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2009年5月31日 (日)

郵政システムは統制経済の最たるものだった

1940年体制からの脱却について、野口悠紀雄氏の言った「1940年までの日本の経営者から見れば、今の日本はアカの巣窟ということになる」ということの概要をわかってもらえただろうか。重要なのは、統制経済が、外的危機に備えるための中央政治への奉仕を義務づけていることで、それを引きずる現在の体制が必ずしも「社会のため」「民間活力のため」に整備されたものではないことである。保阪正康氏の言葉を借りると、下からの愛国心ではなく、上からの愛国心であった。

統制経済は「中央集権体制」を強固にすることを目的としていたため、地方分権思想は入る余地がないのである。保守右派の中に道州制に反対する人が多いのは、そこに理由がある。

アカ右翼という言い方があるが、言い得て妙である。佐藤優氏が理念保守として「新自由主義」を批判し、「日米開戦の真実」の中で民間右翼の大川周明氏を共感をもって書いているのも肯ける。

佐藤優氏で思い出したが、佐藤さんが「現代プレミア」で髙橋洋一氏の窃盗事件について書いているので、是非紹介したい。そのうちね。

経済史とともに「国家総動員法」を生み出した当時の政治状況を見ると、さらに理解が深まる。「国家」と呼ぶより「中央政治体制」と言い換えたほうがいいかもしれない。暴走政権が「国家」を騙ることの欺瞞は、今も昔も存在するのである。

史実だけを客観的に追ってみると、「自虐史観からの脱却」を掲げて田母神論文を諸手を挙げて歓迎している自称保守の人達が、実は一番「統制の呪縛」から解けていないことがわかる。たぶん反感を持たれるだけだと思うが、次のエントリーでがんばって説明してみる。

「歴史を知らない」と私は某板で瞬殺されたらしいので、歴史を語ることはやぶ蛇かもしれないけれど^_^; 自分の勉強のために更新を続けているもので、書きたいことは止められない。

私は基本的に、保守右派(たとえば高山正之氏ら)が首を傾げる司馬遼太郎氏の歴史観や保阪正康氏のほうに共感しているので、戦争に向かったあの時代には嫌悪感を覚えるし、国家の統制には拒否感を持つ。元凶を見ずして美化することはできない。ネットウヨクの“空気”に流されるのはまっぴらだ。かといって、社会主義・反戦のサヨクでもない。

ウヨクもサヨクも根っこは同じで、右と左に枝が分かれているだけに見える。同じ養分を吸いながら喧嘩しているようなものである。日本という土壌は同じでも、嵐にも耐える太い幹を育てるには、思い切った枝の剪定が必要になる時が近いうちに必ず来る。それぞれに痛みを通過せざるを得ないだろう。人はなかなか土壇場まで危機を危機と認識できないものだが、破綻の淵に追い込まれないうちに再生の足がかりをつかみたい。

「戦争のため」中央体制に奉仕するという目的がなくなった戦後、会社の資金調達としての“株主制度”を形骸化して、旧体制の銀行を温存したことが間違いの始まりであった。米国は逆に預金という担保のない投資銀行に偏ったため、ひとたび金融危機が起こると地滑りを起こしたのである。

日本の郵政システムは統制経済の最たるもので、国の戦費調達手段であった郵便局はもはや市場の硬直を招くものでしかなく、財政投融資制度の破綻は避けられなかった。巨大な官のネットワークを守ろうとする政治と旧郵政省あるいは反対派の主張は、まったく意味を成さない。彼らは米国の陰謀論を語るしか能がないのである。

郵政民営化反対派の最後のあがきに関連して、読売ニュースより

かんぽの宿問題について、第三者委員会は「適法」と判断した。

ブログでも「M&A手法として逸脱したものではない」という辻広氏の論評を紹介したが、経営判断として違法行為はなかったと正式に判断されたことになる。ただ第三者委員会は、「出来レース」が仕組まれていたことはなかったが、選考過程で文書で残していないなど、不適切であったとしている。私も客観的に見て、当初「拙速」という感じはぬぐえなかった。

第三者委員会の「適法」の判断に対して、ニュースを聞くと鳩山総務相は相変わらず「お手盛りだ」と言っているようだが、与謝野財務相が押さえにかかっているようだし、鳩はもう放っておいてもいいだろう。

では、明日に続く

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