛隊が武器を使用して反撃できるかどうかは、あくまで、個人における「正当防衛」「緊急避難」と同じレベルの議論。この場合、今そこにある共同の脅威、危険を取り除くために、正当防衛的に反撃することは可能である。それと、集団的自衛権の発動によってこの侵略勢力に対して国家として戦争を開始することとは次元が異なる。戦争がひとたび開始されてしまえば、目の前で攻撃や侵略が行われているかどうかに関わらず、武器使用は、国の上層部からの命令の執行によって行われる。

現在の安保条約においてもアメリカ側は、日本に対する侵略から我が国を守る義務を負っている。問題は、我が国にとって一方的に有利な規定になっている点。今、「集団的自衛権」の議論を好む向きは、アメリカ側にとって不利な現在の安保条約を「公平な?」双務的規定振りに改めようとしている。しかし、強国の軍事力に依存して自国の安全を確保する国にとって、集団的自衛権は、「権利」というより見返りの「義務」というべきもの。戦争に巻き込まれやすい国との間で集団的自衛権の約定を結べば、リスクも格段に拡大することを覚悟しなければならない。

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2009/01/15

日本、米国それぞれの選択と可能性(3)

米国人も日本人も等しく是は是、非は非として歴史に学んでいけば、日米の保守層が再生の鍵とする「倫理観」を取り戻す方向に向かって行くだろう。なぜなら国家存立の原点となる「価値基準」は色あせない。日本の天皇の権威や祭祀の重要性、道徳の模範といったことが注目されるようになったのは、ひとえに日本人の「価値基準」を取り戻そうという、一つの「目覚め」なのだろうと思っている。

米国の資本主義とは、本来、天職を得て資本を蓄積し、自らの生活は質素・倹約し、社会に還元するものという価値観があった。プロテスタントが原点なので、寄付による社会貢献が評価されるのである。寄付文化が根っこにあるので、国家統制を嫌い、コミュニティによる「小さな政府」を志向してきた。
アダム・スミスの「神の見えざる手」が市場を導くというのはきわめて象徴的で、アダム・スミスは「道徳感情論」の中で、個人の利益追求行動が正義感覚によって制御されなければならないとし、市場は自由で公正なものである限り「互恵の場」となると考えているのである。いわゆる良心が働く場であってこそ「神が導く」と言える。

参照:フォーサイト1月号「世界経済が揺らぐ今こそ読むべきアダム・スミスの『もう一つの遺産』」堂目卓生氏

スミスは「賢人」は胸中の公平な観察者の評価を重要視するが、「弱い人」は世間の評価を気にすると考える。

人は誰しも賢明さと弱い部分を併せ持っているが、「賢明さ」には正義を守り、社会秩序をもたらす役割が、「弱さ」には野心も含まれるが、勤勉・節約・創意工夫などを通じて社会の繁栄に貢献するとスミスは言う。
わかりにくいが、人は社会との関わりの中で、利益追求もまた「道徳感情」によって制禦されていると見ているのである。コンプライアンスのルール化も「道徳感情による制禦」の表れであろうし、高額所得者が寄付によって社会に還元することを歓迎することも道徳に基づくものだし、神の裁きとはすなわち法の裁きととらえることも同様なのだと思う。自然法(natural law)を人間に内在する神智の顕現であるとするキリスト教の見方は、lawとは神とイコールなのである。

原丈人氏は、「公益資本主義」と呼ぶ。まさしく私が目指してほしい方向性と一致している。ただ人間の道徳感情に期待するのではなく、罰則規定も強化する必要がある。これからは「やり得」はなるべく許さないようにしたい。

資本主義か社会主義かの短絡的な議論はやめよう。社会主義の行き着く先は学習してきたはずではないか。ヒエラルキー型格差社会の顕現と政治の腐敗、経済の停滞、既得権益の肥大化を招く。社民主義ならいいのか?社会主義的政策はいつの時代も必要だが、社会主義政策に頼るとやはり停滞を招く。革新知事が誕生すると、公務員天国となって財政逼迫を来す例がままあった。

今後の方向性としては、資本主義の中に「自由・公正」な道徳感情による法秩序を再構築し、弱者を見棄てておけない正義・共感の部分によってセーフティネットを充実させる。金持ちから70%にも及ぶ累進課税の愚は繰り返さず、余裕のある分は自発的な「ふるさと納税」でもいいし、発展してもらいたい分野への寄付を喚起していく。

