カテゴリー「近現代/日本史」の23件の記事

2013年3月24日 (日)

古代イスラエルと日本の関係(7)信仰の原点への回帰・国家解体思想からの脱却

◆ラビ・マーヴィン・トケイヤーの『ユダヤ製国家日本──日本・ユダヤ封印の近現代史』

Wikipedia
アミシャブはイスラエルの失われた10支族(12支族)を捜し求め、世界中の国々を調査している。最高責任者はラビ・エリエフ・アビハイル。インドにはマナセ族の子孫ではないかとされる人々がおり、アミシャブ傘下の「ベネイ・マナセ」という団体が帰還運動を推進しているなど、世界各地で同様の活動を行っている。アミシャブは古代日本と日ユ同祖論に注目しており、アビハイルがすでに日本の各地へ赴き、調査を続けている。

調査の行方が楽しみだが、おそらくラビ(指導者)・マーヴィン・トケイヤーの研究以上の成果は得られないと思う。

古代イスラエルの部族は、インドから朝鮮半島、日本にまで渡り、各地に定住してきたと思われる。泰氏の足跡、祇園祭や諏訪大社の儀式などを見ると、日本との関わりは否定できない。かといって、日ユ同祖かと言えば違う。数万単位で日本に入り、朝廷の保護を受けながら部族社会を形成して伝統を残したとしても、倭人との婚姻はあったのだろうか。血縁関係を結んでいたとしても、何千年もの間には希釈され、痕跡は残っていない。

しかし、古代イスラエルの神髄はその信仰にあり、放浪はひとえに信仰の根を下ろすためであったと考えれば、ユダヤ人は、今の世界にその理想郷をどこに見い出すだろう。ユダヤといってもサタニストに墜ちた経済ユダヤではなく、伝統的なユダヤ教徒である。

(4)の結論として書いたこと。
シュメール人→アブラハム→アラブ・ペルシャ・イスラエル→失われた部族が世界に散ってヤマトの国に渡来。信仰を土台とする理想的な君主国家を作った。仮定の上ではあるが、ここまでの結論である。

近現代にいたって、日本敗戦を機にユダヤとは民族的葛藤の因子となる思想闘争が繰り広げられた。GHQ占領下でユダヤ人は日本に赤い思想の種をまいてしまった。
その経緯がラビ・マーヴィン・トケイヤーの『ユダヤ製国家日本──日本・ユダヤ封印の近現代史』に詳しく書かれているという。


■■目次
■第1章:ユダヤ人の第一級の恩人は、A級戦犯の東條英機!
■第2章:全世界がユダヤ人を見捨てていた時、救いの手を差しのべてくれたのは日本人だけだった
■第3章:日露戦争を勝たせてくれたユダヤ人シフと明治天皇との知られざる交流
■第4章:シェル石油創業者は、横浜のユダヤ人マーカス・サミュエル
■第5章:種子島に鉄砲を伝えたのは、マラノだったユダヤ人ピントである!
■第6章:白人・キリスト教徒の世界で「日本人とユダヤ人」だけが例外的に成功できた理由
■第7章:ユダヤ製国家「日本」!
■第8章:新生ユダヤ国家「イスラエル」は日本製!
■第9章:日本国憲法作成の7日間に参加したユダヤ人

坂本龍馬がフリーメーソンではないかという憶測があるが、そんな話が小さく思えるほど、戦前・戦後も日本とユダヤとの関わりは想像以上に大きく、親密である。

◆「日本人に謝りたい」

著者:モルデカイ・モーゼ(Mordecai Moses)

■■天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった

日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。

この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人の言った言葉に次のようなものがある。

わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためにだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに他ならない。

断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想の表現なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーのいった如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。

私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。一般のヨーロッパ人は、とてもこのようなすばらしいものを創ることはできないであろう。我々ユダヤ民族も残念ながら未だ創ってはいないのであるが、しかしそれがすばらしい理想であるということを知っているだけでも日本人に近く、ヨーロッパ人よりも優れていることを日本人に認めていただければ無上の光栄である。

GHQのユダヤ人は、日本を舞台に理想郷を作ろうとした。しかし、戦前の誤解から天皇を攻撃し、打倒しようとした。ワイマール時代ドイツの法学界を牛耳っていたユダヤ人・ゲオルグ・イエリネックによって、天皇を抑圧者・搾取者と断じ、攻撃した。そして「国家解体目的のために、国家を社会に置き換えた」のである。

米国が反共産主義でありながら、なぜGHQは日本に極左思想を植えたのか。社会主義者の活動を野放しにし、教員の政治団体や組合結成を奨励したのか、これで謎が解ける。
日本を戦争に追い込んだルーズベルトがユダヤ人だったことは置いておくとしても、政権はコミンテルンに毒されていたし、日本国家解体の左翼思想を吹き込んだのがマルクスレーニン主義のユダヤ人だった。

そこでモルデカイ・モーゼ氏は痛恨の極みで謝罪しているというわけである。

■■ユダヤ人の教条主義的誤り──戦前の天皇制攻撃

これから本論として述べる如く、我々は戦後の占領改革において大きな過誤を犯したのであるが、ただ一つの喜びは、天皇制の偉大さを認識でき、それを憲法の冒頭で存続させることができたことである。

だがここで日本人に謝らなければならないのは、戦前において我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、なんとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人である、ということなのである。全く穴があれば入りたい気持ちである。

君民共治は、日本の天皇と国民の間にのみ存する理想的政治形態である。これがある限り、日本の共産主義化は困難と判断したユダヤ勢力は、「天皇制」を絶対悪として宣伝し始めたのである。戦前はコミンテルンを通じて大々的に「天皇制」打倒のキャンペーンをした。コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。今日に至るも日本共産党が「天皇制」打倒、「天皇制」絶対悪論を振り回しているのは、そのためなのである。

その共産党やら社民党、日教組を日本がいまだに許容しているのは、一定の支持者がいるということであり、保守層はGHQばかりを悪者にしていられない。いまだに憲法改正できぬ愚かさは、日本人自身の責任である。

左翼思想を蔓延させたのも日本人自身。天皇の祭祀の知られざる厳しさや、皇祖神と一体となった天皇の国と国民を思う心情を知らずして、「税金泥棒」と言ってはばからぬ輩もいる。安倍政権で憲法を改正し、天皇を元首と位置づけたい。君主制国家における元首とは必ずしも権力者ではなく、共和制の国家元首たる大統領とは一線を画する。内面的な支柱であり、権威である。唯物的な思想に毒されて、霊的な感性が鈍ってしまった戦後の日本人には世界最古の天皇の価値がわからなくなっている。悠仁様ご誕生の奇跡には、神が介在されたとしか思えない。

■■■第5章:共産主義はユダヤ人が作った
■■日本共産党を育てたのは我々の最大の誤りだった

ユダヤ人が日本人に謝らなければならない最大の問題は、戦後日本共産党を育て残置諜者として残していったことである。これは具体的にはニューディーラーが全て行なったことである。共産主義者群から成っていたニューディーラーは社会主義革命こそ行なわなかったが、戦前の日本にあった類い稀な長所をすべて破壊したのである。それ以上に大きな誤りは、残置諜者として日本共産党を育て、残したことである。

今では日本共産党は「確かな野党」として定着しているが、マルクス・レーニン主義の夢を忘れられない国家解体主義者の集まりであることを忘れてはならない。共産党よりもっと悪質なのは、顔を代えてその醜い思想を美辞麗句で飾っている者達である。旧社会党から民主党に足場を移した連中である。

◆ゲッベルスの予言

ドイツのゲッベルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として次のような内容の文書を1934年に公布している。

それは、非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである。

ゲッベルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。

「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定

うーーーむ・・今の私達が侵されている価値観に全部当てはまっている。これをユダヤ人を迫害したナチスのゲッベルスが予言しているのが不思議である。(ちなみにゲッペルスではなくゲッベルスが正しい)
ヒトラー自身も将来の日本のことと思われる予言をしており、まるでヒトラーがユダヤ抹殺によって、将来の超国家的勢力・共産主義の悪い芽を摘もうとしたかのようである。もちろんヒトラーに憑依していたのは大物の魔物だったし、ユダヤ教が悪かったわけではないので、善悪で判断することは避けなければならないが。

人間獣化計画」にはジェンダーフリーも挙げられるだろう。この思想を持つ者は、性差解消運動をしながら女性の人権を闘争の種とする。そして女性から育児を取り上げて、「子どもは社会が育てる」と聞こえの良いことを言う。国家を社会に置き換える方便と同じである。国家解体は家庭解体とイコールであり、男女の相互不信を助長させる。

