カテゴリー「神社・敬神崇祖」の7件の記事

2016年5月11日 (水)

天橋立 籠神社

籠目唄 後ろの正面 籠神社
証し人(飛鳥昭雄氏)への 宮司(海部光彦氏)の泪

天橋立に鎮座する籠(この)神社と眞奈井神社に参拝してきました。
賑やかな(うるさい)中国人の団体をやり過ごし、心ゆくまで感謝を捧げてきました。

あっ!飛鳥昭雄氏の本でお馴染みの海部宮司が境内を歩いてるっ!と有名人に遭遇した気分でドキドキしました。それだけで満足でしたが、社務所に向かうとなんと宮司様が「きょうは寒いね」などと巫女さんとお話しています。目の前にいるっ・・・つい自然に口が開いてしまいました。
「あ、あまべぐうじさんですか?」「はい、そうです」(少しいぶかしげ)

いっぱいお話しできたんですよ。気さくでお優しい気品のある方で、宮司さんも思いがけず飛鳥氏の名前を参拝者から聞いて、嬉しそうでした。いやもぉ、飛鳥氏の本の付け焼き刃知識で質問攻めにしてしまいました。御祭神のこと、泰氏のことetc.
一番の収獲は、「渡来人の弥生人はどこから来たのでしょう?」とうかがうと、「前漢・後漢」と。籠神社には、その頃からのお宝があるのです。

海部宮司は、「飛鳥さんは2~3年いらしてない」と寂しそうでした。宮司さんは年配だし、1年1年が貴重なんだから、もっと会いに行ってあげればいいのに…と心の中で飛鳥氏に念を飛ばしました(飛ばないよ) 神社の秘密とその価値をわかってくれる飛鳥氏が大好きなんですね。ムー編集長の三上氏も一緒に来たことがあるそうです。
中丸薫さんのことも尋ねると、「突然いらっしゃるんですよ、『今、神社の裏にいるんですけど』と携帯から電話がかかってきます」とニコニコされていました。様子が目に浮かんで笑ってしまいました。

゚・*:.。..。.:*・゚

本伊勢の聖地は籠神社と伊雑宮です。後の物部氏を連れてきた徐福が上陸したのが天橋立です。キリスト以前の古代ユダヤの民が物部氏である一方、原始キリスト教の秦氏にゆかりのあるのが伊勢の伊雑宮(いざわのみや)です。

景行天皇の皇女・倭姫が天照太神の霊を背負って鎮まる地を求め歩き、ついに天照太神が「ふるさとの潮の香りがする」と言われたので、伊勢の地にお祀りしたと言われます。アマテラスとは海(アマ)でもあるのですね。イザワの宮とは預言者イザヤのことであるとも言われています。

籠神社の近くにある眞奈井神社も元々は六芒星のダビデの紋章が刻まれており、伊雑宮にも同じ六芒星がありました。最も重要な聖地をカモフラージュするように、後で外宮・内宮が造られました。

゚・*:.。..。.:*・゚

さて、籠目の唄は、籠神社発祥です。

籠目籠目 ダビデの紋章
籠の中の鳥は(鳥居は) 八咫烏は(聖なる物は)
いついつ出やる
夜明けの晩に 終末の時に
鶴と亀が統べった 伊勢と出雲が一つになる(2013年のご結婚)
後ろの正面 出雲大社の御祭神は西向き。その後ろは…
だぁあれ? 籠神社♪

201605102



日本古代史の謎が解かれる日は近いです。

飛鳥昭雄氏は海部宮司に「私が籠神社のことを証します」と伝えました。その時、宮司の目から ツーーーと一筋の涙が流れたそうです。

もっともっとお話したかったですが、どこかの新聞社の人が「お話の途中ですが…」と入ってこられたので諦めました。

古代日本の真実の一端を公開した籠神社に対し、国家神道の右翼が攻撃してくるそうです。天武天皇以後の正史とされる歴史認識が覆されるのはまずいわけです。私が「いやーあの右翼達は朝鮮系ですよ」と言うと、「そうらしいですね、今では中国系も入っているそうです」と宮司は嘆いていました。

「宮司さん、いつまでもお元気で」「あなたもお元気でね」
きっともう一生会えないんだろうな・・・。
一期一会の出会いでした。

20160510

| | トラックバック (0)

2016年1月13日 (水)

