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2009/05/15

経済政策は「ケインジアンか新古典派か」の二元論ではない(伊藤元重教授)

月刊誌のVoiceでは、さすがに「市場原理主義」という意味不明の言葉は出てこない。そのかわり「新古典派vs.ケインジアン」という対立軸が出てくる。「小さな政府」「大きな政府」と分けられることもある。

週刊誌並みの根拠の薄い不安を煽っているなあと思う論者も、いるにはいるけれど。あなたはクーさん?というようなケインズもビックリの意見もあったりする。竹中氏に言わせると、そういう人はケインズ理論の大いなる誤解だそうだ。

Voice六月号の巻頭言・伊藤元重教授に賛同する。

日本でも、新自由主義が見直され、社会民主主義を標榜する議論が盛んだ。しかし、「ケインジアンか新古典派か」あるいは「新自由主義か社会民主主義か」という二元論では、歴史は繰り返すばかりである。

伊藤教授は、そのような二元論は非生産的であるとし、新しい時代の政策観を確立していく必要があると結んでいる。

ケインジアンがこのところ声を大きくしていても、マクロ経済政策の基本的な金融政策を放棄すべきではないし、ミクロの財政出動策も時代に合わせて「応病与薬」していく必要がある。

“主義”とは関係なく、もっとも効果的な政策を臨機応変に対策していくことが「歴史から学ぶ」ということではないだろうか。そこから判断すると、政治家では新古典派寄りの改革派のほうが臨機応変度が高い。

麻生政権の景気対策は、公共投資に偏りがあると思いつつ、埋蔵金掘り起こしあり金融政策あり減税あり雇用対策あり直接給付(桁が足りない)ありで、豪華幕の内弁当みたいだ。

まあ、時代の要請から言えばこんなものでしょうという感じだが、先取り予算を詰め込みすぎて、かなり無駄になりそうなものもある。消費刺激なら直接給付を何十万円単位で渡すほうが手っ取り早い。エコカーや家電に限定する意味がわからない。応急手当の期間が終われば先取り需要が終わり、反動が来てしまう。「今だけ良ければいい」という政権の人気取りに見えてしまう。

結局、需要掘り起こしは民間努力にかかっているのであり、業界への支援というミクロ政策は、補助金頼みの依存体質から抜け出せず、永続的な成長を助けるものではない。今後需要の薄くなる業界の産業転換を政府が阻害してはならない。

今は「エコ」「環境」という錦の御旗がある。温暖化様々ではないか。寒冷化に向かっているデータもあるようだけれど、見ないことにしよう。エコ派生商品は数限りないので、当分しのげるか。渡辺喜美氏が「エコひいき」とオヤジギャグを飛ばしていた。環境特需と中国の公共事業特需(鉄鋼など)がしばらく景気の底上げに貢献するだろう。

Voiceの宮崎哲弥氏・若田部教授・飯田泰之教授の座談会は面白かった。

財政支出の乗数効果は1.1~1.2だという。今回の真水15兆円では、良くてたったの3兆円、GDPに直すと0.7%くらい(飯田泰之教授)。で、カンフル剤が切れる頃に消費税増税だったらお笑いである。政府は何もしないでくれたほうがよかったという結果になってしまう。

飯田教授によると、政府のミクロ経済政策は効かないというのが全経済学者のコンセンサスだという。業界支援が利権絡みという構図は、今ではおかげさまで善良な国民でも知っている。

金融緩和が絶対必要なのは当然なのだが、日銀は長期債の保有高を増やそうとはしない。一昨年から日銀の長期債の保有高は低下している。今年はだいたい月々1兆2000億円ずつ償還されていくので、月々1兆2000億円以上買いオペして初めて金融緩和になる(飯田教授)。

日銀は量的緩和をすると言いながら、実態はしていないということがわかった。

座談会では経済ジャーナリズムのお粗末さを糾弾しているが、「小泉改革は市場原理主義を押し付けたので格差社会になった」と平気で言っているメディアや論者が絶えないのは、お粗末を通り越して害悪である。

雇用対策についてはまた改めて。

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