よしのり氏の「天皇論」。雅子さまが5年ぶりに祭礼
SAPIOで小林よしのり氏渾身の?「天皇論」が始まった。
以前、欄外で「皇太子殿下も雅子妃殿下も そろそろ宿命を受け入れていただけないものかなぁと思います。」と書いていたので、東宮に問題があることは認識しているのかな?と思ったが、
10/8号SAPIOゴーマニズム宣言欄外より
皇室バッシングが流行っている。しかも保守の側から。皇太子殿下・雅子妃殿下は、あんなものに心を煩わせないでください。いざとなれば御守りいたします。天皇制については(わしは面倒だからわざとらしく天皇制度なんて言わない)、いずれきちんと論じた本を描こうと思う。
と書いていたので、もしかして竹田氏と同じく「存在していただくだけでありがたい」と思ってる?(皇室無謬派)、でも、「問題認識」と「存在そのものに崇敬」にどう折り合いを付けるのかしらと楽しみにしていた。
・・・期待はずれ。
雅子妃殿下をどう御守りするのかと思っていたら「雅子さまのために祈っていればよい」だって。
昨今の批判が保守層からどうして起こってきたのか、よしのり氏は事実関係をまったく知らない。一つも知らないようだ。ちょっとでも調べればわかることなのに。問題認識が甘い上に美智子皇后陛下との比較で論じるので、視野が狭くなっている。
最近の雅子妃バッシングは、美智子皇后に比べて、公務への熱心さが雅子妃には見えないことに、保守派の言論人が危機感を持ったことが原因とも言える。
15年前の美智子妃へのバッシングと似たマスコミの商業主義も大いに関係しているとわしは思っている。国民の、なんと愚かで酷薄なことか。
よしのり氏はこう書いているが、原因と結果を取り違えている。
マスコミの商業主義は、世論の空気を読んで「売れそうなこと」を取り上げるのである。特に皇室問題は、相当な覚悟や裏付けがないと批判できるものではない。今は宮内庁が事実に反することについて、マスコミに対して積極的に抗議している。過去においては、どこかの筋から悪意をもって美智子様の悪口や秋篠宮殿下の「ないことないこと」が書かれてきたことも事実である。
東宮問題が美智子様の時と決定的に違うのは、「事実でない報道」によって美智子様がショックを受けたのだが、東宮ご夫妻に関して、「事実を知れば知るほど」世間の人達が疑問を持ちだしたことに起因している。
公務に熱心に取り組まれる美智子皇后と比較して雅子さま批判が起こったのではない。
雅子さまの庶民ですら考えられない行いや「それってどーよ」というあれやこれや・・・。皇室の伝統を無視したワガママがすぎるのではないか等々、事実を上げだしたらキリがない。だいたい美智子皇后と比較したら、かなう人など一人もいないではないか。
保守派の言論人が東宮問題に黙っておれなくなったのは、皇室の存続への危機を感じ取ったからに他ならない。危機の中心にいるのが雅子妃殿下だったわけだ。
こんなときこそ、
国民が皇室のために
祈っていればいいのだ。雅子妃のご病気が
一日も早くピュリファイ
されることを。皇室が守っている
日本の伝統のすごさを
雅子妃が受容してくれる日が
きっと来るだろう。
「祈り」とは何だと思う?
必ず「行動」が伴う。心身は一体のものなのである。
雅子さまをあたたかく見守り、回復を祈り続けた結果、これではまずいと思い始めた国民が声を上げ始めることは当然の帰結だったのである。東宮ご夫妻への失望が燎原の火のごとく広がり、批判の声が外に漏れだした。「ピュリファイ」されるためには、気づいていただくためのなにがしかの批判は甘受していただかなくてはならなかった。皇太子さま、あなたが問題です、気づいて気づいて気づいて!! その声の延長線上に西尾論文が出てきたのだと思う。
そして西尾先生が言ったように「2009年には雅子さまのご病気はけろっと治る」のならありがたいことだ。皇太子殿下が西尾論文を読んでくださった確証を得て、「きっと皇室の安寧を取り戻せる」と希望を持つことができた。
◇
2009年初頭、すごいことが起こった。皇室の弥栄を祈る民草の祈りが通じたに違いない。
昭和天皇の崩御から20年となる7日午前、東京都八王子市にある武蔵野(むさしのの)陵(みささぎ)で「昭和天皇二十年式年祭の儀・山陵の儀」が行われ、天皇、皇后両陛下と皇族方が拝礼された。
元皇族や麻生太郎首相、河野洋平衆院議長ら約80人も参列。モーニングにコート姿の天皇陛下は陵前で拝礼後、「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」という内容の「御告文(おつげぶみ)」を読まれた。
一方、皇室の祖先を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿では「昭和天皇二十年式年祭の儀・皇霊殿の儀」が行われ、両陛下の名代として皇太子ご夫妻が拝礼された。 病気療養中の皇太子妃雅子さまが、心身を清める潔斎を経て、皇室の伝統的な装束に着替えて臨む宮中三殿での儀式に出席されたのは、平成15年9月に行われた「秋季皇霊祭の儀」と「秋季神殿祭の儀」以来。
