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2013年3月15日 (金)

古代イスラエルと日本の関係(5)諏訪大社の不思議

◆旧約聖書の神

イスラエル選民の血統はアブラハムを起点とする。(稿を改めて「血統を重んじる選民」について書くつもり)

その信仰形態だが、「生け贄」をする。要するに農作物だけでなく動物を殺して神に捧げる儀式を行う。モーセの過ぎ越しの祭りでも羊を殺し、その血を扉に塗った。モーセにカナンの地を目指せと命じた神は、行く先々の地で異教の神に染まらぬようその地の民を皆殺しにせよと命じたりする。

なんという無慈悲な神(汗)
アブラハムにいたっては、ある事柄を咎められ、正妻がやっと授かった愛しい息子・イサクを捧げよと命じられる。殺そうとした寸前に神の使いの天使が「私のために自分の子さえ惜しまぬおまえの信仰を今知った」と止める。使命の大きな者ほど試練も大きいと解釈しておく。

日本書紀と同様に、旧約・新約聖書は字句どおりに解釈するのは危険な箇所がある。まあどこにでも「ホントのところ」「裏話」というものがある。新約は特に後世の歪曲も見られるという。まあ、いろんな宗派があるので聖書について深く書くのはやめる。

牛頭(ごず)天王にしても、同じ牛頭でも牛頭魔神がいたり人頭牛身=くだん(件)という妖怪がいたりする。伊勢白山道の解説では、牛頭天王はモーセ=スサノオの7段目(9段目だったか?)であって創造神につながる。要するに、同じ名前でも創造主と被造物として明確に違う次元のものである。

この次元の違いを理解しないと、善悪二元論に陥ってしまう。神が善しとするものは、必ずしも人間の価値観と同じとは限らないのである。なぜ神は悪を許すのか、人類をこんな酷い目に遭わせるのか、神も仏もない、などと全能の神をまるで「私の幸せ」のために使役するかのような発想をする人がいる。悪に落ちたのはルシファー自身であるし、神に背いたのも人間自身の責任である。堕落行為には正神は関与できないことを覚えておきたい。

神ご自身が「感謝する」存在だから、神は、人間がどんな苦難の中にあっても感謝する心に寄り添われる。自分が孤独を感じた時、「ああ、神はもっと孤独だったのだ・・」と思いやってみよう。神は近づくだろうか、離れるだろうか。すでに神様ご自身が私の中にいらっしゃったことに気づくのではないだろうか。自分を卑下することは、自分に宿る最高神を傷つけることである。

父と子と精霊の三位一体は、神道では天之御中主尊・国常立大神(地球霊)・天照太神(本来は神ではなく神とのこと)ということになるだろうか。今の時代、最強のフトノリトは、母性の愛を表す「アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ」と二回繰り返すのだそうだ。(大祓祝詞の秘密だった部分)

さて、ヒトラーに憑依して預言させたのは牛頭魔神。バール神がその正体。牛頭天王と呼ばれたモーセは、金の仔牛の像を拝する偶像崇拝をしてはならぬと厳しく戒めていた。

◆日本にはフェニキア人も渡来

またフェニキア人は、当時スペインやフランスに居住していたケルト人と、鉱山開発や貿易を通じて協力関係にあった。ケルト人は、ドナウ・ライン・セーヌ・ロワール川などの河川を利用した交易集団でもあった。フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、エジプト人やギリシャ人などが混在する多民族混成旅団だった。

 しかし彼らには共通の信仰があった。セム語で「主」を意味する牛の神バールである。クレタのミノッソス、エジプトのイシスも牡牛に象徴される。ユダヤ王ソロモンの玉座には、黄金の仔牛アモンが刻まれ、ゾロアスター教のミトラ神の原型もバール神である。

バール神は生け贄を好む悪魔ということでいいのか。イルミナティはどこかの城で生け贄を捧げて血をどうのこうの・・という話を聞くが。サタニストも同時進行で天使の顔あるいは権力者の顔をして生きているのだなぁ。ブッシュパパの正体には驚愕したが・・。しかし、当時も今も本来の純粋培養の信仰を求める一団もいたはずだ。同じ牛でも次元が違うように。

