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2013年2月19日 (火)

任那の倭府は大和朝廷の出先機関だった

◆任那は金官加羅(加耶)


4世紀末の朝鮮

任那は金官加羅を指す。

414年に高句麗が建立した広開土王碑文にある「任那加羅」が史料初見とされている。
Wikipedia
『日本書紀』では加羅と任那が併記される。

任那日本府の称は、国号が日本と定まった後世に呼称されるようになったものであり、任那日本府が存在したとされる時代にあっては、倭府と称したとみる向きもある。

言うなれば倭国の出先統治機関であった。

日本府の構成員は倭から派遣された地方長官である府卿、府臣、執事の三階があり、在地倭人がこれに任じられたとされる。

大和朝廷にとってなぜ加耶が重要拠点だったかというと、資源の宝庫だった。「中国の三国志には弁辰(伽耶)からの鉄が、韓、穢(ワイ)、楽浪郡、帯方郡にまで、供給されていると書かれている」と。

以下、重要な内容。


金官伽耶の王家は、3世紀半ばに伽耶の「主浦村(しゅほそん)」という小さな村から出ている。この「主浦」は古代朝鮮語では「ニムナ」と発音されていた。これが金官伽耶の別名ともなり、日本では金官伽耶を「任那」と呼んでいた。

任那の倭府が大和政権とリンクしていたことをうかがわせる。このサイトでは、欽明天皇が加耶出身としている。

好太王碑文では、この連合体は倭国が指導的に組織し、高句麗に攻め込んだと記述されている。韓国の歴史家は、これを百済が中心になり組織したと主張している。筆者は、好太王碑文面「倭は海を渡ってきて百済や新羅などを臣民とした」という内容からして倭国が指導的に組織したと見ている。

つまり、3世紀におきた百済、新羅、伽耶の国家は、少なくとも4世紀までは朝鮮を代表する国家ではなく、北の高句麗に対峙するため大和政権に依存していた。この時期の朝鮮を代表する国家はあくまで高句麗であった。

「日韓併合」の根拠とされる理由がここにある。後進国を束ね、近代化を急ぎ、列強に対抗しようとした構図とそっくりである。

高句麗は騎馬民族であり、4世紀に高句麗=高麗(コマ)が列島に流入して朝廷と和し、大きな勢力基盤を築いた。関東にも「コマ」の痕跡がたくさん残っている。

◆5人の倭王

魏志倭人伝では「邪馬台国王」、5世紀の宋書では「倭国王」として記述される。中国名として記されているが、「日本書紀」から読み解くと

・讃 → 履中天皇
・珍 → 反正天皇
・済 → 允恭天皇
・興 → 安康天皇
・武 → 雄略天皇

となるという。つまり仁徳天皇の時にはすでに大和朝廷が北九州から畿内に移っていたと。たぶん履中天皇の祖父・応神天皇の時になんらかの王朝交代があったのでは?仲哀大王→神功皇后の不自然な出産にまつわる逸話、熊襲との戦い、この過程が空白なのである・・・。

神功皇后が産んだのが応神天皇。そして日本各地の八幡神社は応神天皇をお祭りしている。八幡神とは何か?

応神天皇と八幡神社を参考にどうぞ

八幡はヤハタ、ヤハウェ、失われたユダ族を意味する「ヤフダ」、‥‥応神天皇の諡号は「ホムダワケ」であるが、古代ユダヤ語で解くと「新しい神殿を立ち上げよ」となる。その神殿を立ち上げたのが、謎の多い泰氏一族。

話がややこしくなるので、古代ユダヤの関係は別項で。

◆任那の倭府を認めない韓国。抗議を受けて日本の教科書から消された。

朝鮮半島に話を戻すと、古代朝鮮は他民族の部族社会と小都市の集まりであって、支配層は高句麗だった。高句麗は扶余系であり、倭人もいた。倭人とは現在の日本人とは限らず、華南の「越」人だという。倭と韓の連合体が形成されていたと考えると合点がいく。

韓国側の「日本領など絶対認められない」という感情論もあると思うが、古代も日本に占領されていたと被害妄想するからおかしなことになる。複数の史実に書かれていたものの存在自体を消すことはできない。

全羅南道順天雲坪里(チョンラナムド・スンチョン・ウンピョンリ)の古墳群で、日本の「任那日本府説」の虚構を立証する遺物が大量に出土した。一部の日本の学者が主張してきた「任那四県」地域で、大伽耶系の遺物だけが出土し、日本系の遺物は全く出てこなかったからだ。

だって加耶系だったのだから不思議ではない。このように一生懸命日本の捏造と言っているのだが、天皇が加耶系(だたし朝鮮民族とはDNAの違う倭人)と言ったら心臓麻痺でも起こすだろうか(笑)

もちろん証明する術はない。

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