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2006/04/25

竹島が日本の領土である根拠(まとめ)

宿題から目をそらしているうちに今回の海底地名を巡る問題が起きてしまい、次の祭り(コラコラ;)が起こる前に「竹島は日本の領土である根拠」をまとめておきます。
資料を読み込み、エッチラオッチラ引用入力して大長文をアップしたところで、たぶん読んでいる途中で飽きると思うので(ホントは自分がメンドクサーなだけ)、はしょって要点のみ列記します。

■日韓の対立点

韓国>1910年に植民地化された時、朝鮮領土の独島も奪われた。植民地政策が終了したので、朝鮮に返すのは当然。
日本>竹島は1905年に島根県に編入された。当時の背景として、日露の海戦のため軍事拠点として竹島が必要であったという日本の事情がある。
韓国>島根県の編入は法的に無効である。
日本>第二次大戦後、アメリカの「竹島は併合以前に朝鮮が管理していた形跡はない。古来より日本が漁場として管理していた」という調査結果に基づき、サンフランシスコ条約により日本の領土として国際法上認められた。(マッカーサーライン)

■韓国側の古代文献による根拠は正当か

韓国>三国史記に「新羅智証王の時、于山国を征服した」と書いてある。512年には朝鮮領土であった。
日本>同文献等には註釈として「于山国」が「鬱陵島」(ウルルンド)であると明記しており、鬱陵島から見える範囲の小島群は付属島と考えられるが、現在の竹島=当時の松島までは含んでいない。参照:韓国による「侵略」
この文献を根拠にした韓国の竹島資料館では、鬱陵島と竹島(日本名は旧松島)の位置関係が間違っている。

■竹島一件について

韓国>1,1692年、安龍福は、旧松島に上陸していた日本の漁民を追い払い、さらに勇敢にも追いかけて行った。徳川幕府に抗議して「竹島は朝鮮領」との書契を得、鳥取藩主にも竹島(鬱陵島)とそれに付属の独島(旧松島)は朝鮮領と認めさせた。教科書にも安龍福は英雄として載っている。
2,これらの経緯は、韓国が編纂した「東国文献備考」を根拠としている。
日本>1,安龍福は、元禄六年に日本側に連行されたというのが本当のところ。徳川幕府が「竹島=鬱陵島は朝鮮領」と認めたことは事実。
2,安龍福の証言が記載されている東国文献備考は、元となる資料・柳馨遠の『輿地志』を韓国側に都合良く改竄したものである。安龍福の証言は信用できない。
参照:Toron Talker「朝鮮地誌の検討」

ところで、安龍福が、徳川幕府に鬱陵島のみならず独島を朝鮮領と認めさせ、明治政府も追認してしまったということは、本当のところはどうなのでしょうか。
韓国側の主張内容は以下のサイトを読むとよくわかります。初めて読んだ時は、かなりショックでしたが、後で論破できることを知って一安心。
「竹島一件」といわれている日朝間の外交交渉(韓国側の主張内容)→参照:[AML 0931] 週刊新潮の竹島=独島記事を批判する

井沢元彦氏「逆説の日本史」によると、第五代将軍綱吉が、いわゆる竹島=鬱陵島を朝鮮領と認めたことは事実です。しかし、この場合、現在の「竹島」まで含んでいるのかどうかが問題です。
綱吉将軍は決して暗愚ではなかったと。「生類あわれみの令」など誤解されているということです。しかし、竹島=鬱陵島を長く日本が単独で管理していたにもかかわらず、竹島一件でなぜ朝鮮に譲歩したかというと、綱吉公の母・桂昌院は「日朝」のハーフでした。綱吉はクォーターということになりますが、朝鮮に大変親近感をもっていたことが原因ではないかと。綱吉が儒教の信奉者であったことも相まって、朝鮮を「先進国」と評価していたと思います。6代将軍家宣に仕え「正徳の治」を進めたのは新井白石ですが、徳川幕府は儒学者を重用しました。

■日本側の主張要点

1,「竹島一件」の竹島とは、鬱陵島のことであり、現在の竹島(旧松島)までは含まない。当時、朝鮮は倭寇(後期はほとんど中国人)に悩まされており、鬱陵島に対して空島政策を実行していたため、実質無人島であった。→なんで綱吉は朝鮮領と認めちゃったのかなぁ。

