道州制

2008/12/18

道州制議論は地方分権ビジョンの共有が先決

「地域活性学会」20日発足=人材育成など実践も-22大学

 各地の地域活性化の取り組みを支援するため、法政、早稲田など全国22大学の研究者らが中心となった「地域活性学会」が20日、設立される。研究だけでなく、地域おこしの人材を育成したり活性化策に悩む地域を手助けしたりするなど、「行動する学会」を目指す。同日、法政大(東京都千代田区)で設立総会を開く。
 学会は、「実践的な政策提言、地域活性化の取り組み支援につながる活動を目指す」(設立趣意書)とし、具体的な活動として(1)行政や地域の経済界などの間に入り、地域活性化策をコーディネートできる人材の育成(2)各地の成功事例から地域活性化の理論や方法論を導き出す研究(3)研究成果の地域への還元(4)国内外の研究ネットワークの構築-を挙げている。 
 複数の分科会を設けて研究発表会を行うほか、政府への政策提言も行う方針。学会と連携した特定非営利活動法人(NPO法人)を設立し、地域の活性化を実際に手伝うことも検討している。(了)
22大学は、小樽商科、室蘭工業、東北、秋田県立、山形、高崎経済、独協、千葉、法政、早稲田、東洋、北陸先端科学技術大学院、信州、滋賀県立、大阪、神戸、甲南、和歌山、島根、岡山、高知工科、立命館アジア太平洋
(2008/12/17-14:59)

地方分権ビジョンでは、地域活性化の一環として「地域に貢献する人材」育成が急務なので、このような実践的なニュースを聞くと地方分権のプロセスが着々と進んでいるようで、大変嬉しい。
増田総務相が麻生政権で下ろされてしまったので、強い発信力が失われてしまった。

しかし、試みは止まってはいない。不況で失業率が深刻化の一途を辿る中、地方に分散して雇用創出する施策は、ピンチをチャンスに変える一助となるかもしれない。

福田政権下で行われていた動き

時事ドットコムより引用(リンク切れ)

2008/02/06-21:24 中間報告へ詰めの議論=道州制懇

 政府の「道州制ビジョン懇談会」(座長・江口克彦PHP総合研究所社長)は、3月末までにまとめる中間報告策定に向けて6日、詰めの議論を始めた。同日の会合では、国と道州、基礎的自治体の役割分担や道州の税財政制度についての考え方を盛り込んだ座長私案をたたき台に意見交換。多くの論点で意見集約ができなかったため、次回会合でさらに議論する。

2008/03/17-17:48 地方の国家公務員、5割弱減=道州制の導入前提で-経団連試算

 日本経団連は、17日発表した道州制導入に向けた第2次提言の中間取りまとめの中で、現在、約21万6000人いる地方勤務の国家公務員は、道州制導入を前提にした場合、現状より44%減の約12万1000人にまで人員圧縮が可能とする試算結果を明らかにした。
 現在、地方にある国の出先機関に勤務している国家公務員は、2006年6月の「国の行政機関の定員純減について」の閣議決定に基づき、10年度末までに2万7000人弱削減される予定。

008/03/24-18:30 10年後の道州制導入目指す=基本法制定を-政府懇中間報告

 政府の道州制ビジョン懇談会(座長・江口克彦PHP総合研究所社長)は24日、おおむね10年後の2018年までに道州制に完全移行すべきだとした中間報告をまとめ、増田寛也道州制担当相(総務相)に提出した。国と道州、基礎自治体のそれぞれの役割などを定めた道州制基本法案を11年の通常国会に提出する必要性も訴えている。
 ただ、道州の数や区割りの案は示しておらず、懇談会は、中間報告後に新たに専門委員会を設けて区割りの基本方針を検討。2年後にまとめる最終報告に盛り込む。

道州制の数や区割りについて、気をつけなければならないのは、一例として公務員制度改革の運用段階で、人事局の器だけを急ぐ官僚側の動きがあった。拙速に枠にはめようとするのは、「器の形骸化」を図る目的以外なにものでもない。
当初はバリバリの改革派と期待された松田前総務次官であったが、いまや総務省のご意向どおりに動く「偽装改革派」となってしまった。かつて橋本龍太郎首相が行った「省庁再編」は、器を変えて中身の盛りつけを変えただけの典型的な形骸化の例だった。

