« 古代イスラエルと日本の関係(2)ヘブライ語との類似 | トップページ | 古代イスラエルと日本の関係(4)シュメール人との 関係 »

2013年3月12日 (火)

古代イスラエルと日本の関係(3)神道の原型は古代イスラエル

日本書紀の真実に近づくには、泰氏の出自を解くことによって、神道・天皇はどこから?という最大のミステリーに迫ることができるはずである。

神道・天皇が朝鮮半島から来たという説も間違いではない。ただし経由地としてである。任那(加耶)にも倭人がいて、人と物の交流も盛んだった。衛氏王朝が滅ぼされて倭国に逃れ、なんらかの権力闘争あるいは誓約があったかもしれない。半島由来の古墳や文化など倭国は柔軟に受容している。「失われた4世紀」の頃に高句麗の騎馬民族が来たことも間違いない。

加耶から帰ってきた「昔国の男」という意味の少彦名命が、故郷出雲で大国主命の国作りに貢献した事実から推測して、その後に国譲りを迫った「天津神」もまた半島から権力闘争に敗れた一族が新天地を求めて来たと私は考えていた。しかし、その天津神が大和朝廷の中心人物とは限らないではないか。

ただの権力闘争でその土地を奪ったところで、信仰に裏打ちされた血統を重んじる権威が長き歴史に渡ってかくも敬われ、存続するだろうか。奪われたほうの建御名方命の一族は諏訪地方で第二出雲王朝を開いた。ところがそれ以前に諏訪地方には古代イスラエルの足跡がある。摩訶不思議。

なぜ天孫降臨伝説が高千穂と出雲にあるのか?神武東征にあるように、天孫は九州に降り、日向の高千穂から東に行軍し、八咫烏に導かれて奈良の橿原宮に朝廷を開いたと考える方が自然である。とはいえ神武天皇が初代とは断定できない。

竹内文献では、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があった」という。


しかし、のちの調査によれば、竹内文献には、じつに四百種類もの神代文字が伝わっており、竹内文献研究家の竹田日恵氏は、現代の世界各国の文字で、漢字とひらがなを除く表音文字のすべてが、この日本の神代文字から派生したものではないかと云う。
古代エジプトや、中東ヒッタイトの象形文字、ヘブライ文字からハングル文字、果ては、 ABCのアルファベットに至るまで、世界の表音文字のすべての文字の原点が、 じつは日本の神代文字にあるというのだ。

人類最古の文明が日本の白山王朝だったと伊勢白山道が明かしているので、さもありなん。ウガヤと言えば朝鮮半島の「上伽那(ウガヤ)」を指すと思われるが、神武天皇=崇神天皇という説も有力であり、崇神天皇の皇后が「御間城姫(ミマキヒメ)」という名前であることから「任城の姫」、つまり任那倭府から日本列島に渡ってきた(帰ってきた)と考えられる。さらに神武天皇より以前に天神7代が大王として存在していたという。さて、大王のDNAは朝鮮か縄文人か古代イスラエルか?ここは疑問符のままにしておこう。

朝廷が定まったのが応神天皇の頃、すなわちキリスト教のネストリウス派のユダヤ人・泰氏が渡来した頃と一致する。泰氏の出自には諸説あるが、佐伯好郎氏の日ユ同祖論を参考にする。ただ同祖ではなく、縄文時代に流入して融合していったということだろう。古代イスラエル人は、大陸や朝鮮半島にも入っている。

最も重要な鍵は、大王(天皇)とは神道の祭祀長であること。泰氏は神社を作り、神道の基礎を作ったのである。倭国大乱をおさめた卑弥呼のシャーマニズム(道教の影響)とは異質である。そして朝鮮には神道の原型となる信仰はなかった。そこで導かれる結論は、シュメール人・古代イスラエル人が朝鮮半島を中継して倭国に大挙して入り、大王の保護を受けながら信仰の桃源郷を築いた。神道=天皇=朝廷の確立に最も大きな働きをしたのが泰氏だったということだ。

古文書によると、応神天皇の時代に泰氏一族が大挙して渡来してきた。八幡神社に祭られる応神天皇と泰氏の関係は、その元の呼び名・ヤハタからエホバ=ヤハウェではないか、あるいはユダ族を意味する「ヤフダ」ではないかなどの説がある。泰氏が作った神社には、ユダ族のシンボルマーク・獅子を狛犬として置いた。