消費税分は全額「社会保障費に充てる」なんていう政治家にはもう騙されるな。彼らは増税分の新たな利権を作るだけだ。増税は極力抑えて、渡辺喜美氏や中川秀直氏や髙橋洋一氏が提言しているような「社会保障個人勘定」といったわかりやすく効率的な制度設計をし直すほうが先である。「社会保障と税の統合化」という世界的な流れから出てきた制度である。2001年から検討されていたが、年金不正を隠し続ける厚労省によって無視されてきた!

(4)に続く

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2009/01/14

日本、米国それぞれの選択と可能性(2)

米国の民主党リベラル勢力は、金融工学を駆使した「強欲資本主義」とブッシュ政権の経済政策を批判したが、強欲かどうかはともかく何事もやり過ぎは破綻を招く。金融への監督・監視を怠ったが故に「やり過ぎ」「行き過ぎ」を見逃し、グリーンスパンは「間違った」と述べた。「神の見えざる手」を信じていたわけではないだろうが・・・。かといって、○か×か二者択一で「資本主義」か「社会主義」かを選ぶのは近視眼に過ぎる。日本では情緒論が横行しているので、今や社民主義なるものが大手を振っている。そんなものは、「あの山を越えるときっとお花畑が広がっているに違いない」という幻想にしかすぎないのである。山を越えれば、いつか来た道、それも失敗して懲りたはずの歴史の再現が待っている。

公務員改革は「改革の負の遺産」くらいにしか思っておらず、また田母神論文を無条件に持ち上げるような「日本無謬性」に陥っている右派の人達は気をつけたほうがいい。左側の「すわ軍部クーデターの萌芽か!」「文民統制の危機」という論調もお門違い。テレビの討論会を見ていたら、いまだに「文民統制」を「文官統制」と誤解しているまま議論していて驚いてしまった。まずは、戦前の統帥権干犯問題あたりから徹底的に議論してくれ。

昭和天皇の「日米開戦回避」の意向を受けて、政治家達が英米と外交努力したにもかかわらず、結果として東条英機首相が陸相・参謀総長まで兼務し、議会は軍部官僚を抑えられなかった。(海軍・陸軍の対立もあった) 

天皇のご意向を汲んだ東条英機もジレンマの中で気の毒なことだった・・・と、あの時代を振り返れば辛い思いしか出てこない。昭和天皇の心の内はどんなに引き裂かれる思いだったか。その経緯から推察しながら卜部日記や冨田メモを再度読むと、「それが私の心だ」の部分について、保守右派とはまた別の感想を抱く。

要は、天皇陛下のご意向までねじ曲げるような国家ガバナンスの欠陥があったということ。

官僚が政治家に転身し、政治の場から霞ヶ関の“ご意向”に沿った動きをすることは、歴史を反省したと言えるのか?GHQ占領時代も“官僚組織”だけは壊せなかった。看板だけ付け替えて責任逃れをしてきたのは、あの当時からの得意技だったのである。

地方の首長の6割が官庁出身とはどういうことか。世襲も官僚も国益に立つ人材なら問題ない。しかし、官庁出身の首長や国会議員が、えてして官僚的思考の枠を超えられないでいることにもっと注意を払ったほうがよいのではないか。今までの官僚的運用からの発想の転換が難しいのである。

参照:文藝春秋「暴れん坊知事、官と戦う」橋下徹氏・堺屋太一氏

堺屋 日本の高級公務員の汚職は世界的に見て少ない方だから、「倫理の腐敗」はない。しかし省益中心の発想を疑わない「倫理の頽廃」が甚だしい。腐敗は、悪いと知りながら私利私欲に働くこと。頽廃というのは何が正しいか、何が悪いかわからなくなること。この方が重い問題です。

(3)に続く

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2009/01/13

日本、米国それぞれの選択と可能性(1)

思いつくまま日米関係とそれぞれの選択について書いてみた。
一気に書いてはみたが、すご~く長くなったので、小分けして四夜連続でupする。

「日本は米国従属型を見直せ」、「自衛自存の精神を持て」ということを右側のほうから語られているが、経済も安全保障もごっちゃになっている。時として、被害妄想から誇大妄想に陥っているんじゃないか?と思われるような幼稚な論がある。