人間獣化こそ人間の霊肉の退化と言えるものである。地球創造以来の霊的攻防が、実は日本を雛型として象徴的に起こってきた。ユダヤが待望するメシア降臨後の「至福千年王国」は、日本で花開くか、あるいはこのまま日本人が獣化されたまま奈落の底に落ちていくか、今きわめて重大な瀬戸際にいるのではないだろうか。

何も難しいことではない。日本人が祭祀長・天皇を中心に八百万の神々と共に生き、大自然に対する感謝を捧げる。そして先祖を大事にする心を取り戻すことから始めれば良い。

東北の人達が津波で犠牲になってしまったのは、一番穢れの少ない人々だったからのような気がする。本来日本人が持っていた母性を犠牲にしなければならないほど、日本人は神から遠くなっている。「神の警告」として、日本人は謙虚に深刻に受け止めねばならないと私は思った。そして伊勢白山道に巡り会ったわけである。アセンションなるものやスピリチュアルの類いは、レベルの低い小物の魔物が子供だましの奇異現象を起こしていると以前から苦々しく思っていた。

日本人が「失われたもの」に気づけば、これから起きようとしている天災も大難が小難で済むはずだ。伊勢白山道が日々開示してくれるこれらの霊的磁気の仕組みは、いずれ科学的に解明されると思う。前文明は重力をコントロールしていたらしいので、今の科学なんて小学生の段階である。原発なんて、あんな野蛮なものにいつまでも頼っていてはだめだ。

時は余り残されていない。日本人がDNAの中に持っている日本人らしさを取り戻せば、人類を救うエネルギーイノベーションも可能になる。古代イスラエルの求めた千年王国は、日本から実現する。それは自分のためではなく世界のため。神は私達一人一人の中に存在している。小さき者達が発する感謝と慈悲の心の総体が、「メシア」であるに違いない。

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2013年3月21日 (木)

古代イスラエルと日本の関係(5-2)諏訪大社の不思議続き

続き

◆建御名方一族は諏訪地方の恩人

諏訪大社本宮の近くにある守矢史料館と諏訪市博物館に行ってきた。

諏訪大社の謎解きは、大国主命の息子の建御名方命が諏訪地方を開拓するずっと以前、土着の信仰を調べることから始まる。

建御名方命一族は、土着の信仰を滅ぼさなかった。守ったとも言える。おそらく出雲の時代から砂鉄の産地として諏訪地方と交易していたものと思われ、鉄製の武器の面でも勝り、諏訪の豪族は大きな犠牲を払うこともなく建御名方命に統治者としての位置を譲ったと思われる。

博物館では、縄文遺跡の展示のほか、昔話もビデオなどで紹介していた。7年ごとに行われる勇壮な御柱祭りのビデオも上映。まさに命がけの山の斜面からの木落しは、思わず「危ないっ」と声が出てしまう。前回は神社に柱を立てる際に倒れて人が亡くなっている。そこまでの情熱をかけて、氏子達は祭りを守っているのである。

現在は諏訪明神は建御名方命としているが、神道集では甲賀三郎だといい、地元の人は「ミシャグジ様」という。当地の言い伝えでは、建御名方命は見目麗しく、背が高くて立派な人だったという。ジャングルのような土地を開墾し、文明をもたらしてくれた恩人という扱いであることにほっとする思いがする。

◆守矢家の秘密

このミシャグジ様をお守りしてきたのは、78代もの長きにわたって一子相伝で神長官を務めてきた守矢家である。
守矢史料館で、疑問だった二つのことが確認できた。

まず、「ミシャグジ」の当て字はいろいろあるが、儀式がアブラハムのイサク献捧に似ていることから「ミ・イサク・チ」ではないかという説。「ミ」とはイサクの者(族)という意味。
守矢山をご神体とするのは、アブラハムの神である洩矢神が由来であるとすれば、こじつけとも思えない。守矢家の祈祷殿のある敷地には社が祀ってあり、説明を読むと、なんと「みさく神」と書いてあった。モリヤ山のアブラハムとイサクの神がここに鎮まったと素直に考えてよいのではないか。

最大の疑問は、守矢家の先祖である。「守矢家の先祖はユダヤ」とK氏が証言したという話があり、史料館の人におそるおそる聞いてみた。「守矢家の先祖はユダヤ人だったそうですが、本当ですか?」。そうしたら、すんなり「ああ、そう言われてますね」という返事だった。あっさり肯定してくれて、拍子抜けしてしまった。

守矢史料館

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展示物などは、ここのサイト 守矢史料館 に写真がたくさん掲載されているので、参考にしてください。「御頭祭」のおどろおどろしさも感じられる。イサクの身代わりに、耳を藪にかけて動けなくなっていた羊を供え物としたという旧約聖書の逸話とそっくりな「耳裂け鹿」の頭もしっかり展示されていた。小さな子供は泣き出すというので、気の弱い人は注意。

◆諏訪大社上社と下社の背景

K氏とはたぶん下社神官の金刺氏のことで、金刺氏が守矢家の人から直接聞いた話だと思う。上社と下社の関係についても謎は多い。中央政権に近い金刺家が上社の筆頭神官・守矢家を監視・監督していたとかなんとか・・・。

下社は建御名方命の夫人・八坂刀売命を祀ったのが始まりと言われる。現在は上社(本宮・前宮)下社(秋宮・春宮)共に建御名方命を祀っているが、昔話には、夫婦喧嘩して八坂刀売命は下諏訪に別居したと。

しかし、本当のところは違うと思う。洩矢神を信仰する原初の神官はユダヤの守矢家であり、毎年4月15日に御頭祭が執り行われる上社の前宮が本家本元である。本宮はその後に造営された。
下社は、鎌倉時代の武士達に崇敬され、政治的に力を有する金刺家が仕切っていた。金刺家は元は木曽義仲の後ろ盾だったが、木曽義仲が討ち取られて連座して打ち首になるところを「金刺盛澄は弓の名手」という理由で助けられている。諏訪明神の霊験あらたかな力が金刺盛澄に降りたという。

秋宮拝殿(春宮は一回り小さい)

Suwataisyaakimiya2


下社秋宮の宝物殿に行くと、朝廷に近い政治的な匂いがした。武家に保護される神社はどこもそうなのだが、諏訪大社下社では、特に国家神道の名残を感じた。明治・大正・昭和天皇に心情的にとても近い感じ。

<展示物>
・国重要文化財「売神祝印(めがみほうりのいん)」
・双鳳菊花八稜鏡(そうほうきくかはちりょうきょう)
・武田信玄が奉納したと伝えられる太刀
・東郷平八郎の鑑定証付き御神号
・昭和初期に大社在任の高階研一宮司揮ごうの書
・奉納された絹糸のおんべやさざれ石
・筒粥神事に使うヨシの束のレプリカ
・昭和天皇が下社を参拝された時の写真
・分社され艦内に諏訪神社が祭られている海上自衛隊護衛艦しらせの写真 等

東郷平八郎直筆の達筆な書や国旗には「神国」の威風がある。また今上陛下の御参拝に際し、万歳してお迎えする職員の写真もあった。
大正天皇と仲睦まじかった貞明皇后の遺品は、普段ご愛用されていた息づかいが聞こえるようで見入ってしまった。品々は皆質素で、小さなお人形が愛らしかった。

このように上社と下社は雰囲気が全然違う。つまり上社前宮が諏訪明神信仰の本拠地であって、下社は前宮の保護者的な形で、政治的な影響力を持っていたということになるだろうか。前宮は観光バスも来ないし、自然の中に静かに素朴なたたずまいを見せている。守矢山から流れてくる豊かな川の流れが、観光地化した他の宮とは風情を異にしている。

◆天の泥船

守矢山の中腹に藤森照信氏が設計した「空飛ぶ泥船」がある。見てきたよ~。「天の泥船」とも呼ばれる。

守矢史料館のすぐそば

Amadorofune1


諏訪市街を見下ろす

Amadorofune2


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2013年3月18日 (月)

古代イスラエルと日本の関係(6)血統を重んじる選民思想

◆アブラハム・モーセ・イエスまでの系譜

モーセの系図:アダム、セト、エノシュ、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラ、レメク、ノア、セム、アルバクシャド、シェラ、エベル、ベレグ、レウ、セルグ、ナホル、テラ、アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)、レビ、ケハト、アムラム、アムラムの子が祭司アロンと預言者モーセと女預言者ミリアム。