式年祭は天皇の崩御後、3年、5年、10年など節目の年に行われる。
新婚当初から心身を清める潔斎を嫌っていた方が、5年ぶりに儀式に臨まれたのだ。しかし、祭祀のすべてに参加することは難しかったようだ。
考えさせられる評論があった。
【正論】天皇の20年 立命館大学教授、大阪大学名誉教授 加地伸行
2009.1.6 03:13
(略)
≪皇室は無謬ではない≫昨年、西尾幹二氏に始まり、現在の皇室について論争があった。その詳細は十分には心得ないが、西尾氏は私より1歳年長であり、〈勝ち抜く僕ら少国民〉の心情は同じであろう。皇室への敬意に基づく主張である。
その批判者に二傾向、(1)皇室無謬(むびゅう)派(皇室は常に正しいとするいわゆるウヨク)、(2)皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)がある。
私は皇室の無謬派こそ皇室を誤らせると思っている。
歴代の皇室では皇族の学問初めの教科書に儒教の『孝経(こうきょう)』を選ぶことが圧倒的に多かった。なぜか。
『孝経』は、もちろん孝について、延(ひ)いては忠について教えることが大目的であるが、もう一つ目的があった。
それは臣下の諫言(かんげん)を受け入れることを述べる諫争章を教えることである。
皇室は無謬ではない。諫言を受容してこそ安泰である。そのことを幼少より学問の初めとして『孝経』によって学ばれたのである。諫言-皇室はそれを理解されよ。
一方、皇室のありかたをわれわれ庶民の生活と同じように考え、マイホーム風に論じる派がいる。
だいたいが、皇室の尊厳と比べるならば、ミーハー的に東大卒だのハーバード大卒だのと言ってもそれは吹けば飛ぶようなものである。まして外交などというのは、下々の者のする仕事である。
にもかかわらず、そのようなことを尊重するのが問題の解決となると主張するマイホーム人権派もまた皇室を誤らせる。
≪「無」の世界に生きる≫
折口信夫は、天皇の本質を美事に掴(つか)み出している。すなわち、歴代の御製(ぎょせい)を拝読すると、中身がなにもないと言う。例えば「思ふこと今はなきかな撫子(なでしこ)の花咲くばかり成りぬと思へば」(花山天皇)。
このような和歌は庶民には絶対に作れない。庶民は個性を出そうとするが、天皇は個性を消し去る。それは〈無〉の世界なのである(折口説の出典名を失念、読者諸氏許されよ)。
折口の天才的文学感覚は御製の性格を通じて、〈無〉という天皇の本質を的確に示している。
〈有〉の世界にいるわれわれ庶民は、やれ個性の、やれゼニカネの、やれ自由の人権のなどと事(こと)・物(もの)の雁字搦(がんじがら)めになっている。そして〈有〉のマイホーム生活を至福としている。
皇室は〈無〉の世界に生きる。それを幼少からの教育によって培(つちか)い、マイホーム生活と絶縁するのである。
なお、皇室を神道の大本とするという論は一面的である。皇室は同時に日本仏教と深く関わるからである。京都の泉涌寺(せんにゅうじ)に安置されている歴代天皇の位牌(いはい)は仏教者であることを示す。
皇族は、神道・日本仏教さらには儒教に深く関わり東北アジア諸文化を体現する。日本の核にして〈無〉である以上、可能な限り、皇居奥深くに在(いま)され、やれ国際学会の、やれ国連なんとかの開会式などといった庶民のイベントにはお出ましにならないことである。
陛下御不例(ごふれい)が伝聞される今日、皇太子殿下の責任-〈無〉の世界の自覚が重要である。もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔(いさぎよ)い一つしかない。『孝経』に曰(いわ)く「天子に争臣(そうしん)(諫言者)七人有れば…天下を失わず」と。(かじ のぶゆき)
苦言を呈する側近や雅子さまの気に入らない女官や医師等々をことごとく遠ざけてきたことは聞いていたが、皇太子殿下は宮内庁長官の諫言を受け入れてくださったのだろうか。
私は皇室は常に正しくなくとも皇室であると思うし、マイホーム型であってもかまわないと思う。ただし皇室が時代の価値観に影響されようとも、加地氏が言うところの「無の世界に生きる」ことによって、皇室は国民と一線を画すものである。
祭司長としての心の「祈り」と身体で行う「儀式」が一つになった時、国民とふれあうご公務において、国民は皇室の背後に「ありがたきもの」を見る。
公務の多寡はまったく関係ない。皇室の祈りと民草の祈りが合致した時、皇室はこれからも日本人の神性の象徴として存在し続けることだろう。
【追記】
皇室問題に関心のある方は、こちらもどうぞ。
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