道州制にしても、まず「器ありき」では話にならない。

地域活性化のビジョンがあって、行政の手が行き届く単位としての基礎自治体をどうするかというところから、自然に大枠が見えてくるはずだ。行政の非効率、無駄、二重行政温存の中央集権体制を改革することが構造改革の本丸である。

雑誌などで識者が「構造改革が経済をよくするなんてインチキ」「構造改革イコール市場原理主義」のように言っているが、そのような論こそインチキである。

構造改革とは人間で言えばメタボ体型から体脂肪率を絞るようなもので、一時は苦しみが伴う。体質改善した後にその人の経済活動にも効能が及んでくるものである。今は「さあ、これから痩せる努力をしましょうね。お腹が空くのは我慢しましょう」という段階なのである。構造改革はまだ緒に就いたばかりなのである。ダイエット中には元気が無くなって抵抗力が落ちてしまう場合もあり得る。それを乗り越えてはじめて動きやすく美しい体を取り戻すのである。

構造改革とはカネ(エネルギー)が回る特効薬ではない。太りやすい行政機構は、常にエネルギーの過剰摂取に気をつけるべく努力し続けなければならないのである。

このあたり、わかってくれないかなぁ・・・と、構造改革を応援する私としては、誤った認識が流布されていることを嘆くものである。

麻生首相の道州制論は、各地方を経営体として見立てて「経営努力」に力点が置かれているが、二重行政などの問題に切り込んではいない。というか無視している。中央集権体制を維持したまま交付税を増やしても「経営体」にはならないのである。麻生氏の提言は、政策の素人が「こうなったらいいな~」というレベルの構想である。

余談だが、「したがって」「だから」「基本的に」を多用する人は、自分の論理の脆弱性を補うため、飛躍部分にあえて「したがって」と入れ、論理的であるかのように装う傾向がある。昔「口癖から性格を分析する」みたいな本で読んだ。麻生さんのぶら下がりインタビューでの感じの悪さは、「強弁」に聞こえてしまうんだよね。

麻生首相の道州制論はあまり役には立たない。

髙橋洋一氏は地方分権の「負の面」も研究課題として取り上げている。非常に興味深かったので、また機会を改めて。

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政局絡みのネタのほうが面白かったので、構造改革について手が回らない。書きたいことはメモしてあるが、まとめるのが追いつかない。時間的に大変だから一日一回少しずつ翌日の分として更新予約しよ。語草のほうは「お遊び」用だからあまりエネルギー投入したくないしなぁ、、なんて「好きにすれば?」だよね。

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2008/06/04

道州制は米国ネオコンの産物なのか

山本峯章氏(政治評論家)は、ブログの中で

 小和田家は、雅子妃の父親、恆が、大鳳会(外務省の創価学会集団)と関係が深く、宮内庁からの情報によると、雅子妃の妹夫婦は、正式な学会員である。

と書いていて、ジャーナリストの間では周知の事実なのかな?と疑問符を付けながらも、●雅子妃は離婚して民間人に戻るべきは面白く読ませてもらった。「保守主義」についても賛同するところは多い。

ただ政治・経済に関しては、改革を支持する私のほうが異端に属しているようで、「保守」を標榜する人達とは意見が合わない。保守の中でも右派は、道州制にも反対の声が多いようである。しかし、保守右派でも郵政民営化を支持した人がいたように、地域再生によって強い日本を作ろうとする麻生太郎氏などは道州制の提言をしている。山本氏は、郵政民営化を「米国追従」と反対したかつての造反組と同じスタンスのようなので、山本氏の評論を借りて反論させてもらう。

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(24)

 主権をもった道州制の導入は、国家の大改造である。当然、憲法も変えなければならないが、国家主権が分裂して、国民統合の象徴としての天皇の地位がゆらぐと、国体にも影響がおよび、革命にひとしい衝撃的な変化となる。

天皇、皇室に関しては、合理・不合理で考えるものではなく、伝統の核として神秘性を残すが故に日本人の精神的支柱になりうると私は思っている。しかし、道州制を論じる時に、なぜ国体に影響が出ると断ずるのか理解できない。行政サービスの問題である。