心惹かれる皆神神社

昨年末に思い立って千葉県の成田市に旅行に行ってきました。
目的はもちろん!麻賀多神社と天日津久神社、そしてゆっくり香取神宮と鹿島神宮を参拝し、冬の太平洋を眺めて来る、と。ついでに成田空港で飛行機の離発着を見たい。

国際色豊かなホテルの美味しい料理(これが第一の目的だったりして)を堪能し、食べ過ぎでおなかを壊すこともなく、身も心も洗われる旅でした。心はスッキリでも身は余分な肉が付いただけですが。。。

年が明けて、真っ先にご近所の北野天神社にご挨拶申し上げ、お札をいただきに甲斐駒ヶ岳神社に初詣に行きました。2日には武田八幡神社で甘~~い石焼き芋をいただいて、またまた余分な贅肉が・・・。いいの、お正月明けてからダイエットするから。

悠長に春までにダイエット~と目論んでいた私は、なんと正月明けに強制的に苦しいダイエットをさせられました。ノロ君という恐ろしいウィルスに・・・。どこで感染したかわかりませんが、あれは突然発症するのです。夜 大好きな味噌せんべいを食べていたらいきなりグォーーンと吐き気が。一晩中吐きました。翌日、脱水状態でジュースを飲んだら、トイレに間に合わず ピューーッと噴水のように吐きました。ついでに下からも水がピュー・・・。はい、間に合いませんでした。

あまりに悲惨でそこは思い出したくありません。
まぁ、でもノロは2日も寝ていれば治ります。皆様、お気をつけ下さい。

こんなこと話していると先に進まないので本題にいきます。

*************

1月3日には、主人のリクエストで長野市松代町豊栄にある皆神神社へ。

宮司様が常駐され、本殿には灯明が灯され、地域の氏子さん達に本当に大事にされているなぁと心温まる神社です。

201601134


皆神山は、世界最古のピラミッドとして有名です。古代に飛来したデッカイ宇宙船なんでしょうね。と、さらっと核心を言ってみる。

主祭神は出速雄命(いずはやおのみこと)で、建御名方命(たけみなかたのみこと)と並ぶ諏訪大神(すわだいじん)の御子神です。信濃国を開拓した功労者ですね。ここで言う諏訪大神とは出雲の国譲りで有名な大国主命=大己貴命(おおなむちのみこと)を指します。

とはいえ、神社は御神名には関係なく、そこの土地の精霊様、眷属神様が臨在されておられるそうで、諏訪大明神といえばミシャグジ様(大蛇と言われる)と土地の方々が言われているので、どちらかというと、独立した大物主(おおものぬし)のように思います。三輪明神も三輪山を7巻きすると言われる大蛇様=大物主ですね。大国主命の和魂とされます。

諏訪は古代史から言えば大国主命の系譜である第二出雲王朝と言えるでしょう。
それ以前は、ユダヤ系の渡来人が根付いて生け贄信仰が継承されてきたのかもしれません。諏訪大社は、独特の空気感があります。生け贄のオドロオドロしさから、バール神信仰じゃないの?なんて言われてしまったり。

皆神神社に参るたび、超古代の神々(宇宙人)に思いをはせつつ壮大な歴史ロマンを感じることができます。

エホバ(ヤハウェ)=国常立太神=解き放たれた艮の金神=天之日津久の神様がその昔モーゼに示し、選民のために魔除けとして門に羊の血を塗らせた物が、現代の「蘇民将来」の注連縄ということです。皆神神社には、まさに「蘇民将来」がありました。そして天皇家の秘密を解く菊の御紋賞と古代イスラエルのダビデの紋章もさりげなくそこにあります。そして縄文の雰囲気を色濃く残すその土地の雰囲気、ピラミッドを守る?大蛇=渦を巻くエネルギー体が一体となり、山の頂上にたたずむと、走馬燈のように宇宙の歴史を一瞬で見るような錯覚を覚えます。霊的な英知を集約したような神社です。

出口王仁三郎が霊的に感銘を受け、皆神山の碑に刻んでいます。

地質学上

世界の中心山脈の

十字形せる

珍の神山

天霊の

聖地に些しも

違はざる

尊き神山

皆神の山

  出口王仁三郎

*************

さて、以前はトンデモ話としか思えなかった皆神神社の駐車場に掲げられている看板、そこに書かれていることを今では当たり前に信じています。重力をコントロールするなどエネルギーの秘密の答えがここにあるのだから、日本人にこの物理を解き明かし、大発明をしてもらいたいものです。北極星から飛来したスサノオ神は教えてくれないかなー?いずれにしても天之日津久の神様の啓示によると、2039年には人類の脱皮が完了して、いろんなことが明らかになっていることでしょう。ご縁のある方は、伊勢白山道ブログをお読み下さい。