反中嫌韓感情から、反論として第二次世界大戦から日米開戦までを美化するネットウヨクも多い。ウヨクもサヨクも陰謀論に嵌りやすい点において、似たようなものだ。「米国は日本搾取の反日国家だ」がベースになった「反米気質」が日本中に蔓延している。

「アメリカ」を擬人化して「アイツがやることなすことが気にくわない」と感情的になり、左傾メディアが「そうです、アメリカこそ日本をいじめるジャイアンなのです」と吹き込んで責任転嫁することによって、今そこにある危機から目を逸らすことに成功する。反日を煽って政府から目をそらす中共のやり口と一緒。そんなメディアの論調に思考停止したウヨサヨは、「小泉改革は米国追従」と結論づけて安心してしまう。責任転嫁していることに気づかないまま日本の歴史認識美化運動に熱中し、改善すべき病巣の発見を遅らせているのである。

誰が、どんな組織が、どのような思想をもって誘導しているのかを鳥の目・虫の目で見ていかなければならない。

私も現政権を指して「アメリカは」とよく表現する。その場合、アメリカの誰が、どんな背景で動いているのかをまず調べるべし。
たとえばイラク開戦時、パウエル氏やアーミテージ氏が“冷蔵庫の中に閉じこめられている”状態で、ネオコン主導でイラク開戦に走った。パウエル氏が国連で開戦理由を説明していた時、私は本気でパウエル氏に同情したものだ。

私は「ネオコンは嫌い」と書いた。しかし、北朝鮮にも一貫して強硬路線を取るだろうと期待して支持してきた。しかし、ネオコンが限界を露呈して失脚した時、米政権はダブルどころかトリプルスタンダードで目くらましをかけてきた。民主党のヒル国務次官補が己の野心ゆえに対北交渉で独断に走り、調整型のライス長官を丸め込んでしまったように見える。そのような背景を一つ一つ検証せずに「アメリカは日本を裏切った」とは簡単には言えない。ブッシュが親日でオバマが反日とも言えない。逆もしかり。あるのは国益versus国益だけである。

ブッシュ大統領の任期中、ネオコン寄りの覇権・単独行動主義が顕著になり、金融立国にあぐらをかいてきた結果、未曾有の金融危機に見舞われた。今後、オバマ政権では「保護主義」台頭が懸念されている。オバマ大統領は、それなりに国際協調の姿勢でうまくやるとは思うが、もっと長いスパンで、米国はいずれモンロー主義に帰るのでは?と私はずっと考えてきた。(米国の凋落、世界の多極化が前提になるかもしれない)

モンロー主義的なるものへの回帰の根拠は、大量生産・大量消費型から価値観重視の社会に転換を余儀なくされ、アメリカの空気が内向きにならざるを得ないと思うからである。堺屋太一氏は「知価社会」と表現している。そして古き良き時代の建国精神に緩やかに揺り戻されていくような気がしている。日本に置き換えてみると、お江戸にノスタルジーを感じる保守層のように。「アメリカは市場原理主義」とアメリカを擬人化してレッテル貼りをする典型的「反米気質」の「日本の品格」を語る人々は、「武士道精神」を日本人の理想型と喧伝している。自称「サムライ」の政治家もいる。武士道精神?誰に忠誠を誓うのかしらね。ラストサムライは新しい時代に参画できず、華々しく散ったわけだけれど・・・。

アメリカは多民族国家ではあるが、「一つのアメリカ」の元に同化するのではなく、互いの文化を尊重しながら民族の棲み分けはもっと進むだろう。フランスが行ったような無理な同化政策は弊害が大きい。米国人の祖先が移民だったのだから、一つの旗の下に機会の平等化を進めるべきである。マイノリティ救済の応急的社会政策より教育の格差是正のほうが根本的な解決になる。父親がケニア人のオバマ大統領誕生は、アメリカの多民族の宥和を象徴する出来事だったと私は信じている。(期待を込めて)

(2)に続く

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円より子ってどーしよーもない民主党のオバカさんじゃん。そんなのと比べて麻生さんはすごいって・・・かんべんしてよ。

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