モーセはレビ族であって、マタイによる福音書では、イエス・キリストの男系系譜の中にモーセは含まれていない。

マタイによる福音書では、ヤコブ(イスラエル)の4人の子供のうち、四男のユダ(ユダ族の祖)の血統を正統とし、イエス・キリストまで至っている。モーセはヤコブの三男のレビの子であり、南ユダ王国はユダ族・ベニヤミン族、レビ族であった。

関係ないが、ちょっと寄り道で、ヤコブが勝利者=イスラエルの称号を得るまでに、ヤコブは相思相愛の美しいラケルを妻にめとることをラケルの父に許されず、騙されて最初にラケルの姉のレアを娶ることになる。レアは不細工だったというのだけれど、性格が悪かったとかいうならともかく・・・(^_^;

レアの産んだ息子は10人、なかなか子供が授からなかったラケルが2人(ヨセフとベニヤミン)、召使いに産ませたのが2人。この12人がイスラエルの12支族になるわけだが、イエスの正統性はレアの息子・ユダから、モーセは同じくレアの息子・レビの系統だった。神が約束したはずのラケルは結局レアに負けているじゃん、メデタシメデタシ、とレアに同情する私は思うのだった。

姉妹が恋のライバルになるというレアとラケルの関係は、姉のイワナガ姫(醜女)と木花咲耶姫(美女)を想像させて面白い。木花咲耶姫はラケルと違って、初夜で身ごもるという早業ゆえ、天津神の夫に「オレの子じゃないだろっ相手は国津神かっ(怒)」とあらぬ疑いをかけられてしまうのだった。疑いを晴らすためにお産の小屋に火を放ち、無事に産む・・・そんな辛い思いをした木花咲耶姫を御利益信仰で「安産の神様」「火山を鎮める神」として神社に祭り、拝んでいる。そりゃぁ違うだろー、なんでも結びつけて御利益信仰にしてしまうのは間違っている。神々へはただ感謝あるのみ。

神話に隠された教訓は、ニニギノミコトは、(ヤコブのように)イワナガ姫も妻にするべきだった。イワナガ姫は霊、木花咲耶姫は体を象徴し、二つ合わされば長命(神人合一)となるという象徴だった。伊勢白山道の解説と私自身の想像も含め。

◆日本人のDNA

天皇の万世一系は、男性のY遺伝子を継承するためという根拠が出され、それはトンデモ論として忘れ去られたようだが、遺伝子の研究が進むにつれ、日本人は最古のD系統であることがわかった。ミトコンドリアは母系で継承されるが、YAP+遺伝子は男系であって、日本の本州に住む男性の43%がYAP+を保有、アイヌ人男性は98%、中国・朝鮮では1%しか存在しないということだ。

Y染色体DNAのD系統は、チベットや中近東にも分布する。
朝鮮半島や中国人は南方系O系統である。YAP+遺伝子はD系統とE系統のみ存在。
人類は日本(当時は陸続き)で発祥したか、あるいは中東、中央アジアから大挙して渡来してきたかのどちらかだろう。

日本人はD系統でもD2、DNAが非常に近いチベットはD1とD3。D2は、ポリネシア系縄文人とのこと。
三島敦雄氏が、「倭人派は前インドのクメール族であり、隼人派と前出雲派はマラヤ・ポリネシヤ族、後出雲派は朝鮮ツングース族」という可能性を示したように、民族移入の時にポリネシアとの縁が結ばれたのだろう。モヤイ像は、縄文人の特徴を備えているようだ。

このサイトは面白い。

縄文語辞典の索引
いっぱいありすぎて、省略。
アー エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイはポリネシア語で「さて・ご覧よ・なんと・力強い動きだ・ご覧よ・なんと・力強い動きだ・踊っ・た・踊っ・た・踊っ・た・踊っ・た」などなど。

このように日本語には、言葉や地名にポリネシア、ユダヤ、古代朝鮮(新羅・高句麗語)などが混在している。

◆万世一系の意味

天皇の万世一系が「物語」だとしても、そこに込められた意味は何だろうか。聖書がイエスを生み出すまでの系譜を長々と記す理由は何だろうか。神に最も近い祭祀長たる資格は、血統を重視しているということである。

渡来人を受け入れながら、天皇が男系一系を貫いていることを正統性の根拠とするのは、血統=選ばれた民族を一本の軸として歴史に埋もれさせないためではなかったか。

同じ「ユダヤ」でもサタニストに墜ちたユダヤもいれば、質実なユダヤ教徒もいる。同じ「牛頭」でも創造神に近いスサノオもいれば、ヒットラーに憑依した存在もいる。背後の霊的攻防は、地上に生きる私達には想像もできない。

似非キリスト教の統一教会の本質は朝鮮民族至上主義であり、日本人を金づるとして日本人の布教に力を注いできた。日本人信者を最大限に「信仰者」として持ち上げながら、時限爆弾のように仕込んでいるモノとは何か。それは教えの中心に朝鮮に融合させるよう仕組まれた「血統転換」なのである。罠に落ちた信者は、朝鮮半島で「捏造・従軍慰安婦」に向かって「日本人の代表」として土下座してお詫びしている。

ちなみにリーマンさんによると、魔物に繰られる教祖は魂座を食べられるので長生きできないらしいが、深く憑依されて一体化している教祖は長生きするという。ということは(略)。昭和の時代は使命のある宗教家もいたが、今の時代は、宗教組織は例外なく危ないとのことだ。特に奇異な現象で惹き付けるものはNG。天使や仏の顔をして、言うことは素晴らしいが、その実態は(略) 太陽霊光によるあぶり出しが始まっているので、一切の宗教組織から離れて自分自神を信じることだとも。悪事がばれるのも早くなっている。悪いやつらは自滅の道を免れないということだ。余談が過ぎたかな。

個人主義の現代人には図りしれないが、神々の世界では、どうやら「血統」を巡る攻防が繰り広げられているらしい。戸籍制度を廃止しようとする民主党国会議員がいたのは、現実世界への転写なのか?家系を抹殺したいらしい。少なくとも出自がわからなくなって都合の良い人もいる。

万世一系の天皇が、途中に大王すり替わりの王朝交代があったかどうかはわからない。神武天皇から天武天皇に至るまでの正統性を強調するために、おそらく藤原不比等の創作も織り込まれている。それどころか神武よりさらに7代遡って、古代イスラエルが信仰の根を下ろしている可能性もある。
しかし、重要なことは、神道という形態がすでに古代から君主と一体となった権威として崇敬され、古代中国のような易姓革命による王朝交代が起こらなかったことである。

日本が今後世界の雛型としての使命を持つならば、祭祀長たる天皇の意義はさらに大きくなるだろう。

次は、日本とユダヤ・信仰の原点への回帰の最終回~

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2013年3月15日 (金)

古代イスラエルと日本の関係(5)諏訪大社の不思議

◆旧約聖書の神

イスラエル選民の血統はアブラハムを起点とする。(稿を改めて「血統を重んじる選民」について書くつもり)

その信仰形態だが、「生け贄」をする。要するに農作物だけでなく動物を殺して神に捧げる儀式を行う。モーセの過ぎ越しの祭りでも羊を殺し、その血を扉に塗った。モーセにカナンの地を目指せと命じた神は、行く先々の地で異教の神に染まらぬようその地の民を皆殺しにせよと命じたりする。

なんという無慈悲な神(汗)
アブラハムにいたっては、ある事柄を咎められ、正妻がやっと授かった愛しい息子・イサクを捧げよと命じられる。殺そうとした寸前に神の使いの天使が「私のために自分の子さえ惜しまぬおまえの信仰を今知った」と止める。使命の大きな者ほど試練も大きいと解釈しておく。

日本書紀と同様に、旧約・新約聖書は字句どおりに解釈するのは危険な箇所がある。まあどこにでも「ホントのところ」「裏話」というものがある。新約は特に後世の歪曲も見られるという。まあ、いろんな宗派があるので聖書について深く書くのはやめる。

牛頭(ごず)天王にしても、同じ牛頭でも牛頭魔神がいたり人頭牛身=くだん(件)という妖怪がいたりする。伊勢白山道の解説では、牛頭天王はモーセ=スサノオの7段目(9段目だったか?)であって創造神につながる。要するに、同じ名前でも創造主と被造物として明確に違う次元のものである。