ということで、看板の内容を記しておしまいにします。


世界最大で最古の皆神山ピラミッド

◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による。)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした(従って現在でも皆神山山塊だけが非常に軽くて負の重力異常塊となっています。)。

◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる<<天の羅摩船(アマノカガミブネ)>>等がこの飛行体です。

謎の皆神山ピラミッド物語

◎皆神山は、古い古墳時代や弥生時代更に遡って縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から約2~3万年前(浅間山、焼岳ができたころ。飯綱・妙高・富士は約九万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました(人口造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意。)。

◎この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした(旧人ネアンデルタール人系)。

◎では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。

皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神

◎超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。

 ○熊野出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)

宇宙船<<天の羅摩船>>等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神

 ○少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)

宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命(オオクニヌシノミコト)の参謀集団

 ○泉津事解男神(ヨモツコトサカオノカミ)

皆神山航行基地をはじめ全宇宙基地を管理した集団

 ○速玉男神(ハヤタマオノカミ)

地球周回軌道の人工衛星(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団

◎このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原(タカマガハラ)として崇め、後世に伝えたものです。

| | トラックバック (0)

2015年6月 3日 (水)

ひとりひとりが神官

全国の神社仏閣に油を撒いていた犯人が特定されました。

ニュースやワイドショーで「日本人医師」とやたら「日本人」を強調するので、はは~ん、、と予想したとおり、日本に帰化した韓国系の男性でした。マスコミはいつになったら他の外国人のように本名で報道するのでしょうか。日本人への逆差別でしょう。

韓国ではキリスト教が盛んではありますが、ローマ法王が「韓国は倫理的に生まれ変わらなければならない」と言われたごとく、なんとなく違います。なんとなく、、の説明はあえてしません。現地で彼らのお祈りを聞いてみるとすぐわかりますよ。日本のネットでは、反日に精を出す韓国系キリスト教を揶揄してウリスト教と呼んでいます。

犯人のキム某は、そのウリスト教の中でも異端で要注意人物でした。

赤いウリスト教は、ウリナラマンセー反日思想の範疇を超えられず、このようなメッセージを発信しています。キリスト教の真髄は赦しの心であるはずなのに・・・。

「地球上に残っている最後の福音の不毛の地、一番宣教しにくい国、800万の神が存在すると言われていてキリスト教の人口が0.5%の国、そして救われることのできる福音を聞けなかった1億2千7百万の失われた霊魂の国、日本!
引用:「赤い十字架。」 おひさまありがとうございます。

ウリストさん達は、「他国の神々を追放する」=「その土地の伝統文化の破壊」を使命として“殉教”することをいとわない。ISISと何も変わりません。正当なキリスト教にしても根っこには多神教への排他・侮蔑があります。
参照:「仏閣損壊は韓国系団体によるテロ行為です」 在日朝鮮人から見た韓国の新聞

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

私は若い頃はクリスチャンへの憧憬がありました。しかしあの独善性、排他性、傲慢な覇権主義、旧約・新約の矛盾などに嫌気がさしました。スウェーデンボルグから始まり、霊界の本や様々な教義に触れる中で、たどり着いた結論は、なんと以前はばかにしていた神道に真理があるということでした。

恐ろしいことに、信者が純真に神と崇めているモノが組織維持霊となり、集団心理に働きかける低級なモノに変質する過程を目撃しました。例外なく!外部から曇りない目で見ればわかります。宗教団体から離れなさい!と強く言いたいです。教祖の背後の変質がわかるはず。キリスト教を名乗る諸団体も同様です。それは本当にイエス様?光の天使を装うモノなのでは?