以下大事な箇所なので、ちょっと長めに引用

 おそらくフェニキア船団員は、現在「糸魚川・静岡構造線」として知られている断層線に沿って、金銀銅鉄などの鉱脈を探していたのだろう。鉱山師は川筋の鉱物を見てあたりをつけ、鉱脈を探すという。水窪石は、その為の願かけだったのかもしれない。
 水窪から天竜川を源流まで遡ると、信濃国諏訪湖がある。この周辺は良質な粉鉄こがね(砂鉄)の産地だった。出雲神話で大国主命の国譲りに反対した息子の建たけ御名みな方神かたのかみは、建たけ御雷之みかず゜ちの男神おかみとの相撲に負けて諏訪へ逃げるわけだが、当時から出雲国の重要拠点だったのだろう。
 鉄が日本史に登場するのは2~3Cの古墳時代だが、紀元前1800年頃からトルコのヒッタイトで使用されていたわけだから、フェニキア人たちが知らないはずはない。アムートゥという鉄は、エジプトとの間で金の5倍、銀の40倍の価格で取引されていた。お宝を探し当てたフェニキア人たちが、諏訪に住みついたと想像してみたくなる。諏訪大社南方に守屋山という名の山があるが、創世記22章の「アブラハムがモリヤ山で息子イサクを生け贄として神に捧げた」という、ユダヤ的なエピソードを連想させる名前である。

バール神を調べていて、思いがけず諏訪大社のモリヤ山(山が御神体)信仰が出てきた。

ここでは出雲王朝の構成員は「殷王朝亡命難民」としている。BC1046年だからかなり古い。フェニキア人は、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に古代オリエントの海洋文明を築いていた。

アブラハムを信仰の祖として尊重しつつ、次に進む。
「フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、エジプト人やギリシャ人などが混在する多民族混成旅団」が国譲り物語のはるか以前に鉱山を求めて進出していたと。建御名方命が諏訪地方に拠点を定めるに当たって、地元ではすでに土着の神と信仰があった。結局建御名方命が打ち破って第二出雲王朝を立てるわけだが、土着の信仰を滅ぼすようなことはしなかった。ここが旧約の皆殺しの神とは違うところ。

◆諏訪大社に祭られる神

神道集(日本の中世の説話集・神道書)には、諏訪明神の言い伝えとして、甲賀三郎が出てくる。三郎は大蛇になってしまうのだが、それが「蛇信仰」となっていく。神のエネルギー体が蛇のように動くことを霊視したという説もある。
諏訪大社は建御名方命を祭るが、地元では諏訪大明神といえば「ミシャグジ」様である。その神は、柱を依り代とする土地の精霊とされる。守矢山をご神体として拝する形式で、神社は本殿がない。
付近には縄文遺跡が多く、クシナダ姫の父母を祭るという手長神社、足長神社もある。

特筆すべきは、諏訪大社の奇祭・御柱祭りなのだが、それだけではない。

御頭祭について
臨場感があるので、そのまま引用する。

それは金刺氏が大祝家を世襲したという諏訪大社に伝わる日本有数の奇祭,御頭祭です。諏訪大社には多くの由緒正しい神社がそうであるように資料館があります。その名は守矢史料館。そこで入手できる栞には,御頭祭の鹿を貢ぐ祭事,御杖柱などについて更に詳しく記されています。それは今から220年前にこの地を訪れた菅江真澄翁(江戸時代後期の高名な文化史研究家)が御頭祭に立会った時の記述を,信濃教育出版部発行の「菅江真澄の信濃の旅」から引用し,栞に紹介しています。以下がその要約です。

