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2010年8月

2010年8月 6日 (金)

渡辺喜美氏の国家ビジョン

政治家が国家ビジョンを示すことは国民に対する責務である。そこから外交・内政すべての政策が演繹される。

ただし、政敵に対して「あなたは国家観がない」と国家を前面に押し出す真正保守が、必ずしも真に正しいわけではない。みんなの党江田幹事長が平沼氏のたちあがれ日本を「国家社会主義」と断じるのは、右端と左端に共通する「イデオロギーによる統制」の匂いを感じ取るからである。

櫻井よしこ氏が平沼氏を「漢(おとこ)の中の漢」と持ち上げていたのは、平沼氏の国家観に共感しているからだろう。しかし、彼女のオピニオンには一抹の危うさも感じている。北朝鮮の脅威、中国共産党の覇権主義に対する脅威についてはまったくそのとおりなのだけれど、日本が民主国家として韓国の側に立つ、政治的に台湾寄りに立つべきという主張は、有事の際には「米国とともに戦う」という宣言に他ならず、常に「戦争も辞さず」という勇ましい気概に支えられている。しかし、直接の脅威であることと、他国が侵略された時に第三者として仲介することとはまったく違う。

あの方達は「武士道」「侍」が大好きだが、武士は兵であって、幕府は軍事政権と言ってもいい。価値観は儒教に基づいていたので、「カネ儲けは悪いこと」。豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵は、武士の失業対策だったという見解もある。はからずも侍という言葉で真正保守の国家観を表しているようだ。

私自身も集団的自衛権は認めるべきと思うし、9条はまっさきに改正して国軍を明記し、対等な日米関係に近づくべきだと思う。

しかし、政治の外交力の欠落、インテリジェンスの幼稚さ、右翼左翼のいかんともしがたい反米志向、好戦的な国家社会主義の排他的性格を観察していると、彼らに戦略的外交ができるとは思えない。理想と現実が乖離しすぎていることが問題。日本が大人になるためには、憲法9条を改正するだけで事足りるとは思わない。

政治は日和見(opportunist)であってはならず、麻生さんは自らをpragmatistと称していたが、もっと言えば冷徹なrealistに徹することを求められる。

イデオロギーは精神論に傾き、正論が逆に現実を見る目を失わせる。政治には交渉力と妥協も必要。ベターな選択の積み重ねである。「あるべき論」で政治的に結果が出ないなら、正論も空論になってしまう。以上の理由によって、今の日本は、たちあがれ日本のような右翼、あるいは菅・仙谷のような左翼にも任せられない。「保守」とはイデオロギーに束縛されるものであってはならない。国が統制する社会とは最も遠いものが、真の保守ではないだろうか。ネットにあふれる「真正保守」の場合、単独一国主義、ナショナリズムに近い。まるで攘夷派である。

私が渡辺喜美を支持してきたのは、彼の国家観に共鳴したからである。櫻井よしこ氏は「みんなの党には国家観がない」という理由で、取材もせずにダメ出しをしていたが、それは自分達真正保守の国家観以外は国家観と認めないという狭量さゆえである。真正保守は「小さな政府」を嫌うため、みんなの党を左翼と決めつけ、敵視するのだろう。社会主義を乗り越えようとするみんなの党は、本当は最も左翼から遠いのだけれど。

「小さな政府」派は「新自由主義者(ネオリベ)」「拝金主義者」だと右も左も批判するが、小泉・竹中は左翼だったのだろうか。左翼からもずいぶんバッシングされたものだ。理念に偏る両端から叩かれつつ、現実的なビジネス界からは今も支持されている。みんなの党を支持しているのは、その延長にある層である。

社民主義に近いスタンスを「リベラル」と称するが、元々リベラルは「古典的自由主義」であって、伝統・文化を尊ぶ保守の姿勢と矛盾するものではない。内政で国家の介入・権限の拡大を是とするのは国家社会主義である。

ちなみに私自身の国家観は、「天皇を中心とする神の国」である。神主さん達の前で語った森喜朗氏のこの言葉は至言だと思う。天皇は民草を統制しない。権威であって権力ではない。天皇と民草の関係は、祭祀長を敬愛する親子のような情で結ばれている。昭和天皇は、「国民の前に道徳の規範たること」を自らに課しておられた。

渡辺喜美氏の国家観が読み取れるコラム。

菅総理が「官僚ファシズム」への道を開かないことを祈ります

(略)
 私は代表質問で菅総理に、永井陽之助先生の憲法観を尋ねた。「平和の代償」では、素直に第9条を読めば違憲(ヤミ状態)であり、防衛力保持のためには改憲が必要とした。ただし、戦前への回帰を目指す勢力が政権の中で改憲を唱えているうちは、日程に乗せにくい。「モラトリアム国家」として非核・軽武装の経済大国を享受してきた象徴が、ヤミ状態の自衛隊であった。

 私が国会議員になりたての1998年頃、当時、青山学院大学院で教鞭をとっておられた永井先生を訪ね、聞いてみた。

「平和も戦争も可能になったポスト冷戦時代において、日本は憲法9条を改正すべきでしょうか」。永井先生は即座に、「改正すべきです」と答えられた。

 戦後レジームとは、マッカーサーGHQの作った体制と、1940年前後に完成した官僚統制・中央集権体制の混合体である。永井教授は、戦時体制と占領政策は連続していると喝破していた。