伝統文化を守るのは、逆に地域の裁量があってこそ叶う。地域の事情おかまいなしに中央のルールで縛られることに地方行政の長は悩んできたはずである。地域一つ一つが弱肉のままでは過疎化が進むだけなので、大都市を含む道州制の枠組みを作る。人間にたとえれば、餓死寸前の者に伝統だの精神性だの関係あるものか。

たしかに道州制は廃藩置県ほどの改革であろうが、地方分権に関する憲法規定が脆弱であることが地方行政にとって阻害要因となっているのは事実である。地方再生のために憲法改正が必要になるのは当然の帰結である。

“保守”はことさらに「日本が日本でなくなる」と中央集権に固執するようだが、中央集権自体は日本古来のシステムではない。戦時体制が最も効率良く機能する体制として補強された官僚制度である。富国強兵から今に至るまで、戦時体制は続いたままなのである。

今こそ江戸時代の地方分権に見習うことが多いのではないか。第8代将軍徳川吉宗が質素倹約の道徳観で治めていた頃、尾張藩藩主徳川宗春は、大々的な規制緩和をした。享楽的な文化も推奨したし、ケチケチ政策を採らなかった結果、名古屋は繁栄した。その後、吉宗を批判した宗春は墓石に金網をかけられるという仕打ちを受けてしまったわけだが。

道州制にすれば必ず「国家が衰弱する」という道州制反対論は、まったくおかしい。
保守の情緒的論理を突き詰めていくと、性善説に則った社会主義となる。自由競争を否定し、自国民に同じものを同じように分配する日本国内完結主義の社会主義体制である。政治システムは、中央集権で統制しながら地方も中央の論理で支配し続けようとする。思考が尊皇攘夷だから、鎖国的にならざるを得ない。移民はとんでもないと嫌悪感をあらわにするのもお約束。国際社会が一つの市場を構築する現代において、どちらが日本を衰弱に向かわせるのだろうか。

 というのは、道州制は、すべての価値をカネに換算する新自由主義と、左翼色の濃いアメリカ新保守主義(ネオコン)の産物で、小泉内閣からはじまった構造改革のしめくくりが、この道州制導入だからである。

結局改革の行く手を阻害するのは左翼ではなく、保守なのか。郵政民営化の時のアメリカ悪玉論から思考停止しているように感じる。財政投融資政策は、放置しておけばものすごい負担が国民にのしかかってくることを、どうして論理的に保守派は分析しないのだろうと絶望していたものだ。

他にきょう読んだ中で、以下の段落が印象に残った。
小島 明のWebコラム――経済犯罪へのインセンティブ(2008/05/23)

 「グローバルスタンダードは結局、米国標準ではないか」として、グローバル標準に反対する向きも少なくない。だが、経済犯罪に対する処罰がグローバルな基準、あるいは大勢より軽いと、日本は外国人の犯罪プロの稼ぎ場となってしまう。

「グローバル」という言葉がマイナスイメージで語られているが、その前提としてのルールの整備・監視システム・罰則はまだ不十分である。各国の政府系ファンドの問題もそうだが、一つの市場ではルールの厳正化が課題となる。

経済犯罪に対して日本は甘い。なぜか。権力機構が肥大化すればするほど責任の所在が曖昧になり、利害関係は監視の目から逃れて不透明になってくるのである。法の抜け道という手段が犯罪の隠れ蓑になっている。権力・行政側のさじ加減一つ、という事柄を嫌と言うほど見てきたではないか。

福田首相が食糧サミットで、穀物相場の過熱した投機を監視する体制を作ると演説していたが、具体策はともかく、グローバルな対応が今後はもっと必要になってくるだろう。

つまるところ“保守”というのは情緒的な思い込みによる排他主義なのではないかと、道州制反対論を読むと感じてしまう。拝金主義の反対は中央集権てことか。日本は日本として地方を強くすることが、中央集権の弊害を克服する道なのである。

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大前氏が中国の連邦制を提案していた。SAPIOは翻訳されて中国政府関係者も読んでいるらしい。中国の連邦制よりは現実性があるので、日本政府はぜひ道州制の国民へのプレゼンテーションを上手にやってほしい。

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