創造主たる唯一神のみを崇めることは間違いではありません。しかし考えてもみて。キリスト教的にいえば堕落して神から離れた人間が、十字架にかかったかわいそうなイエスを通して救われますか?頭の上の雲も祓えぬ人間がストレートに神に通じると思うのが間違いです。

奇跡も神との出会いも日々の生活の中にあります。自分自身の中に。生かされていることに感謝すること、それ自体が悟り。愛の根元たる孤独な神と通ずるには、何次元の壁あるいは闇を突破しなければならないでしょう。八百万の精霊、無数の先祖、国の先人達、彼らに思いやりも持てぬ人間が、なぜ直通に頂点を見ることが出来るでしょう。

慎ましい生活の中に神は顕現されています。植物や昆虫の語りかけが愛おしい。神が人間を見て微笑むごとく。おいしいお料理が出来た、さあご先祖様も一緒に召し上がりましょう、そんな優しい光景の真ん中に神様の愛が宿っているのですね。

悪の正体もわからぬ無知な者ほど善悪二元論に逃げようとします。神様の心情に立てば、正邪を分けることなく、地を這うことしか出来ぬ浮かばれぬ霊にも感謝します。
「サタンよ去れ」?なぜ神は“悪”の存在を許すのか。よく考えてください。

人はなぜ生まれたか。自己中心の悪の存在を通して魂の修行をさせ、解放させるため。思いやりの深さで人間自ら神性を宿すように、神々は私達を導いておられます。
あまりに悪に偏る存在は、いずれ淘汰されます。人類の1割は、もうどうしようもなく救いがたいそうです。神自ら裁くのではなく自業自得となります。しかしそれまでなるべく犠牲を出さぬよう、人間は我が身を護るため、殺そうとするモノには立ち向かうことが神様を守ることになります。

日本に防犯の鍵をかけずに反日国家の旗を立てたい護憲の人達、憲法9条をノーベル平和賞に!と働きかけた主婦は、ウリスト教の人です。誰も文句のつけられない 女性の人権とか平和とか「差別を許さない」とか、美辞麗句を駆使して情報操作する左の人達は、まさしく光の天使を装う低級なモノでしょう。徐々に道をそらせ、体の中まで腐らせます。

神道には教義はありません。大自然と一体となり、ひたすら諸精霊を癒やし、私達ひとりひとりが神官となって礼を尽くす姿勢そのものが供え物です。

キリスト教国の大自然には、祈り=思いやりがあまりかけられていません。
災害の多い日本だからこそ、祈りが鎮めになり、八百万の神々の再起動が可能なのです。日本人よ、頑張れ。共にこの大峠を超えていきましょう。

| | トラックバック (0)

2013年2月10日 (日)

国魂が発動するのは私達次第

神話の世界にはまっています。想像を巡らせていろんなサイトを訪ねています。余計混乱するけれど、独自のフィルター(独断と偏見)で取捨選択すると、ダイナミックに見えてくるものがあります。

ネットのおかげで伊勢白山道に縁を持つことができ、本当の信仰とは何か、ずっと求めていた答えが明確になりました。神道の「大自然への感謝」の中にこそ本質があったのですね。以前は、神道は教義もないし、皆、御利益欲しさに祈願に行く所というイメージしかありませんでした。それに物の怪というか、怖いモノがいそうで・・(^_^; 昔、両親が神棚を祭ったその夜、母と私が同時刻に高熱を出し、「あーあ、触らぬものに(略)」なんて思っていました。

今は、私の中の心の聖域(内在神)を鏡として、お祭りを通して八百万の神々に感謝する日々です。日の本の国の歴史を紡いでくださり、生かして頂いてありがとうございます。

個人的にキリスト教が一番次元が高いと信じていた時期がありました。が、何か違う・・・。理由がわかりました。神と個人の契約では、堕落(いわゆる内在神が隠れた状態)人間が直接神につながる道がないのです。十字架に張り付けのイエス・キリストを仰ぎ見て救われますか?絶対無理です。仲介者を通した他力信仰では、「すでに悟っている魂」であることを思い出すことが難しい。
守護してくださる精霊(天使)とは、ご先祖様でした。正神は関与できません。魂の成長のために起こるさまざまな試練は、私達が努力するべきことであり、小さな御利益に正神が関与することは許されていないということです。まして奇異なこと(霊言)をして集金する組織には、一切関わってはいけません。

人生の道は、ご先祖様への思いやりなくして魂の成長はありません。見えないご先祖様に思いやりを持てる人は、家族や周囲の人々にも思いやりを持てる人でしょう。この時代に今一度神仏習合を自分の中で成し遂げるわけです。


キリスト教では三位一体といいますが、神道では父の格位は天之御中主神、母の格位は天照太神(おほみかみ)=太陽神、子は天照と地球霊・国常立大神から分霊を頂いた先祖&私達です。