2,鬱陵島への渡航は、大谷家の申請により徳川幕府が許可した。つまり旧松島どころか鬱陵島まで日本が80年も実効支配していた。→なんだ?鬱陵島も日本のものだったのか(^O^)。

3,しかし、元禄になって、朝鮮の漁民が密漁に励むようになった。その時登場するのが安龍福であり、日本が連行したわけだが、きちんと客としてもてなしている。そして安は朝鮮に帰国して、あることないこと武勇伝のごとく「日本人を追い出して我が領土と認めさせた」とおおぼらを吹く。鬱陵島に属する旧松島までも朝鮮の領土であることを鳥取藩主に確認させたというが、あり得ない。なぜなら鳥取藩主は当時参勤交代で江戸にいた。鬱陵島に付属する旧松島という見解はおかしいということになる。

4,つまり第五代将軍徳川綱吉の時代に、現在の鬱陵島に関して領土問題(竹島一件)が起こり、幕府は鬱陵島については朝鮮政府の主張を認め、朝鮮領として決着した。しかし、そこから日本寄りに91キロも離れている旧松島まで認めたという証拠はない。

5,韓国側が言う付属の島とは、鬱陵島の一部ともいえる三つの小島の一つに「竹嶼(竹島)」があるので、その竹嶼のことを言っているのではないか。あとの二つは観音島と北○岩。(○は読めない(^_^;)。

6,ところが、竹島一件の決着があやふやな部分を残しているため、日本側の意識としては「鬱陵島のみならず旧松島を朝鮮にとられた」という未練というか負い目があったのか?それとも「竹島は取られていない」とアピールするつもりだったのか?明治政府は「松島」を「竹島」に名称変更してしまった。こういう姑息なことをするから話がややこしくなってしまったと井沢氏は言う。

■結論:竹島は日本領土である

このように将軍綱吉の時代に「鬱陵島は朝鮮領と認めるが、松島(現在の竹島)は日本のものである」と確認しておけばよかったのですが、安龍福の大ボラが伝播され、現在の竹島まで鬱陵島の一部とみなされるようになったのは、かえすがえすも後世にツケを残す結果となってしまいました。

竹島一件で鬱陵島は朝鮮領となったものの、その後も松島へは日本漁民は堂々と出漁していました。当時は両国とも「松島は日本領」という意識があったと思われます。朝鮮が空島政策を改め、鬱陵島に人を住まわせるようになったのは、日本から近代化の圧力をかけられ始めた頃であって、現在の竹島までは朝鮮の管轄は及んでいませんでした。

国際法上、無主地は発見者が自国に編入できます。日本側の古文書・大谷家の「竹島渡海由来記 抜書控」によると、江戸時代から豊かな漁場として日本の漁民が行き来しており、竹島一件以後鬱陵島は手放しましたが、竹島についてはその後誰も管理していないことを確認した上で、日本は1905年に島根県に編入したことを発表しました。そのことを韓国側が抗議した記録はありません。

日韓竹島領有権問題は、1952年に韓国が李承晩ラインを一方的に宣言したことを発端としています。
国際法上日本の領土であるにもかかわらず、島根県や鳥取県の漁民達を銃撃し、多数拿捕・拉致し、5名の死者まで出しています。1953年、韓国政府は「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示しているのですが、こんな暴挙が許されてよいものでしょうか。一応日本は抗議は続けているんですけどねぇ・・。

韓国側の出してくる証拠資料というのが、ことごとくいい加減で捏造を含んだものであるという証拠を「東国文献備考」からもっと書いてみたかったんだけど、まぁいいや。参照で紹介したサイトを熟読されてください。

以上、日韓の対立点のおおまかな検証おしまい。

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なぜか、『冬のソナタ』の中国語版を小説とDVDで買ってきて、中国語を勉強している僕です。要は、中国語を勉強するのに、自分の好きになった作品で勉強したいだけでした。そんなちょっぴりマヌケな僕に、もっとマヌケな人々のことを批判させてください。別の思惑があって、竹島問題を騒いでいる人々です。...... [続きを読む]

受信: 2006/05/08 06:00

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