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2009年10月13日 (火)

自家用車に環境税の是非(2)

前回の続き

環境を守るために自家用車に環境税を課せばよい」という提案は、時代の先を読んだ斬新な発想ではなく、時代に逆行するものであり、内需拡大の芽を摘む独りよがりな提案であると私は改めて断じる。生活車として、あるいは生活を豊かにするツールとして、もっと経済効果を引き出す施策を考えたほうが前向きである。

地方は車がないと困る」と反論すると、弱者を装ったワガママのように捉えられてしまうのだと思う。自分は地方で暮らしたけれど、困ったことはない、とか。お山に暮らしてごらん。こんな所に住んでいるのが悪いと言えばそうかもしれないけど(^_^; 最低限、車がなくても生きてはいけるけれど、生活の質は落ちてしまう。

「環境税」の発想は、“生活車”としての価値を認めていない。また車によってもたらされる“ライフクォリティ”の向上も無視している。対案としては、エネルギー転換しかないと考える。ハイブリッドはまだコスト面でペイしないので、過渡期にある今はさまざまな議論が出てくるのだろう。

車に対する価値観は人それぞれ違う。「環境に悪いモノ」という側面から見れば環境税の発想も致し方ない。しかし、その発想に落とし穴がある。いずれ車の効用はもっと高まっていくと思う。

<“車”関連施策は内需拡大策>

コガネ持ちの団塊の世代を対象に手軽なキャンピングカーの売り上げが伸びている。また二人乗りの低コストカーも売れ始めた。家族で旅行するにはオカネがかかるから、自家用車でアウトドアを楽しむ家族も多い。ペットと一緒に旅行したい人も劇的に増えている。生活の多様化によって、車関連の需要はますます増えていくだろう。都会で暮らすからこそ週末に郊外にドライブしたい人も多いと思う。

車は“生活の豊かさ”をもたらす。つまり消費刺激策として大きな可能性があることをもっと重要視すべき。内需拡大が叫ばれている今、もっと“車”に注目して潜在需要を掘り起こす提案をしてほしい。それを環境税で抑制策をとって逆行するとは、発想が貧弱すぎる。しかも経済に強い優秀な人が提案しているのだから、ガックリくる。

もっと多様に、もっと手軽に、用途に応じた車が開発されることを提案すべきだと思う。ニッサンが落ち目なのは、マーケットの需要を無視してつまらない車ばかり売っているから。トヨタが軽自動車を開発しないのも時代を読んでいない。マツダは、ハイブリッドカーを開発することを最初から放棄している。

<今後の車利用のあり方>

都会でのカーシェアリングは進んでいる。マンションに住む人などが郊外に買い物に行くためにシェアするというやり方は進めるべきだと思う。タクシー業界はもっとアイディアを出して、老人世帯などにパーソナルカーとしての役割を提案したらよい。そちらのほうが現実的な提案である。宅配はもっと進む。コンビニ業界も商品の宅配を始めている。

同じ発想で、ゆうちょ銀行は顧客サービスをもっとやれと私は言い続けている。郵便配達員がサービスとしてやっていたことをゆうちょ銀行の営業マンがなぜできないのだ。民間並みの努力をしないから、アンチ郵政完全民営化派に「不便解消」と大義名分を与えてしまい、国民新党は4社再統合を主張している。(民主党案では2分社化)

要は、「車があればライフクォリティが上がる」ことを否定すべきではないし、それ以上に内需拡大策として、自動車関連業界にはもっと知恵を出せと言いたい。もっと切実に「車がなければ困る」地方もあることに想像力を働かせてほしい。

<課税は価値観の押しつけであってはならない>

Voiceで増田悦佐氏が「鉄道貧弱県の格差と断絶」を解説していた。

 日本のように効率的な鉄道網の存在する国で、その鉄道の恩恵に浴せない地方の経済的ハンディキャップは大きい。都道府県別の自家用車普及率と実質所得水準には明瞭なマイナスの相関がある。つまり、自家用車をもたずに生活できる大都市圏の生活水準は高く、自家用車をもたないと生活が不便な地方の生活水準は低いのだ。
 だからこそ、クルマなしには生活できない地方では、高速道路を無料化してほしいという願望が切実なのだ。全国で合計した数字では見えてこない、大都市圏と地方との「格差」あるいは「断絶」があるわけだ。

地方在住の者として、格差解消などは必要ない。なんでもかんでも平準化するのは愚の骨頂。不便を甘受するかわりにきれいな空気を吸い、喘息も治った。ペットも飼える環境を手に入れた。田舎に引っ越してきて本当によかったと思う。

ただし、車に重税を課せられると、自分語りで恐縮だが、ただでさえ貧乏で体力も落ちてきた今、生活の質が大幅に落ちてしまう。田舎では、都会のように車を置く場所に困ることもなく、一人一台が普通なので、「カーシェアリングしましょう」という時代が遠くない将来に訪れるとは思えない。内需拡大策に逆行する環境税に泣かされる日が来るほうが先かもしれない。

“切実さ”が想像できない人は、安易に「自家用車を減らせ」と言うべきではない。医療・介護・年金など、社会保障全般を考える上でも同じこと。病気は他人事ではないし、働く場所があることが当然ではない。社会保障は“弱者救済”ではない。“保険原理”(冨山和彦氏)で実際的な理論で構築されるべきものである。社会保障問題は「大きな政府」「小さな政府」とは基本的に無関係である。今の体系は「大きな政府」によるものではなく、社保庁による“保険料泥棒”と呼ぶのが正解。

保険には保険の原理がある。それに比べて「車に環境税」なんてどんな原理なのだ?

環境税だけではなく、酒・タバコ税引き上げにも反対する。「国が悪いものは抑制してやろう」という価値観の押し付け以外のなにものでもない。それ以外に必ずよりよい対案はあるはずである。

◇日々是語草◇
バカは「鎖国モードで楽しく」やっていれば?

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