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2009年6月 1日 (月)

歴史認識にはマクロの視点が必要(1)

「自虐史観からの脱却」を掲げて田母神論文を諸手を挙げて歓迎している自称保守の人達が、実は一番「統制の呪縛」から解けていないことがわかる、と前回書いた。

その前にこちらを・・・

(週刊文春)宮崎哲弥氏の「仏頂面日記」

五月某日
民主党代表選の擦った揉んだを横目で見遣りつつ、「Voice」六月号を読んでいたら、何だか陰鬱な気分になってきた。
同誌に掲載されている安達誠司氏の手になる『景気回復を潰す政権交代』があまりに正鵠を射ているように思えて仕方ないからだ。
安達氏の論考でとりわけ目を引いたのが、戦前の昭和恐慌期との類似だ。
小泉純一郎元首相を政友会の原敬に見立てると、原価の民主党は、原敬暗殺後に擡頭し、世界大恐慌直前に政権を奪取した民政党にみえてしまう。
民政党の経済対策は「緊縮財政」「産業合理化」「金融引き締めと円高志向」によって特徴づけられていた。この三点はいまの民主党の政策目標に不思議と符合している。(略)
然らば、戦前の民政党の政策は何をもたらしたか。
「米国での株価暴落に端を発する世界大恐慌という暴風雨のなかで」「日本経済を崩壊させ」、結果として「戦争への道を切り開い」てしまったのだった。(略)

ここを読んだ瞬間、また思考があちこちに飛んで、10分くらい?固まってしまった。比較史観的な見方として非常に面白い。

民政党(濱口政権)と今の民主党の経済政策を論ずる前に、時代の同時性として、安達氏の以下の引用部分が示唆的かつ重要と思った。

(副題)昭和恐慌期と類似する経済対策案

(民政党政権)当時の新聞、雑誌などを読むと、庶民は関東軍による満州事変に拍手喝采を送ったらしいが、庶民生活の基盤を崩壊させ、その不満を対外戦争で紛らわせるような国民感情をもたらしたという意味では、民政党の誤った政策が戦争への道を切り開いたといっても過言ではないだろう。

「自虐史観からの脱却」について、「日本は悪くなかった」「自衛戦争だった」「アジアを解放した」と一面的に歴史を見るウヨクは、当時の庶民と重なる。

今の自称保守の空気は、不況は「市場原理主義」のせいにして、北朝鮮や中国を強く非難する真正保守政治家に心酔する。核武装論も厭わない彼らが強硬論をぶったところで、北朝鮮は核放棄をしたか。強硬論を語って「そうだそうだ!」と私達を喜ばせてくれても、結果が伴わなければ単なるガス抜きでしかない。当時の「不満を対外戦争で紛らわせるような国民感情」は、戦争の手段をとり得ない現在では、「紛らわせる」寄りしろとして「国家の誇り」をテーマとして語る(真正)保守政治家に思いを重ねるしかないのである。

大事なことは、史実を歴史の教訓として見るにはマクロの視点が必要なのである。

「自虐史観からの脱却」を歴史認識の拠り所にする場合、ミクロの積み重ねで認識しがちである。たとえば朝鮮統治は公平で韓国を近代化させ、教育水準も上げ、日本人の税金を投入し、決して強制的ではなくetc. いわゆるA級戦犯の人達は素晴らしい人格と規律と勇気を持っていた、あるいは戦争中の人間ドラマは日本人としての気高さを感じさせてくれた等々。

しかし、そのことを美化することと日韓併合や戦争自体の評価とは別物なのである。マクロで見るとは、国際関係からの位置付けと当時の政治・外交を分析しなければならない。それは歴史の必然であったのか、誰が、というより、誰であってもそれは動かし得ない歴史の流れであったのか、教訓として生かすには醜い部分こそ直視しなければならない。

田母神氏の論文には、その視点が欠落していたし、「日本は悪くない」を補強するためにねじ曲げている箇所もある。「中国のせい」「アメリカのせい」にしたい潜在意識が表れていた。

次のエントリーで「なぜ呪縛なのか」を国家総動員法の頃の史実から考えてみたい。

その前に、安達氏の評論についてもう少し説明が必要である。気が向いたほうから書こう。

(続く)

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