この次元の違いを理解しないと、善悪二元論に陥ってしまう。神が善しとするものは、必ずしも人間の価値観と同じとは限らないのである。なぜ神は悪を許すのか、人類をこんな酷い目に遭わせるのか、神も仏もない、などと全能の神をまるで「私の幸せ」のために使役するかのような発想をする人がいる。悪に落ちたのはルシファー自身であるし、神に背いたのも人間自身の責任である。堕落行為には正神は関与できないことを覚えておきたい。

神ご自身が「感謝する」存在だから、神は、人間がどんな苦難の中にあっても感謝する心に寄り添われる。自分が孤独を感じた時、「ああ、神はもっと孤独だったのだ・・」と思いやってみよう。神は近づくだろうか、離れるだろうか。すでに神様ご自身が私の中にいらっしゃったことに気づくのではないだろうか。自分を卑下することは、自分に宿る最高神を傷つけることである。

父と子と精霊の三位一体は、神道では天之御中主尊・国常立大神(地球霊)・天照太神(本来は神ではなく神とのこと)ということになるだろうか。今の時代、最強のフトノリトは、母性の愛を表す「アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ」と二回繰り返すのだそうだ。(大祓祝詞の秘密だった部分)

さて、ヒトラーに憑依して預言させたのは牛頭魔神。バール神がその正体。牛頭天王と呼ばれたモーセは、金の仔牛の像を拝する偶像崇拝をしてはならぬと厳しく戒めていた。

◆日本にはフェニキア人も渡来

またフェニキア人は、当時スペインやフランスに居住していたケルト人と、鉱山開発や貿易を通じて協力関係にあった。ケルト人は、ドナウ・ライン・セーヌ・ロワール川などの河川を利用した交易集団でもあった。フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、エジプト人やギリシャ人などが混在する多民族混成旅団だった。

 しかし彼らには共通の信仰があった。セム語で「主」を意味する牛の神バールである。クレタのミノッソス、エジプトのイシスも牡牛に象徴される。ユダヤ王ソロモンの玉座には、黄金の仔牛アモンが刻まれ、ゾロアスター教のミトラ神の原型もバール神である。

バール神は生け贄を好む悪魔ということでいいのか。イルミナティはどこかの城で生け贄を捧げて血をどうのこうの・・という話を聞くが。サタニストも同時進行で天使の顔あるいは権力者の顔をして生きているのだなぁ。ブッシュパパの正体には驚愕したが・・。しかし、当時も今も本来の純粋培養の信仰を求める一団もいたはずだ。同じ牛でも次元が違うように。

以下大事な箇所なので、ちょっと長めに引用

 おそらくフェニキア船団員は、現在「糸魚川・静岡構造線」として知られている断層線に沿って、金銀銅鉄などの鉱脈を探していたのだろう。鉱山師は川筋の鉱物を見てあたりをつけ、鉱脈を探すという。水窪石は、その為の願かけだったのかもしれない。
 水窪から天竜川を源流まで遡ると、信濃国諏訪湖がある。この周辺は良質な粉鉄こがね(砂鉄)の産地だった。出雲神話で大国主命の国譲りに反対した息子の建たけ御名みな方神かたのかみは、建たけ御雷之みかず゜ちの男神おかみとの相撲に負けて諏訪へ逃げるわけだが、当時から出雲国の重要拠点だったのだろう。
 鉄が日本史に登場するのは2~3Cの古墳時代だが、紀元前1800年頃からトルコのヒッタイトで使用されていたわけだから、フェニキア人たちが知らないはずはない。アムートゥという鉄は、エジプトとの間で金の5倍、銀の40倍の価格で取引されていた。お宝を探し当てたフェニキア人たちが、諏訪に住みついたと想像してみたくなる。諏訪大社南方に守屋山という名の山があるが、創世記22章の「アブラハムがモリヤ山で息子イサクを生け贄として神に捧げた」という、ユダヤ的なエピソードを連想させる名前である。

バール神を調べていて、思いがけず諏訪大社のモリヤ山(山が御神体)信仰が出てきた。

ここでは出雲王朝の構成員は「殷王朝亡命難民」としている。BC1046年だからかなり古い。フェニキア人は、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に古代オリエントの海洋文明を築いていた。

アブラハムを信仰の祖として尊重しつつ、次に進む。
「フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、エジプト人やギリシャ人などが混在する多民族混成旅団」が国譲り物語のはるか以前に鉱山を求めて進出していたと。建御名方命が諏訪地方に拠点を定めるに当たって、地元ではすでに土着の神と信仰があった。結局建御名方命が打ち破って第二出雲王朝を立てるわけだが、土着の信仰を滅ぼすようなことはしなかった。ここが旧約の皆殺しの神とは違うところ。

◆諏訪大社に祭られる神

神道集(日本の中世の説話集・神道書)には、諏訪明神の言い伝えとして、甲賀三郎が出てくる。三郎は大蛇になってしまうのだが、それが「蛇信仰」となっていく。神のエネルギー体が蛇のように動くことを霊視したという説もある。
諏訪大社は建御名方命を祭るが、地元では諏訪大明神といえば「ミシャグジ」様である。その神は、柱を依り代とする土地の精霊とされる。守矢山をご神体として拝する形式で、神社は本殿がない。
付近には縄文遺跡が多く、クシナダ姫の父母を祭るという手長神社、足長神社もある。

特筆すべきは、諏訪大社の奇祭・御柱祭りなのだが、それだけではない。

御頭祭について
臨場感があるので、そのまま引用する。

それは金刺氏が大祝家を世襲したという諏訪大社に伝わる日本有数の奇祭,御頭祭です。諏訪大社には多くの由緒正しい神社がそうであるように資料館があります。その名は守矢史料館。そこで入手できる栞には,御頭祭の鹿を貢ぐ祭事,御杖柱などについて更に詳しく記されています。それは今から220年前にこの地を訪れた菅江真澄翁(江戸時代後期の高名な文化史研究家)が御頭祭に立会った時の記述を,信濃教育出版部発行の「菅江真澄の信濃の旅」から引用し,栞に紹介しています。以下がその要約です。

十間廊には鹿の頭が75頭,真名板の上に並べられていた。その中には耳の裂けた鹿がある。・・・やがて神長が篠の束を解き,篠をバラバラにしてその上に敷く。その時長さ五尺あまり,幅は五寸ほどで先のとがった柱を押し立てる。これを御杖とも御贄柱(おにえはしら)とも言う。御神(おこう)と言って八歳くらいの子供が紅の着物を着て,この御柱に手を添えさせられ,柱ごと(おそらく子供も一緒に)人々が力を合わせてかの竹の筵(むしろ)の上に押し上げて置いた。下位の神官が待つ。そこへ裃を着た男が藤刀抜き放って神長官に渡す。(中略)・・・神楽が止んだ。例の子供を桑の木の皮を縒り合わせた縄で縛り上げる。その時男達は『まず,まず』と声を掛ける。・・・・そして長官の前宮で先の縛られた子供が解き放たれ祭りは終わった。」そして栞は次のような補足説明をしています。「・・・・神長守矢が司る祭りには遠い縄文時代のこだまが伝わっている。こうした狩猟祭祈の部分の他は,中々意味が取りずらく謎に満ちている。例えば紅の着物を着た子供を御贄柱と共に押し上げ,縛るのは何故か?かって子供は殺されたと伝えられている。

鹿75頭の生首をずらっと並べ、子供まで生け贄にするこの儀式、血生臭い。狩猟が盛んだったからという理由では、8歳の子供まで生け贄にする意味がわからない。前の年に選ばれた子供は、1年のお役目の後、殺されたという・・・。今は鹿の剥製を使っているし、子供の儀式ももちろん形だけ。一連の儀式の前には、氏子達の前でミシャグジ神を神官が自ら依り代として下ろすことから始める。

「日本・ユダヤ封印の古代史」を書いたユダヤのラビM.トケイヤー氏は、この奇祭がまさしくアブラハムのイサク献祭と酷似しており、鹿はイサクの代わりに捧げられた羊の代用であると。

75頭の鹿の中に必ず耳裂け鹿が居たという伝承があるが,これは神の矛に耳が懸かった羊と関連があると思われる。アブラハムはモリヤの地に行くが,諏訪大社上社の御神体は裏の守屋山である。ユダヤ教では神ヤハウエを,モリヤの神と呼んでいる。

祭祀を司っていたのが守矢家であり、現在78代目。日本の紀元とだいたい同じである。75頭というのは、サマリア人(イスラエルと異民族の混血)が過越しの祭りの際、なんと75頭の子羊を犠牲として神に捧げるのだという。偶然にしては出来すぎではないだろうか。