 菅氏がよく使っていた「官僚内閣制」とは、正にこの戦後レジームの所産なのである。官僚は現状維持勢力であり、劇的な変化を好まない。憲法を自分達の都合のいいように解釈して各省割拠主義の仲間内人事をやり続けてきた。

 私が菅氏に永井教授の憲法観の感想を聞いたところ、菅氏の答弁はまったく答えになっていなかった。「無為の蓄積」がモラトリアム脱却を迫られた時、「全能の幻想」に転化するのも、そう遠くないかもしれない。

 みんなの党は、真の政治的リアリズムを希求する。

菅氏が師と仰ぎ、渡辺氏も尊敬する永井陽之助氏について、櫻井よしこ氏は変節漢と猛批判していたが、まぁ、それは置いといて。

「ただし、戦前への回帰を目指す勢力が政権の中で改憲を唱えているうちは、日程に乗せにくい」
あ~、たしかにこれでは櫻井氏が左翼と罵りたくなる気持ちもわからないではない(笑)

渡辺喜美氏は、戦後レジームからの転換を求める。安倍氏は「自虐史観からの脱却」という意味でも使っていたと思うが、安倍氏は公務員改革が絶対必要だと理解していた。だから渡辺氏をピンチヒッターではあったが、担当相に任命したのである。

戦前から続く「日本のあり方」を主導してきたのが、政策の一貫性を担保する超然内閣制と言ってもいいような官僚主導体制だったのである。「議院内閣制」は、法に明確に規定されてはいなかった。

麻生氏は、口では「国家公務員を身分から職業に変えなければならない」と改革に意欲を見せたが、口先だけで公務員改革の必要性はまったく感じていなかった。官僚を使いこなすためには、省益ではなく国益を重視する官僚を政治任用しなければならない。麻生氏が谷地元外務次官をブレーンにしたのは正解だったけれど。原英史氏が言うところの「官僚を使いこなすとは官僚を選ぶこと」である。

戦後の焼け野原からの復興を主導した統制経済は、大きな果実をもたらした。しかし、もはやGHQが形作った“占領政策”からは脱却すべき。官民が自由に行き来でき、地方を国に隷属させるような中央集権から脱却する時。日本の衰退に手をこまねいているわけにはいかないのだ。

◇日々是語草◇
江田憲司が目指すスウェーデン型の意味
(明日更新する予定)

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2010年8月 2日 (月)

日銀は国民のほうを向いているわけではない。

中央銀行は「物価の安定」を目標としている。日銀は「安定」の目標をどこに置いているのだろうか。

先日BS11で浅尾敬一郎氏が日銀のターゲティング政策について、「日銀は総裁自身が0~2%を目標とすると言っているのだから、すでに(インフレターゲットを)行っている」と言っていた。なるほど、「効く」「無効」の議論以前に、ターゲティング政策は日銀の専売特許なのである。

浅尾氏は「2%目標はできるはず」と言っていたので、この数字は無茶な要求ではない。

日銀悪玉論も日銀白川総裁擁護論もさして意味がないように思えてきた。一番の問題は、日銀が官僚体質そのもので金融界に対して既得権益を拡大していることではないか。短資会社への天下りはすさまじく、地銀に8人、第二地銀が5人、短資会社の役員にいたっては、日銀OBの独占状態にあるのだという。

参照:テーミス8月号
自民党の山本幸三衆院議員(旧大蔵省OB)は、以前から日銀政策を批判してきた。98年の日銀法改悪により、目標設定権と政策実行の手段が二つとも日銀に付与されてしまった。(政府と日銀のコミュニケーションがとれていれば目標は共有できる)
山本氏は今の日銀法を改正して、目標設定を政府がしなければならないと主張している。

日銀は、銀行側に融資する時に日銀マンを受け入れるように仄めかす。短資会社は日銀マンが牛耳り、短期金融市場の「無担保コール翌日物金利」を誘導する。そして0.02%の手数料をとる。無担保コール翌日物金利をゼロにしてしまうと金融機関は短資会社に手数料を払えないので、日銀マンが操作するのである。

金融界に影響を大きくしておくために、政策金利をゼロにはしない。決して日本経済全体の底上げを第一の使命と考えているわけではないのである。「成長率見通し」も確信犯的に誘導する。そういう意味で、日銀施策は絶対に正しいとは言えず、間違っているとも言い切れない。悪玉論も擁護論も虚しい。

山本幸三氏
「デフレについて、日銀の見方は変わっている。物価が1~2%下がっても、実質経済成長率がマイナスにならなければいいという。だから消費者物価指数がゼロと出て、上方バイアスを考えれば本当はマイナスなのにずっと無視してきた。マイナスの物価が続くと、失業者は出てくるし、企業経営も悪化する。あるいは円高になっていろいろな弊害も出てくる。日銀はこうした状態を長い間、日銀独自の屁理屈をこねて放置してきた」

手段はあるのに、まるで「ゼロターゲット」を続けてきた日本銀行。

日銀法改正は、超党派で意見が一致する議員が多いので、内容はすりあわせが必要だが、秋には改正されるかもしれない。

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