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2013年3月21日 (木)

古代イスラエルと日本の関係(5-2)諏訪大社の不思議続き

続き

◆建御名方一族は諏訪地方の恩人

諏訪大社本宮の近くにある守矢史料館と諏訪市博物館に行ってきた。

諏訪大社の謎解きは、大国主命の息子の建御名方命が諏訪地方を開拓するずっと以前、土着の信仰を調べることから始まる。

建御名方命一族は、土着の信仰を滅ぼさなかった。守ったとも言える。おそらく出雲の時代から砂鉄の産地として諏訪地方と交易していたものと思われ、鉄製の武器の面でも勝り、諏訪の豪族は大きな犠牲を払うこともなく建御名方命に統治者としての位置を譲ったと思われる。

博物館では、縄文遺跡の展示のほか、昔話もビデオなどで紹介していた。7年ごとに行われる勇壮な御柱祭りのビデオも上映。まさに命がけの山の斜面からの木落しは、思わず「危ないっ」と声が出てしまう。前回は神社に柱を立てる際に倒れて人が亡くなっている。そこまでの情熱をかけて、氏子達は祭りを守っているのである。

現在は諏訪明神は建御名方命としているが、神道集では甲賀三郎だといい、地元の人は「ミシャグジ様」という。当地の言い伝えでは、建御名方命は見目麗しく、背が高くて立派な人だったという。ジャングルのような土地を開墾し、文明をもたらしてくれた恩人という扱いであることにほっとする思いがする。

◆守矢家の秘密

このミシャグジ様をお守りしてきたのは、78代もの長きにわたって一子相伝で神長官を務めてきた守矢家である。
守矢史料館で、疑問だった二つのことが確認できた。

まず、「ミシャグジ」の当て字はいろいろあるが、儀式がアブラハムのイサク献捧に似ていることから「ミ・イサク・チ」ではないかという説。「ミ」とはイサクの者(族)という意味。
守矢山をご神体とするのは、アブラハムの神である洩矢神が由来であるとすれば、こじつけとも思えない。守矢家の祈祷殿のある敷地には社が祀ってあり、説明を読むと、なんと「みさく神」と書いてあった。モリヤ山のアブラハムとイサクの神がここに鎮まったと素直に考えてよいのではないか。

最大の疑問は、守矢家の先祖である。「守矢家の先祖はユダヤ」とK氏が証言したという話があり、史料館の人におそるおそる聞いてみた。「守矢家の先祖はユダヤ人だったそうですが、本当ですか?」。そうしたら、すんなり「ああ、そう言われてますね」という返事だった。あっさり肯定してくれて、拍子抜けしてしまった。

守矢史料館

Moriyasiryoukan


展示物などは、ここのサイト 守矢史料館 に写真がたくさん掲載されているので、参考にしてください。「御頭祭」のおどろおどろしさも感じられる。イサクの身代わりに、耳を藪にかけて動けなくなっていた羊を供え物としたという旧約聖書の逸話とそっくりな「耳裂け鹿」の頭もしっかり展示されていた。小さな子供は泣き出すというので、気の弱い人は注意。

◆諏訪大社上社と下社の背景

K氏とはたぶん下社神官の金刺氏のことで、金刺氏が守矢家の人から直接聞いた話だと思う。上社と下社の関係についても謎は多い。中央政権に近い金刺家が上社の筆頭神官・守矢家を監視・監督していたとかなんとか・・・。

下社は建御名方命の夫人・八坂刀売命を祀ったのが始まりと言われる。現在は上社(本宮・前宮)下社(秋宮・春宮)共に建御名方命を祀っているが、昔話には、夫婦喧嘩して八坂刀売命は下諏訪に別居したと。

しかし、本当のところは違うと思う。洩矢神を信仰する原初の神官はユダヤの守矢家であり、毎年4月15日に御頭祭が執り行われる上社の前宮が本家本元である。本宮はその後に造営された。
下社は、鎌倉時代の武士達に崇敬され、政治的に力を有する金刺家が仕切っていた。金刺家は元は木曽義仲の後ろ盾だったが、木曽義仲が討ち取られて連座して打ち首になるところを「金刺盛澄は弓の名手」という理由で助けられている。諏訪明神の霊験あらたかな力が金刺盛澄に降りたという。

秋宮拝殿(春宮は一回り小さい)

Suwataisyaakimiya2


下社秋宮の宝物殿に行くと、朝廷に近い政治的な匂いがした。武家に保護される神社はどこもそうなのだが、諏訪大社下社では、特に国家神道の名残を感じた。明治・大正・昭和天皇に心情的にとても近い感じ。

<展示物>
・国重要文化財「売神祝印(めがみほうりのいん)」
・双鳳菊花八稜鏡(そうほうきくかはちりょうきょう)
・武田信玄が奉納したと伝えられる太刀
・東郷平八郎の鑑定証付き御神号
・昭和初期に大社在任の高階研一宮司揮ごうの書
・奉納された絹糸のおんべやさざれ石
・筒粥神事に使うヨシの束のレプリカ
・昭和天皇が下社を参拝された時の写真
・分社され艦内に諏訪神社が祭られている海上自衛隊護衛艦しらせの写真 等

東郷平八郎直筆の達筆な書や国旗には「神国」の威風がある。また今上陛下の御参拝に際し、万歳してお迎えする職員の写真もあった。
大正天皇と仲睦まじかった貞明皇后の遺品は、普段ご愛用されていた息づかいが聞こえるようで見入ってしまった。品々は皆質素で、小さなお人形が愛らしかった。

このように上社と下社は雰囲気が全然違う。つまり上社前宮が諏訪明神信仰の本拠地であって、下社は前宮の保護者的な形で、政治的な影響力を持っていたということになるだろうか。前宮は観光バスも来ないし、自然の中に静かに素朴なたたずまいを見せている。守矢山から流れてくる豊かな川の流れが、観光地化した他の宮とは風情を異にしている。

◆天の泥船

守矢山の中腹に藤森照信氏が設計した「空飛ぶ泥船」がある。見てきたよ~。「天の泥船」とも呼ばれる。

守矢史料館のすぐそば

Amadorofune1


諏訪市街を見下ろす

Amadorofune2


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