ちなみに神武天皇は北イスラエル王国の末裔エフライム族であり、サマリヤの王を名乗っている。
『日本書紀』の神武紀には「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)を、号けたてまつりて神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと)と曰す」
神武天皇(BC660?)はサマリヤの王と自称。(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト → カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト = サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者)

幕屋は長さが30キュビト(13メートル)、幅が10キュビト(約4メートル半)で、(鹿の頭を並べる)十間廊も同じ大きさで、入口が東側にあるところまで同じとのことです。

また、諏訪大社の神主の娘であるK氏は、「我々の先祖はユダヤ人だ」と代々伝えられているという。

失われた10支族を求めて、ユダヤ教のラビも諏訪大社を訪れている、というのが驚き。駐日大使のエリ・コーヘン氏も参拝したそうだ。
諏訪大社にラビ参拝の動画




以上のことは、こじつけに思われるかもしれないが、想像以上に数千年前から古代イスラエルとは交流があったと伊勢白山道が明かしているのである。時至り、神によって明かすことが許されたということだと思う。にわかには信じられなかったが、私なりにいろいろ傍証となる事実を探してみた。

天照太神が天岩戸にお隠れになり、表に出ていただくよう努力した面々の中にすでにユダヤ人が含まれていたと。モーセが石柱を埋め、伊雑宮(いざわのみや)は預言者イザヤが訪れていることからイザヤ→イザワとなった等、信じなくても良いが、古代イスラエルと倭国との信仰的な底流は似ているのである。そしてその理想は似非ユダヤではなく、静かに深く神道によって開花していくのである。

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2013年3月13日 (水)

古代イスラエルと日本の関係(4)シュメール人との 関係

もっと歴史を遡って気になるのは、チグリス、ユーフラテス川の間にあったシュメールと日本との関係。シュメール人が居たのはイラク・イランあたりで、その後アムール人が侵攻して古代バビロニア王国→イスラエル民族捕囚となる。

祇園祭りにどういうわけかイラクバグダッド宮殿とフクロウ?の旧約聖書を題材にした幕が登場したり、シュメール文明との接点が垣間見える。メソポタミア文明を築いたシュメール人は、なぜ忽然と消えてしまったのか。いや、消えてはおらず、その文明はペルシャに引き継がれている。


上記日本超古代王朝とシュメールの謎』によりますと、例のイラ・イラ戦争の折り、サダム・フセイン大統領が、バグダッド の官邸で戦闘情勢に対しての記者会見を行った際に、以下のようなエピソードがあったそうです。
 ヨーロッパの或る記者が、大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て「大統領閣下、閣下が身につけておられる腕輪の紋章は、日本の皇室の物 とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」 と尋ねたことがある様ですが、その時に、フセイン大統領は、こう答えたそうです。
あなたがたは古代メソポタミヤの歴史について、もっと勉強をしてほしい。この紋 章は我が国の祖先が、世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いていた、王家の紋章です

では、シュメール人と古代イスラエル人がどのように日本に関わっていくのか。
菊の紋章、シュメール文明の首都ウルの遺跡から発見された古代の楽譜が日本の雅楽にそっくりなこと、シュメール(sumer)が「スメラミコト」の語源ではないか等々、不思議な関わりがあるのは確かなので、んーーーっと考えていたら、旧約聖書に答えがあった。
アブラハムの正妻の子・イサクからイスラエルの民が増え、エジプト人の召使いに産ませた長男・イシマエルからアラブの民が夜空の星のように地に満ちた。つまりアブラハムを起点としてアラブ民族、古代ペルシャ、古代イスラエルは同根なのである。アブラハムを父とする兄弟の相克が今のユダヤ・イスラムの激しい戦いの因縁となっている。その同じ根っこが縄文時代の日本にすでに移入されていて、融合されているとしたら謎が解けるではないか。


アブラハムはカルディアのウルという地で産まれたとなっています。カルディアはシュメールと同じ意味であり、又 その首都「ウル」で誕生したという訳です。

次の段落に答えが書いてあった。一つ謎が解決してスッキリ。

◆日本人シュメール起源説

シュメール文明との類似に注目して、日本人シュメール起源説もある。


三島敦雄氏
「スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語のスメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)国と一致して神国ということなのだ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称であり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に降りたまわったのだ。」

すなわち、三島氏によれば天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いずれも“天から降られた神”を意味している。とすれば、古代の日本に天皇をいただいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──ということになる。

また、古代バビロニアの日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣は、日本の三種の神器に一致し、古代バビロニアに多く見られる菊花紋は旭日を美術化したもので、皇室の菊花紋章に一致する──とも指摘して、証拠を次々に突きつけている。

4000年前に忽然と姿を消したシュメール人、果たして日本に渡来したのはいつ頃だったのだろう。今から3万年前、なんて言うとちょっとオカルトの世界になってしまうが、天の鳥船を駆使する先進文明を築いていた白山王朝に侵攻したのはシュメール人だったのかな・・・。文明国を滅ぼすのは、野蛮人には無理だから。

●ただ、三島氏は日本に渡来したのはシュメール人だけではない、と考えていた。彼は大陸の東端にある日本列島には、様々な民族が渡来・漂着していたことにも注目していた。たとえば倭人派は前インドのクメール族であり、隼人派と前出雲派はマラヤ・ポリネシヤ族、後出雲派は朝鮮ツングース族などである。

ああ、すごく納得できる。
玉置神社には秘仏が隠されているそうで、霊視するとなんとモヤイ像にそっくりだという。DNAから考察しても、日本はポリネシアとは因縁がありそうだ。被災地にモヤイ像が贈られたというニュースがあったが、心情的に近しいものがあるのかしら。
後出雲族が朝鮮ツングース(高句麗系)というのもうなずける。出雲の男性を使役して生き埋めにして人柱にするなど、残虐非道な統治者には、穏やかな信仰心のかけらもなかったのだろう。太陽神の天照大神であるはずはない。--出雲が虐げられたのはいつの時代かはわからないけれど。

結局、三島氏の日本人シュメール起源説を要約すると、次のようなものになる。「古代の日本列島にはさまざまな民族が渡ってきたが、建国の大業を経営統一した中心人種は、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。彼らは今から数千年前その大宗家たる皇室を奉戴して、人類文明の揺りかごである西の豊葦原の瑞穂の国から、日出ずる豊葦原の瑞穂の国に移住し、シュメール人本来の大理想を表現するためにこの日本を築いた」……と。

シュメール人→アブラハム→アラブ・ペルシャ・イスラエル→失われた部族が世界に散ってヤマトの国に渡来。信仰を土台とする理想的な君主国家を作る。ここまでの結論である。

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2013年3月12日 (火)

古代イスラエルと日本の関係(3)神道の原型は古代イスラエル

日本書紀の真実に近づくには、泰氏の出自を解くことによって、神道・天皇はどこから?という最大のミステリーに迫ることができるはずである。

神道・天皇が朝鮮半島から来たという説も間違いではない。ただし経由地としてである。任那(加耶)にも倭人がいて、人と物の交流も盛んだった。衛氏王朝が滅ぼされて倭国に逃れ、なんらかの権力闘争あるいは誓約があったかもしれない。半島由来の古墳や文化など倭国は柔軟に受容している。「失われた4世紀」の頃に高句麗の騎馬民族が来たことも間違いない。

加耶から帰ってきた「昔国の男」という意味の少彦名命が、故郷出雲で大国主命の国作りに貢献した事実から推測して、その後に国譲りを迫った「天津神」もまた半島から権力闘争に敗れた一族が新天地を求めて来たと私は考えていた。しかし、その天津神が大和朝廷の中心人物とは限らないではないか。

ただの権力闘争でその土地を奪ったところで、信仰に裏打ちされた血統を重んじる権威が長き歴史に渡ってかくも敬われ、存続するだろうか。奪われたほうの建御名方命の一族は諏訪地方で第二出雲王朝を開いた。ところがそれ以前に諏訪地方には古代イスラエルの足跡がある。摩訶不思議。

なぜ天孫降臨伝説が高千穂と出雲にあるのか?神武東征にあるように、天孫は九州に降り、日向の高千穂から東に行軍し、八咫烏に導かれて奈良の橿原宮に朝廷を開いたと考える方が自然である。とはいえ神武天皇が初代とは断定できない。

