竹島が日本の領土である根拠(補足)
報道2001の竹島領有権問題で、韓国側ゲストの主張として「明治政府も竹島は韓国のものであると認めているんです」というのがありました。「キター!簡単に論破してして!」とワクワクしていたら、誰もな~んにも反論せず素通りしちゃいました。
簡単なのになぁ、「明治政府は当時の竹島つまり鬱陵島(ウルルンド)へは渡航禁止にしましたが、松島(現在の竹島)は日本の漁民達が経済活動拠点として渡航し続け、当時の朝鮮も抗議はしたことはありませんよ。あなたは鬱陵島と当時の竹島を混同していませんか?」
TBいただいたブログから引用させていただきます。
朝鮮日報時事通信ブログ「【社説】北には何も言えず、拉致被害者家族に事実隠す韓国政府」
朝鮮日報のある記事で、韓国では、独島運動家はいても独島研究家はいないというような記事もありました。
私のお気に入り「朝鮮日報」は冷静に見ているようです。しかし、韓国としては歴史的根拠がほしくて、自分の国に都合良く改竄してしまうクセがあることも、日本人は冷静に見ておかなければいけないでしょう。
■明治政府は、なぜ追認してしまったのでしょうか。
竹島が日本の領土である根拠(まとめ)に補足します。
6,ところが、竹島一件の決着があやふやな部分を残しているため、日本側の意識としては「鬱陵島のみならず旧松島を朝鮮にとられた」という未練というか負い目があったのか?それとも「竹島は取られていない」とアピールするつもりだったのか?明治政府は「松島」を「竹島」に名称変更してしまった。こういう姑息なことをするから話がややこしくなってしまったと井沢氏は言う。
この点について、SAPIOに詳しい経緯が説明されていました。さっそくメモしておきます。
■竹島 韓国につけ入るスキを与えた江戸幕府の「致命的なミス」山本皓一氏
「松島」を竹島とした明治政府の詭弁が残した禍根
山本氏による説明:江戸幕府がすでに渡海禁止令を発令したが、朝鮮は「空島政策」により無人島であった。ただしその間、日朝の漁民はひそかに上陸していた。
ところが、会津屋(今津屋)八右衛門は大々的に密航を繰り返し、島の資源で商売を始め、朝鮮本土、中国、台湾、ルソンにまで及んだ。間宮林蔵によって密貿易を摘発され、本人が斬首されたばかりでなく藩主も蟄居させられた。これが「竹島事件」である。この事件が鬱陵島=竹島放棄の決定的な契機となった可能性が高い。
では、松島と呼ばれていた島は、なぜ竹島になってしまったのか。これは1905年、松島の領土編入を閣議決定し、竹島と命名されたのが始まりである。
1881(明治14)年に朝鮮政府は日本に「鬱陵島渡海禁止」を要求した。その2年後の1833(明治16)年、日本政府はこの要求を受け入れて日本人を強制帰国させている。この事実は「竹島=鬱陵島」の主権を放棄し、朝鮮側に委ねたことを意味する(以下、鬱陵島を意味する竹島は「竹島」と表記)。
むろん「竹島」およびその近海での経済活動を阻止された日本漁民たちからは反発があっただろう。そこで、反発をそらせるために、従来の松島を竹島として「日本人(隠岐の漁民)に対する目くらまし」をしたと想像される。だが、この命名が、現在の竹島領有問題に禍根を残すことになるのである。
「独島を明治政府も追認したじゃないか」という韓国側の主張が、簡単に覆ることがおわかりいただけると思います。追認したのは鬱陵島だけです。本来であれば、鬱陵島もまた日本の領土であったと主張してもおかしくありません。韓国も旧松島=竹島であることを資料館などで理解はしているようですが、韓国寄りの小さな岩島「竹嶼」と勘違いしているようです。
韓国側が編纂した資料「東国文献備考」の中に「于山国=鬱陵島」から見える島までが領土という記述があり、独島も鬱陵島から見えると主張しますが、竹嶼は間近に見えても独島はほとんど見えません。たぶん竹嶼のことではないでしょうか。
日本に乗り込んで行って「松島まで鬱陵島の付属の島であることを(管轄していた)鳥取藩に認めさせた」と吹聴した安龍福の大嘘は、韓国人は信じ切っていますが、「それはおかしい、鳥取藩主は当時参勤交代で江戸にいた。認められるはずがない」でひっくり返せるでしょう。
韓国側は独島研究家がいないようで、かなり混乱しているので、一度きちんと日本の歴史学者と膝を交えて歴史的経緯を検証したらどうでしょう。・・・と、日本人なら思うけれど、報道2001に招かれていた韓国の人は「これは韓国人の情緒の問題です」と言っていました。あくまでも「韓日の二国間問題である」と。前にも紹介しましたが、韓国と歴史問題で討論したことのある日本の学者が「資料を出しても、韓国人は資料を見ない。結局『どうして私たちの気持ちをわかってくれないんだ!』ということになって、話し合いにならない」と嘆いていました。
相互理解に努力し、国家間の友好を図りたいと心から思います。しかし、対立点がある時は、互いの民族性を理解しないと事態はよけいややこしくなります。やはり文化の交流、ビジネスや民間団体の積極的な交流を通じて、厚い氷を溶かしていくしかないのでしょうね。対岸のあっちとこっちで罵り合い、石をぶつけ合っていては埒が明きません。
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