« 日本、米国それぞれの選択と可能性(2) | トップページ | 日本、米国それぞれの選択と可能性(4) »

2009/01/15

日本、米国それぞれの選択と可能性(3)

米国人も日本人も等しく是は是、非は非として歴史に学んでいけば、日米の保守層が再生の鍵とする「倫理観」を取り戻す方向に向かって行くだろう。なぜなら国家存立の原点となる「価値基準」は色あせない。日本の天皇の権威や祭祀の重要性、道徳の模範といったことが注目されるようになったのは、ひとえに日本人の「価値基準」を取り戻そうという、一つの「目覚め」なのだろうと思っている。

米国の資本主義とは、本来、天職を得て資本を蓄積し、自らの生活は質素・倹約し、社会に還元するものという価値観があった。プロテスタントが原点なので、寄付による社会貢献が評価されるのである。寄付文化が根っこにあるので、国家統制を嫌い、コミュニティによる「小さな政府」を志向してきた。
アダム・スミスの「神の見えざる手」が市場を導くというのはきわめて象徴的で、アダム・スミスは「道徳感情論」の中で、個人の利益追求行動が正義感覚によって制御されなければならないとし、市場は自由で公正なものである限り「互恵の場」となると考えているのである。いわゆる良心が働く場であってこそ「神が導く」と言える。

参照:フォーサイト1月号「世界経済が揺らぐ今こそ読むべきアダム・スミスの『もう一つの遺産』」堂目卓生氏

スミスは「賢人」は胸中の公平な観察者の評価を重要視するが、「弱い人」は世間の評価を気にすると考える。

人は誰しも賢明さと弱い部分を併せ持っているが、「賢明さ」には正義を守り、社会秩序をもたらす役割が、「弱さ」には野心も含まれるが、勤勉・節約・創意工夫などを通じて社会の繁栄に貢献するとスミスは言う。
わかりにくいが、人は社会との関わりの中で、利益追求もまた「道徳感情」によって制禦されていると見ているのである。コンプライアンスのルール化も「道徳感情による制禦」の表れであろうし、高額所得者が寄付によって社会に還元することを歓迎することも道徳に基づくものだし、神の裁きとはすなわち法の裁きととらえることも同様なのだと思う。自然法(natural law)を人間に内在する神智の顕現であるとするキリスト教の見方は、lawとは神とイコールなのである。

原丈人氏は、「公益資本主義」と呼ぶ。まさしく私が目指してほしい方向性と一致している。ただ人間の道徳感情に期待するのではなく、罰則規定も強化する必要がある。これからは「やり得」はなるべく許さないようにしたい。

資本主義か社会主義かの短絡的な議論はやめよう。社会主義の行き着く先は学習してきたはずではないか。ヒエラルキー型格差社会の顕現と政治の腐敗、経済の停滞、既得権益の肥大化を招く。社民主義ならいいのか?社会主義的政策はいつの時代も必要だが、社会主義政策に頼るとやはり停滞を招く。革新知事が誕生すると、公務員天国となって財政逼迫を来す例がままあった。

今後の方向性としては、資本主義の中に「自由・公正」な道徳感情による法秩序を再構築し、弱者を見棄てておけない正義・共感の部分によってセーフティネットを充実させる。金持ちから70%にも及ぶ累進課税の愚は繰り返さず、余裕のある分は自発的な「ふるさと納税」でもいいし、発展してもらいたい分野への寄付を喚起していく。

消費税分は全額「社会保障費に充てる」なんていう政治家にはもう騙されるな。彼らは増税分の新たな利権を作るだけだ。増税は極力抑えて、渡辺喜美氏や中川秀直氏や髙橋洋一氏が提言しているような「社会保障個人勘定」といったわかりやすく効率的な制度設計をし直すほうが先である。「社会保障と税の統合化」という世界的な流れから出てきた制度である。2001年から検討されていたが、年金不正を隠し続ける厚労省によって無視されてきた!

(4)に続く

◆人気blogランキングへ◆
本文の表示時間は改善されましたか?やっぱり1エントリーをなるべく短くしよう^_^;

◆日々是語草◆
第二ブログです。軽~く気になるニュースなど。

※トラックバックは承認制です。

|

« 日本、米国それぞれの選択と可能性(2) | トップページ | 日本、米国それぞれの選択と可能性(4) »

日米関係」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/108393/43726008

この記事へのトラックバック一覧です: 日本、米国それぞれの選択と可能性(3):

« 日本、米国それぞれの選択と可能性(2) | トップページ | 日本、米国それぞれの選択と可能性(4) »