竹内文献では、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があった」という。


しかし、のちの調査によれば、竹内文献には、じつに四百種類もの神代文字が伝わっており、竹内文献研究家の竹田日恵氏は、現代の世界各国の文字で、漢字とひらがなを除く表音文字のすべてが、この日本の神代文字から派生したものではないかと云う。
古代エジプトや、中東ヒッタイトの象形文字、ヘブライ文字からハングル文字、果ては、 ABCのアルファベットに至るまで、世界の表音文字のすべての文字の原点が、 じつは日本の神代文字にあるというのだ。

人類最古の文明が日本の白山王朝だったと伊勢白山道が明かしているので、さもありなん。ウガヤと言えば朝鮮半島の「上伽那(ウガヤ)」を指すと思われるが、神武天皇=崇神天皇という説も有力であり、崇神天皇の皇后が「御間城姫(ミマキヒメ)」という名前であることから「任城の姫」、つまり任那倭府から日本列島に渡ってきた(帰ってきた)と考えられる。さらに神武天皇より以前に天神7代が大王として存在していたという。さて、大王のDNAは朝鮮か縄文人か古代イスラエルか?ここは疑問符のままにしておこう。

朝廷が定まったのが応神天皇の頃、すなわちキリスト教のネストリウス派のユダヤ人・泰氏が渡来した頃と一致する。泰氏の出自には諸説あるが、佐伯好郎氏の日ユ同祖論を参考にする。ただ同祖ではなく、縄文時代に流入して融合していったということだろう。古代イスラエル人は、大陸や朝鮮半島にも入っている。

最も重要な鍵は、大王(天皇)とは神道の祭祀長であること。泰氏は神社を作り、神道の基礎を作ったのである。倭国大乱をおさめた卑弥呼のシャーマニズム(道教の影響)とは異質である。そして朝鮮には神道の原型となる信仰はなかった。そこで導かれる結論は、シュメール人・古代イスラエル人が朝鮮半島を中継して倭国に大挙して入り、大王の保護を受けながら信仰の桃源郷を築いた。神道=天皇=朝廷の確立に最も大きな働きをしたのが泰氏だったということだ。

古文書によると、応神天皇の時代に泰氏一族が大挙して渡来してきた。八幡神社に祭られる応神天皇と泰氏の関係は、その元の呼び名・ヤハタからエホバ=ヤハウェではないか、あるいはユダ族を意味する「ヤフダ」ではないかなどの説がある。泰氏が作った神社には、ユダ族のシンボルマーク・獅子を狛犬として置いた。

だからといって、応神天皇も古代イスラエル人なのか?まではわからない。北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたのは紀元前720年頃、南ユダ王国がバビロン捕囚されたのが紀元前597年(第一次)、紀元前586年(第二次)。この間に「失われた10支族」がシルクロードを渡り、朝鮮半島を経由し、信仰を守る地を求めて日本にたどりついたというストーリーは、荒唐無稽なものではない。

果たして日本の大王(おおきみ)の出自は?「ミカド」とは、ヘブライ語で「ガド族の者」という意味らしいが。

このサイトに答えがあった。

1) 失われた10部族と日本
 前号までに書いたが、北王国イスラエルの「失われた10部族」のうち、王家であるエフライム族が最初に日本に到達し、天皇制と神道を作った。歴史的にも、イスラエル王国の滅亡が紀元前722年、神武天皇即位が紀元前660年であり、時間の流れも矛盾しない。そして4~5世紀には、秦氏が日本にやってくる。秦氏は、多大なる文化的貢献をし、いわゆる日本らしさを作った氏族である。養蚕、機織、灌漑、治水、冶金などの技術、そして雅楽などの日本芸能、和紙、日本酒もそう、祇園祭を始めたのも彼らである。そしてエフライム族が作った神道を発展させ、神社を整備した。伊勢神宮の創建にも尽力したのは前述した。稲荷神社はイエス・キリスト神社、八幡神社や八坂神社はヤハウェ神社であった。それらの神社だけでも日本のほとんどの神社を占める。その秦氏も「失われた10部族」であり、ガド族、ルベン族、そしてマナセ族であった。イスラエルからクリミア半島を経由して、シルクロードを東に進み、中央アジアのキルギスではマナセ族の一部がその祖先となった。

ビンゴ!
天皇のルーツはエフライム族ということだ。朝鮮半島の倭人の多かった加耶族ではない。ただ半島から侵攻や蘇我氏殺害などがあり、天武天皇の皇位簒奪にまで至ったのかもしれない。

ヤマトゥは、当時の秦氏が、そこに住んでいた時に、自身を呼んでいた呼称であろう。中国人たちは「弓月」と言ったが、彼らは「ヤマトゥ」と呼んでいた。Japanと日本のようなものである。それに「ヤマトゥ」とは、ヘブル・アラム語で、「ヤー・ウマトゥ」であり、「ヤハウェの民」の意味でもある。

ワクワクするなぁ。次に書くが、諏訪大社にも旧約聖書との不思議な一致がある。ユダヤ教のラビも失われた10支族に注目し、諏訪大社を訪れている。かつてピューリタンがアメリカ大陸に渡ったように、信仰をつなぐために古代イスラエルが日本に大量に移住し、祖先の大王(おおきみ)の保護を受けて、信仰の根を下ろしたのだろう。

 最後に、これはわたしの勝手な空想である。ユダの杖とエフライムの杖が、一本にまとめられるときとは、日本からユダヤの至宝、失われた「契約の箱」(アーク)が発見されるときではないだろうか? 一部の事情を知る、影の存在の者たちにとっては、わかっていることなのかもしれないが、「そのとき」、つまりは「終末の時」が来るまで、決して人々に見つからないように隠し続けているような、そんな気がしてならない。

時至れば、見つかるはずだ。
神の言葉が刻まれた三本の石柱のうち、二本が伊勢神宮に埋まっているそうなので。一本は白頭山だとか。しかし、掘り出す許可など下りるはずはないので、天変地異でもないと見つからない。

伊勢白山道によると、遷宮が今の形で行われるのは今回が最後とのことなので、人類歴史を塗り替える大発見は、この20年のうちに現実のものとなるに違いない。しかし、その前に地球規模の地殻変動、つまり地震や津波、火山の噴火、太陽活動による災害などを通過することになるだろう。後世の人々は「神の怒り」と呼ぶかもしれない。地球の魂がリセットをしたくなるほど、この人類文明は神を否定し続け、愚かな争いを繰り返し過ぎたゆえ。

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古代イスラエルと日本の関係(2)ヘブライ語との類似

(Wikipedia)ヘブライ語とは

この言語の一般的な名称として使われているヘブライの名は、ユーフラテス川を越えて移住する人たちのことを総称してヘブル人と呼んでいたことに由来する。今から紀元前3000年頃にカルデヤのウル(現在のイラク)からカナンの地(現在のパレスチナ・イスラエル)に移住したとされるアブラハム一族と、その子孫である人々が他称としてヘブル人、ヘブライ人などと呼ばれるようになり、彼らが使う言語がヘブル語、ヘブライ語と呼ばれる。

特徴としてアラビア語と同様に、この言語は文章で書くときは右から左に書く。またヘブライ文字はアラム文字に由来するため、日本語や英語などと違って、子音を表す表記はあっても、母音を表す表記はないことが多く、言語の習得にはある程度の慣れが必要である。

<君が代>
日本語   ヘブライ語  ヘブライ語の意味
君が代は  クムガヨワ   立ち上がる
千代に    テヨニ    シオンの民
八千代に  ヤ・チヨニ   神・選民
細石の    サッ・サリー 喜べ・人類を救う、残りの民として
巌となりて イワ・オト・ナリァタ 神・予言・成就する
苔の生すまで コ(ル)カノ・ムーシュマッテ 全ての場所・語られる・鳴り響く  

人類の救いの預言成就の詩ということになるだろうか。
こじつけだとしても、行間に隠された暗号のようで面白い。

<伊勢音頭>
  ササーヤートコセー
  ヨーイヤナーアーヤァリャ
  コレワイセコノナンデモセー

伊勢音頭は、ヘブライ語の旧約聖書・出エジプト記・ミリヤムの詩から来ている。意味は

  汝ら喜べ喜べ
  エハボは仇敵を投げ給えり
  エハボは憐れみ深く存すなれ
  我エハボを称え祭らん
  彼呼び出しかつ救い給えり
  彼立て給えり 指導者モーゼを

<共通する言葉>
 カク     書く
 トル     取る
 スム      住む
 ホレブ     滅ぶ
 ハラー     祓う
 ハケシュ   拍手
 アタ     あなた
 バレル    明らかにする
 ホル     穴
 コオル    寒い
 ミツ     果汁
 ヘスル    減らす
 ダベル    話す
 ヤドゥール  宿る
 タベレ    食べる
 ノム     飲む
 サッケ    酒
 ウムアイ   旨い
 ハタラク   働く
 オドラル   踊る
 ウヤマウール 敬う