重要なことは、現在、天津神と国津神の融合が進み、太古に封じ込まれた白山王朝の埋没神が発動する時期であるということです。
埋没神とは、伊勢白山道によると、白山神=国魂=国常立太神=埋没神=スサノオ+祓戸4神 であるそうです。どうのように発動していくのか、龍のご神体の上に住まう私達の心がけ次第なのでしょうね。
日本各地の氏神様は、祭神とは別に実際は土着の精霊が鎮まっているそうです。崇敬する地域の家の神棚に巡回してくださるとのこと。榊と水を使って穢れを祓ってくださるんですって。へぇ~~。(たしかに右側の榊の葉が落ちるのが早いです)

目に見えない、聞こえない、効果が見えない、ただただ神様とご先祖様に感謝したい、その心が尊いのですね。怖い・・と思う人は、まだその段階にないそうです。「霊界なんかない」と言う人は、ご縁がなかったということで。

| | トラックバック (0)

2013年2月 5日 (火)

足長神社、手長神社

私は国津神、特に出雲国から諏訪地方に勢力圏を築いた第二出雲王朝に心惹かれるものがあります。私の地元は大国主命を祀る神社が多いです。

諏訪地方では、建御名方命以前の太古の薫りを神社に感じることがあります。諏訪大社も本殿がなく、お山(古墳)を聖域として拝する形式であり、御柱を神の寄り代とするなど、原始宗教の継承を伺わせます。国家神道の決めた御祭神ではなく、地元の人達はミシャグジ様(土地の精霊)として信仰しています。

先日、諏訪市の足長神社、手長神社に参拝しました。戔嗚尊の妻・櫛稲田姫の父・母が御祭神ですが、まぁ、はっきりとはわかりません。手長神社上方には茶臼山古墳群、手長丘遺跡が発掘され、縄文時代の太古の空気を感じることができます。手長神社には多くの摂社・末社が鎮まり、白山宮もありました。

足長神社は小さな村の産土様という感じですが、拝殿、神楽殿の彫刻が素晴らしかったです。拝殿は天保13年(1842)、舞屋は文久2年(1862)建造。

足長神社(写真は本殿正面から撮ってはいけないそうです。木に触ってもだめ)

Asinagajinja

手長神社(写真をwikipediaより拝借)

Atenagajinja

| | トラックバック (0)

2013年2月 1日 (金)

まずはここから。「新しい心の世界観」

結局は、集金をするために奇異な体験を一般人にさせる「必要があった」だけのことなのです。
現実を離れるのを良しとする時代は、もう終わりました。
奇異を支える霊的世界も、埋没神(まいぼつしん:人間に感知されない正神)により淘汰されて崩壊しています。
昭和の奇異以上の本当の奇異と、正しい現実の両方を知る伊勢白山道が、それらの古い幽界残像から新しい心の世界観を提示することが重要な任務の1つなのです。


伊勢白山道が何よりすごいのは、実践方法が誰にでも簡単に出来、効果絶大なことです。ただし誰にでも出来るかといえば、神に自分の幸せを「お願い」することはできても、先祖への思いやりがなければ一日とて続かないゆえに、決して簡単ではないかもしれません。

神を信じることができるのに先祖を放っておいて、何が信仰でしょうか。また先祖供養しているつもりでも、教祖依存になっている時点で、垢付け行為になってしまっているという驚愕の事実・・・。自身のオリジナル磁気を守るために最も大事なことは、一切の宗教団体から離れること。しかし、真理を求める人ほど宗教を求めるので、組織の罠(教団維持霊)の餌食になっている残念な状況があります。

江戸時代は幽界全盛の頃で、物の怪が隣り合わせにいました。時代の波動が精妙さを増していくに連れ、幽界は消滅し、いずれ霊界も現実界に吸収されていく、と。今、統合の真っ最中なので、現実界と霊界の境界線が曖昧になり、両者が渾然と影響し合っているようです。
現実に生きている人間が主体なので、私達がしっかりしていなければ、その「思い」に乗って、一瞬のうちに同じ「思い」の霊に憑依されてしまいます。自分もわからず、悪い感情が増幅してしまうのは、そういう理由があったのですね。神の波動の感謝心で自身の霊体を感謝のコーティングをしていれば、神界の揺りかごに守られるでしょう。宇宙から降り注ぐ悪い電磁波も素通りしてくれるそうです。