十間廊には鹿の頭が75頭,真名板の上に並べられていた。その中には耳の裂けた鹿がある。・・・やがて神長が篠の束を解き,篠をバラバラにしてその上に敷く。その時長さ五尺あまり,幅は五寸ほどで先のとがった柱を押し立てる。これを御杖とも御贄柱(おにえはしら)とも言う。御神(おこう)と言って八歳くらいの子供が紅の着物を着て,この御柱に手を添えさせられ,柱ごと(おそらく子供も一緒に)人々が力を合わせてかの竹の筵(むしろ)の上に押し上げて置いた。下位の神官が待つ。そこへ裃を着た男が藤刀抜き放って神長官に渡す。(中略)・・・神楽が止んだ。例の子供を桑の木の皮を縒り合わせた縄で縛り上げる。その時男達は『まず,まず』と声を掛ける。・・・・そして長官の前宮で先の縛られた子供が解き放たれ祭りは終わった。」そして栞は次のような補足説明をしています。「・・・・神長守矢が司る祭りには遠い縄文時代のこだまが伝わっている。こうした狩猟祭祈の部分の他は,中々意味が取りずらく謎に満ちている。例えば紅の着物を着た子供を御贄柱と共に押し上げ,縛るのは何故か?かって子供は殺されたと伝えられている。

鹿75頭の生首をずらっと並べ、子供まで生け贄にするこの儀式、血生臭い。狩猟が盛んだったからという理由では、8歳の子供まで生け贄にする意味がわからない。前の年に選ばれた子供は、1年のお役目の後、殺されたという・・・。今は鹿の剥製を使っているし、子供の儀式ももちろん形だけ。一連の儀式の前には、氏子達の前でミシャグジ神を神官が自ら依り代として下ろすことから始める。

「日本・ユダヤ封印の古代史」を書いたユダヤのラビM.トケイヤー氏は、この奇祭がまさしくアブラハムのイサク献祭と酷似しており、鹿はイサクの代わりに捧げられた羊の代用であると。

75頭の鹿の中に必ず耳裂け鹿が居たという伝承があるが,これは神の矛に耳が懸かった羊と関連があると思われる。アブラハムはモリヤの地に行くが,諏訪大社上社の御神体は裏の守屋山である。ユダヤ教では神ヤハウエを,モリヤの神と呼んでいる。

祭祀を司っていたのが守矢家であり、現在78代目。日本の紀元とだいたい同じである。75頭というのは、サマリア人(イスラエルと異民族の混血)が過越しの祭りの際、なんと75頭の子羊を犠牲として神に捧げるのだという。偶然にしては出来すぎではないだろうか。

ちなみに神武天皇は北イスラエル王国の末裔エフライム族であり、サマリヤの王を名乗っている。
『日本書紀』の神武紀には「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)を、号けたてまつりて神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと)と曰す」
神武天皇(BC660?)はサマリヤの王と自称。(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト → カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト = サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者)

幕屋は長さが30キュビト(13メートル)、幅が10キュビト(約4メートル半)で、(鹿の頭を並べる)十間廊も同じ大きさで、入口が東側にあるところまで同じとのことです。

また、諏訪大社の神主の娘であるK氏は、「我々の先祖はユダヤ人だ」と代々伝えられているという。

失われた10支族を求めて、ユダヤ教のラビも諏訪大社を訪れている、というのが驚き。駐日大使のエリ・コーヘン氏も参拝したそうだ。
諏訪大社にラビ参拝の動画




以上のことは、こじつけに思われるかもしれないが、想像以上に数千年前から古代イスラエルとは交流があったと伊勢白山道が明かしているのである。時至り、神によって明かすことが許されたということだと思う。にわかには信じられなかったが、私なりにいろいろ傍証となる事実を探してみた。

天照太神が天岩戸にお隠れになり、表に出ていただくよう努力した面々の中にすでにユダヤ人が含まれていたと。モーセが石柱を埋め、伊雑宮(いざわのみや)は預言者イザヤが訪れていることからイザヤ→イザワとなった等、信じなくても良いが、古代イスラエルと倭国との信仰的な底流は似ているのである。そしてその理想は似非ユダヤではなく、静かに深く神道によって開花していくのである。

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