 エルサレム:平和な都(平安京)
 ガリラヤ湖 :ハープ(琵琶湖)

 SheMo シュモー 相撲
 HakeH ハッケ   投げよ
 YoHY   ヨイ   やっつけよ


日本では10を数えるのに用いられる事がある
”ひい・ふう・みい・よう・いつ・むう・なな・やあ・ここの・とう”
と言う言葉。
ヘブライ語がその語源だとすれば、
HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAW
と記載され(発音は少し違うのですが)その意味は
誰がその女神を出すのやら。誘うのに如何に言葉を掛けるやら。

女神を天照大神と考えれば、天岩戸伝説の時の祈りの言葉と理解できる。これはギリシャ神話とよく似ていて、姉のデメテルに対し、弟ポセイドンが乱暴狼藉を働くという話。もとは宇宙の神が一つであり、階層が下がって行くに従って神々が個性を帯びていくのだから、神話の世界に共通点があるのは当然だと思う。

日本の「ひぃふぅみぃよぉ・・」がアマテラスを呼ぶ隠れた言霊になっていたとすると、それが発動される時こそ物質文明が終わり、太陽神が人間の心にすでにおられたことを人類が気づく時なのかもしれない。

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2013年3月 9日 (土)

古代イスラエルと日本の関係(1)共通点

まず「ユダヤ」とは、北イスラエルの10支族と南ユダ王国のユダ族・ベニヤミン族のうち、バビロン捕囚となった南のユダ族の末裔が後の「ユダヤ人」となったとされる。ゆえに混同を避けるために、失われた10支族を含め、「古代イスラエル」と称するほうが正確と思う。

イスラエル12支族の各シンボルマーク

Israel12mark


日本の神道と古代イスラエルの信仰が密接に関わっているのは、その共通項の多さから否定できない。


●伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路(御幸通り)の両側に並ぶ石灯籠(合計約700基)には、不思議なことに「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれている。

これは戦後神道指令を出したGHQが、石灯籠にこの紋章を入れるよう指示したものらしい。しかし、伊勢の奥宮・伊雑宮の社紋はもともとダビデの紋章(カゴメ紋、六坊星)である。
ちなみにダビデの紋章のある長野県にある皆神神社はぶっ飛んでいて、神社の看板には「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」と書いてある。今年こそ行きたい。

看板には何と書いてあるか。

◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山山塊だけが非常に軽く負の重力異常塊となっています)
 
◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ、この磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる<天の羅摩船>等がこの飛行体です。

昨年見つけた時はひっくり返ったけれど、大本教と関係していたりするので、なんらかの啓示があった・・のか?まあ、宇宙年表まで見える伊勢白山道の霊視を毎日違和感なく読んでいる私としては、「あ~白山王朝の存在した太古は天の鳥船を駆使する先進文明王国だったらしいから、案外本当かも~」ということで、書いておきたくなった。

また共通点として、皇室の菊の御紋と同じ紋章がエルサレムの城壁にも彫られている。十六弁と十二弁があり、明治神宮では十二弁が使われ、イスラエル十二氏族を表す。

●ユダヤ人の宗教的な行事で日本と最もよく似ているのは 「過越(すぎこし)祭」である。

由来は、モーセの出エジプトの際、神はエジプトに10の災いをもたらすと告げた。10番目がエジプト人の長男が死ぬというもの。イスラエル選民が災いを逃れるために、小羊をほふって 、その血を家の入口の二つの柱とかもいに塗りつけるよう神は命令した。種入れぬパンを焼いて、夜通し起きているようにと。そしてイスラエル選民には災いは「過ぎ越し」て行った。現在も新年の祭りとして七日間続く。日本人は餅を食べ、松の内は七日間である。

「災いの過ぎ越し」といえば、伊勢には玄関に「蘇民将来子孫家門」の注連縄を一年中掲げている家が多い。そのいわれは、むかしむかし牛頭天王という人が竜宮城に行く途中で宿を借りようとするが金持ちは泊めてくれず、貧しい蘇民将来が親切に泊めてくれた。そこでお礼に宝物の珠を渡したという民話から来ている。この飾りには、子羊の血を表すように蜜柑などの赤い飾りをつけている。

注連縄や紙垂(しで)も、古代イスラエルの信仰に関係する。つまり荒野の移動式祭壇・幕屋は神輿にそっくりであり、神の現れ方を雲=注連縄、稲妻=紙垂、轟=ドラと鈴で象徴している。

<牛頭天王とは何者か>

日本の祇園信仰の神社(津島神社など)では、牛頭天王・スサノオを祭神とする。渡来人の牛頭天王はスサノオの魂を持ち、京都近辺の人々に歓迎された。牛頭天王が新羅から来たとかイスラエルから来た等々、推測は可能だが、ここはズバリ、モーセその人だったと推測しておく。伊勢白山道は、モーセが神に「東の最果ての地に行け」と命じられ、日本に長く滞在していたと断言していたので、え~~!?と思ったが、牛頭天王を祭る八坂神社に行くと「天主」の祠があったり、祇園祭りそのものがイスラエルのシオン祭りと酷似しているので、あながちトンデモではない。というか、祇園祭りがシオン祭りを模した祭りになっている。町中を練り歩く山鉾には、ピラミッドやラクダ、旧約聖書の「イサクの嫁選び」などのオリエンタルな絵がたくさん。祇園祭のルーツが紀元前7世紀とすると、やはり大王(天皇)との関わりを思わざるを得ない。

イラクのバグダッド宮殿

Gionmaturi


●神社につきものの「鳥居(とりい)」は、外国人のみならず日本人自身にも説明がつかない代物である。

「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である
ユダヤ人が見れば即座に理解できるそうだ。

●古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造は、驚くほど酷似している。


●日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりもライオンであるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。

●現在でもユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。

●古代ヘブライの祭祀レビ族は、みな白い服装をしていた。非常にゆったりとした和服のような服で、そで口には「リンネ」と呼ばれる房が付いていた。もちろん「ヒラクティリー」も使用していた。

●伊勢神宮には三種の神器のひとつである「八咫の鏡」があるというが、本物は誰も見たことがなく、その写しである皇室の神鏡にはヘブライ語が書かれているという。

まだまだあるので、日本とヘブライの共通点にて豊富な写真と共にご確認ください。

続く

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2013年2月22日 (金)

大和朝廷はどこにあったのか。任那日本府(倭府)は実在していた。

◆邪馬台国はどこにあったのか。

邪馬台国と卑弥呼の謎」著:中江克己氏
想像力をかき立てられて一気に読んだ。中江氏は魏志倭人伝を中心に検証していく中で、卑弥呼の邪馬台国の北九州説と奈良説を紹介しているが、無理にどちらか一つに決める必要はないと思った。

なぜなら大和朝廷が国内を統一したのは350年頃とされ、卑弥呼はその100年前くらいのシャーマンである。魏志倭人伝に記されている経路や、また金印発見が博多湾沿岸だったこと等考えて、卑弥呼を中心とする統治形態が北九州にあったことは間違いない。ゆえに卑弥呼の時代を第一期大和朝廷、大王(天皇)中心を第二期大和朝廷と呼んでも差し支えないと思う。

折しもBSイレブンの「グレースオブジャパン」は、今回は橿原(かしはら)神宮を紹介していた。
橿原神宮lは「初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、明治23年(1890)に建てられました」という神宮であり、後ろの畝傍山の麓に神武天皇の橿原宮跡があったとされる。日本書紀では、最初から大和朝廷は畿内にあったということになる。

神武天皇の実在性は証明されていない。10代の崇神が初代という説もある。私が注目するのは、大和三山に囲まれたこの地に持統天皇が藤原宮を遷都したということ。大和三山とは天香具山(あまのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)。
日本書紀が天武天皇の時から編纂を始めたということから推察し、藤原不比等の捏造あるいはこじつけがあったとして、藤原宮は正統性を強調する必要があったのではないか。神武天皇を初代にする必要があったため、橿原宮と藤原宮を同じ場所に置こうとしたような意図を感じてしまう。

万葉集では「香久山は 畝傍を愛(を)しと 耳成と相争ひき神代より  かくにあるらし  古昔も然にあれこそ  うつせみも嬬を争ふらしき」と詠まれ、三つの山を擬人化して恋敵になったとしている。これは中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の事だとする説がある。
また持統天皇は「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」という有名な歌を詠んだ。天香具山の南麓には天岩戸神社がある。