新しい心の世界観
とは、心に預かった内在神を育てることが人生の目的であるということです。創造神は人間に自由を与えすぎたようです。人間は自ら良心をふさぎ、悪いことがあると神のせいにし、どこまでも自己中心でした。正神を「埋没神」としてしまったのは、人間自身でした。

落ちていく人間を悲しみながら、それでも神様ご自身は「感謝している存在」でした。なぜならずーっと気の遠くなるような時を過ごす孤独の神だったからです。愛する対象があって初めて創造が起こるのですね。神は祈願する対象ではなく、共に感謝し合う存在でした。
日本は世界の雛型なので、まだ大きな試練があるでしょう。

反日国家はかなり厳しい状況になっていきます。私達は母性の国の使命として、彼らをもかき抱く愛情が問われているのかもしれません。同調したら日本も終わってしまいます。一蓮托生だけは避けなければ・・・。その方法は、怒るのではなく、背後の霊界を慰めることだったのです。供養は簡単です。一人でも多くの日本人が「朝鮮のために尽くしてくださった日本人の方々、朝鮮の方々、生かして頂いて ありがとう御座位ます」と心を合わせることだけです。もしそれでもだめなら、自分の良心が自分を裁くことになるでしょう。国も同じだと思います。


◆◆


一応、以上のことを踏まえて努力している最中なんですけれど。自虐史観に騙されていた怒りの時期はとっくに超えて、そのうち反日国家への嘲笑に変わり、今は怒ってはいても自分の心を傷つけるまで頭に血が上ることはなくなったように思います。まぁ、特亜に怒りをぶつけるのは、ストレス発散の意味もありますが。


2007年から2012年前半まですごくしんどい期間で、介護疲れもあって、じわじわ積もっていたストレスがピークに達し、心と体が分離しているような感じでした。歩くとふ~らふ~ら。脳のCTスキャンまでしましたが異常なし。一年中風邪の症状がきつくて葛根湯を飲み続けなければ息が苦しい。ちょっとした怒りでパニックになり、自傷行為もしました。それがあっけなく治ったのは、先祖供養を始めた時と重なります。


ケアマネさんが無理矢理年寄りを引き離してくれたのが一番助けられました。それは偶然でしょうか。もっと体調が酷くなっていても不思議ではなかった。その頃、年寄りの目が怖くて怖くて、サングラスをかけて「まだ頑張りますので大丈夫です」と言っていたんですけどね。やはりちょっと傍目から見てもおかしかった・・・。同時期に乳酸菌やら良いサプリと出会ったのもお導きと思います。

| | トラックバック (0)

2013年1月30日 (水)

カンナガラとは格好悪いもの

感謝供養は、霊的なハンディを 少なくして、この短い人生を 楽に生き様とする小さい事が目的では無いです。 霊的ハンディを少なくして、内在神を意識出来るように成り 永遠の安心感を得ることが目的です。 内在神と自己の一体感を感じな がら、自然と全てに感謝しながら生活して行く。 これがカンナガラ状態です。 カンナガラ状態に成ると現実界では、どのような状況に成っ て行くかは、誤解を生むので今は書きません。
 
後にカンナガラについて、リーマンさんは宮沢賢治の世界を語っていました。

宮沢賢治 「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい

神様といえば祈願の対象に思われていますが、我欲の祈願などに正神は関与しません。かえって低級のマモノの餌食になるのが関の山だそうで、気をつけましょう。

最高神をすでに預かっている人間は、内在神と一つになると、アホになるらしい。偉そうとか知的とか威厳があるとか、そんな体面はどうでもよくて、人のことを心配してオロオロするばかり。道端に座り込んで、小さな野花や昆虫を飽きもせず眺めている。

人は判断基準を周りの人の目に求めてしまうのが一番良くないようですね。人の評価なんて関係ないじゃないですか。会社での人事評価は給与にも関わるので気になりますが。
逆に自分の価値を不当に自分で落としていることを恐れるべきでしょうね。どなたの中にも最高神が宿っていると思えば、たぶん許せないことなどないのでしょう。良心が蓋をされたような者、嫌な人には憐れみを。怒りで同調するとその者と同類になってしまいます。
ああ、民主党にはもう怒るまい。
特亜にも怒るまい。・・・・と内在神は無理を言い。

| | トラックバック (0)