だからといって、応神天皇も古代イスラエル人なのか?まではわからない。北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたのは紀元前720年頃、南ユダ王国がバビロン捕囚されたのが紀元前597年(第一次)、紀元前586年(第二次)。この間に「失われた10支族」がシルクロードを渡り、朝鮮半島を経由し、信仰を守る地を求めて日本にたどりついたというストーリーは、荒唐無稽なものではない。

果たして日本の大王(おおきみ)の出自は?「ミカド」とは、ヘブライ語で「ガド族の者」という意味らしいが。

このサイトに答えがあった。

1) 失われた10部族と日本
 前号までに書いたが、北王国イスラエルの「失われた10部族」のうち、王家であるエフライム族が最初に日本に到達し、天皇制と神道を作った。歴史的にも、イスラエル王国の滅亡が紀元前722年、神武天皇即位が紀元前660年であり、時間の流れも矛盾しない。そして4~5世紀には、秦氏が日本にやってくる。秦氏は、多大なる文化的貢献をし、いわゆる日本らしさを作った氏族である。養蚕、機織、灌漑、治水、冶金などの技術、そして雅楽などの日本芸能、和紙、日本酒もそう、祇園祭を始めたのも彼らである。そしてエフライム族が作った神道を発展させ、神社を整備した。伊勢神宮の創建にも尽力したのは前述した。稲荷神社はイエス・キリスト神社、八幡神社や八坂神社はヤハウェ神社であった。それらの神社だけでも日本のほとんどの神社を占める。その秦氏も「失われた10部族」であり、ガド族、ルベン族、そしてマナセ族であった。イスラエルからクリミア半島を経由して、シルクロードを東に進み、中央アジアのキルギスではマナセ族の一部がその祖先となった。

ビンゴ!
天皇のルーツはエフライム族ということだ。朝鮮半島の倭人の多かった加耶族ではない。ただ半島から侵攻や蘇我氏殺害などがあり、天武天皇の皇位簒奪にまで至ったのかもしれない。

ヤマトゥは、当時の秦氏が、そこに住んでいた時に、自身を呼んでいた呼称であろう。中国人たちは「弓月」と言ったが、彼らは「ヤマトゥ」と呼んでいた。Japanと日本のようなものである。それに「ヤマトゥ」とは、ヘブル・アラム語で、「ヤー・ウマトゥ」であり、「ヤハウェの民」の意味でもある。

ワクワクするなぁ。次に書くが、諏訪大社にも旧約聖書との不思議な一致がある。ユダヤ教のラビも失われた10支族に注目し、諏訪大社を訪れている。かつてピューリタンがアメリカ大陸に渡ったように、信仰をつなぐために古代イスラエルが日本に大量に移住し、祖先の大王(おおきみ)の保護を受けて、信仰の根を下ろしたのだろう。

 最後に、これはわたしの勝手な空想である。ユダの杖とエフライムの杖が、一本にまとめられるときとは、日本からユダヤの至宝、失われた「契約の箱」(アーク)が発見されるときではないだろうか? 一部の事情を知る、影の存在の者たちにとっては、わかっていることなのかもしれないが、「そのとき」、つまりは「終末の時」が来るまで、決して人々に見つからないように隠し続けているような、そんな気がしてならない。

時至れば、見つかるはずだ。
神の言葉が刻まれた三本の石柱のうち、二本が伊勢神宮に埋まっているそうなので。一本は白頭山だとか。しかし、掘り出す許可など下りるはずはないので、天変地異でもないと見つからない。

伊勢白山道によると、遷宮が今の形で行われるのは今回が最後とのことなので、人類歴史を塗り替える大発見は、この20年のうちに現実のものとなるに違いない。しかし、その前に地球規模の地殻変動、つまり地震や津波、火山の噴火、太陽活動による災害などを通過することになるだろう。後世の人々は「神の怒り」と呼ぶかもしれない。地球の魂がリセットをしたくなるほど、この人類文明は神を否定し続け、愚かな争いを繰り返し過ぎたゆえ。

|

« 古代イスラエルと日本の関係(2)ヘブライ語との類似 | トップページ | 古代イスラエルと日本の関係(4)シュメール人との 関係 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/108393/56938860

この記事へのトラックバック一覧です: 古代イスラエルと日本の関係(3)神道の原型は古代イスラエル:

« 古代イスラエルと日本の関係(2)ヘブライ語との類似 | トップページ | 古代イスラエルと日本の関係(4)シュメール人との 関係 »