天武天皇の遺志を継いで持統天皇が藤原京遷都をしたのは694年。7世紀半ばから8世紀にかける150年の間に、実に13回の遷都が行われたという。5世紀前半に作られた仁徳陵は大阪にあるので、古墳時代の応神天皇は、すでに九州にはいなかったはずである。

同じ奈良県の三輪山の麓、桜井市の巻向地区にある纒向遺跡との関係はわからない。遺跡の中心にある箸墓古墳がなぜ「箸」なのかは、崇神天皇と倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)と大物主神との逸話にあるが、これが卑弥呼の墓ではないかという説がある。しかし、倭国大乱の後に立てられた卑弥呼ではない。年代が合わない。卑弥呼の後を継いだ親族の台与がヒミコ(日巫女)の墓でもない。ここは古事記・日本書紀にあるとおり、崇神天皇の大伯母の倭迹迹日百襲媛命の墓としておきたい。

とすると、大和朝廷は10代崇神天皇(前97-前30)の時代には奈良県の三輪山に移っていたのか、あるいはもともと居たのか・・・。崇神天皇が日本各地に地方官のような人材を派遣した軌跡を見ると、畿内のほうが信憑性がある。神功皇后も畿内から三韓出兵したとされる。

結局、天孫天照大神を卑弥呼と同一人物としてしまうから混乱するのであって、高千穂に降臨した天照と出雲に国譲りを迫った天照は、一つの太陽信仰の霊格を示す名称であって、実際に渡来してきたのは同じ集団ではなかったと考えるほうが合理的である。あるいは天照が九州を留守にして出雲に直接遠征していったのか?ちょっと違う気がする。伊勢白山道の霊視によると、九州とは違って出雲では想像を絶する民族浄化のようなこともあったとか・・・。伊勢白山道はムー大陸と呼ばれる浮島が実在していて、太陽神としての天照大神を信仰していたとも言っていた。参考までに。

皇国史観では「日本は神国であり,皇祖天照大神の神勅(〈天壌無窮の神勅〉)を奉じ,〈三種の神器〉を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたとする」。しかし、これをそのまま信ずる必要はない。太陽信仰族の征服物語ということだろう。ただし王朝交代があったとしても、長き歴史において祭祀長たるその価値に揺るぎはない。

◆任那の倭府の実在性について

年表には391年に「大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける」とあるので、仁徳天皇の時代である。ちなみに高句麗はツングース系の扶余族の朱蒙が建国。

「邪馬台国と卑弥呼の謎」から引用させていただく。

さらに『魏志倭人伝』は、馬韓は西にあって、五十余国あること、辰韓は馬韓の東にあり、十二国あること、弁辰(弁韓)はその南で、やはり十二国にわかれていた、と記している。弁辰十二国のなかに「弁辰狗邪国」があるが、これが『魏志倭人伝』では「狗邪韓国」として登場する。古くから日本列島と弁韓とのかかわりは深く、のちに『日本書紀』には「任那(みまな)」として登場するが、「加耶」とも称された。近年、調査研究が進み、この狗邪韓国は現在の釜山の西、洛東江近くの金海郡にあったのではないか、という説が有力だ。金海地域には実際、石器時代以来の遺跡が多い。

日本列島の弥生文化との関わりが遺跡に見られるというのである。もともと交流が盛んだったが、倭人が朝鮮半島に渡り、金海地域に弥生文化を伝えたと思われる痕跡も種々発掘されている。

神功皇后の三韓征伐以後、その皇子である応神天皇が立ち、仁徳天皇に引き継がれて現・釜山近郊の金海に倭府を開き、拠点としたことは事実だった。韓国からの抗議によってなぜ教科書を書き換えなければいけなかったのか理解不能である。

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2013年2月19日 (火)

任那の倭府は大和朝廷の出先機関だった

◆任那は金官加羅(加耶)


4世紀末の朝鮮

任那は金官加羅を指す。

414年に高句麗が建立した広開土王碑文にある「任那加羅」が史料初見とされている。
Wikipedia
『日本書紀』では加羅と任那が併記される。

任那日本府の称は、国号が日本と定まった後世に呼称されるようになったものであり、任那日本府が存在したとされる時代にあっては、倭府と称したとみる向きもある。

言うなれば倭国の出先統治機関であった。

日本府の構成員は倭から派遣された地方長官である府卿、府臣、執事の三階があり、在地倭人がこれに任じられたとされる。

大和朝廷にとってなぜ加耶が重要拠点だったかというと、資源の宝庫だった。「中国の三国志には弁辰(伽耶)からの鉄が、韓、穢(ワイ)、楽浪郡、帯方郡にまで、供給されていると書かれている」と。

以下、重要な内容。


金官伽耶の王家は、3世紀半ばに伽耶の「主浦村(しゅほそん)」という小さな村から出ている。この「主浦」は古代朝鮮語では「ニムナ」と発音されていた。これが金官伽耶の別名ともなり、日本では金官伽耶を「任那」と呼んでいた。

任那の倭府が大和政権とリンクしていたことをうかがわせる。このサイトでは、欽明天皇が加耶出身としている。

好太王碑文では、この連合体は倭国が指導的に組織し、高句麗に攻め込んだと記述されている。韓国の歴史家は、これを百済が中心になり組織したと主張している。筆者は、好太王碑文面「倭は海を渡ってきて百済や新羅などを臣民とした」という内容からして倭国が指導的に組織したと見ている。

つまり、3世紀におきた百済、新羅、伽耶の国家は、少なくとも4世紀までは朝鮮を代表する国家ではなく、北の高句麗に対峙するため大和政権に依存していた。この時期の朝鮮を代表する国家はあくまで高句麗であった。

「日韓併合」の根拠とされる理由がここにある。後進国を束ね、近代化を急ぎ、列強に対抗しようとした構図とそっくりである。

高句麗は騎馬民族であり、4世紀に高句麗=高麗(コマ)が列島に流入して朝廷と和し、大きな勢力基盤を築いた。関東にも「コマ」の痕跡がたくさん残っている。

◆5人の倭王

魏志倭人伝では「邪馬台国王」、5世紀の宋書では「倭国王」として記述される。中国名として記されているが、「日本書紀」から読み解くと

・讃 → 履中天皇
・珍 → 反正天皇
・済 → 允恭天皇
・興 → 安康天皇
・武 → 雄略天皇

となるという。つまり仁徳天皇の時にはすでに大和朝廷が北九州から畿内に移っていたと。たぶん履中天皇の祖父・応神天皇の時になんらかの王朝交代があったのでは?仲哀大王→神功皇后の不自然な出産にまつわる逸話、熊襲との戦い、この過程が空白なのである・・・。

神功皇后が産んだのが応神天皇。そして日本各地の八幡神社は応神天皇をお祭りしている。八幡神とは何か?

応神天皇と八幡神社を参考にどうぞ

八幡はヤハタ、ヤハウェ、失われたユダ族を意味する「ヤフダ」、‥‥応神天皇の諡号は「ホムダワケ」であるが、古代ユダヤ語で解くと「新しい神殿を立ち上げよ」となる。その神殿を立ち上げたのが、謎の多い泰氏一族。

話がややこしくなるので、古代ユダヤの関係は別項で。

◆任那の倭府を認めない韓国。抗議を受けて日本の教科書から消された。

朝鮮半島に話を戻すと、古代朝鮮は他民族の部族社会と小都市の集まりであって、支配層は高句麗だった。高句麗は扶余系であり、倭人もいた。倭人とは現在の日本人とは限らず、華南の「越」人だという。倭と韓の連合体が形成されていたと考えると合点がいく。

韓国側の「日本領など絶対認められない」という感情論もあると思うが、古代も日本に占領されていたと被害妄想するからおかしなことになる。複数の史実に書かれていたものの存在自体を消すことはできない。

全羅南道順天雲坪里(チョンラナムド・スンチョン・ウンピョンリ)の古墳群で、日本の「任那日本府説」の虚構を立証する遺物が大量に出土した。一部の日本の学者が主張してきた「任那四県」地域で、大伽耶系の遺物だけが出土し、日本系の遺物は全く出てこなかったからだ。

だって加耶系だったのだから不思議ではない。このように一生懸命日本の捏造と言っているのだが、天皇が加耶系(だたし朝鮮民族とはDNAの違う倭人)と言ったら心臓麻痺でも起こすだろうか(笑)

もちろん証明する術はない。

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