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2009年5月

2009年5月31日 (日)

郵政システムは統制経済の最たるものだった

1940年体制からの脱却について、野口悠紀雄氏の言った「1940年までの日本の経営者から見れば、今の日本はアカの巣窟ということになる」ということの概要をわかってもらえただろうか。重要なのは、統制経済が、外的危機に備えるための中央政治への奉仕を義務づけていることで、それを引きずる現在の体制が必ずしも「社会のため」「民間活力のため」に整備されたものではないことである。保阪正康氏の言葉を借りると、下からの愛国心ではなく、上からの愛国心であった。

統制経済は「中央集権体制」を強固にすることを目的としていたため、地方分権思想は入る余地がないのである。保守右派の中に道州制に反対する人が多いのは、そこに理由がある。

アカ右翼という言い方があるが、言い得て妙である。佐藤優氏が理念保守として「新自由主義」を批判し、「日米開戦の真実」の中で民間右翼の大川周明氏を共感をもって書いているのも肯ける。

佐藤優氏で思い出したが、佐藤さんが「現代プレミア」で髙橋洋一氏の窃盗事件について書いているので、是非紹介したい。そのうちね。

経済史とともに「国家総動員法」を生み出した当時の政治状況を見ると、さらに理解が深まる。「国家」と呼ぶより「中央政治体制」と言い換えたほうがいいかもしれない。暴走政権が「国家」を騙ることの欺瞞は、今も昔も存在するのである。

史実だけを客観的に追ってみると、「自虐史観からの脱却」を掲げて田母神論文を諸手を挙げて歓迎している自称保守の人達が、実は一番「統制の呪縛」から解けていないことがわかる。たぶん反感を持たれるだけだと思うが、次のエントリーでがんばって説明してみる。

「歴史を知らない」と私は某板で瞬殺されたらしいので、歴史を語ることはやぶ蛇かもしれないけれど^_^; 自分の勉強のために更新を続けているもので、書きたいことは止められない。

私は基本的に、保守右派(たとえば高山正之氏ら)が首を傾げる司馬遼太郎氏の歴史観や保阪正康氏のほうに共感しているので、戦争に向かったあの時代には嫌悪感を覚えるし、国家の統制には拒否感を持つ。元凶を見ずして美化することはできない。ネットウヨクの“空気”に流されるのはまっぴらだ。かといって、社会主義・反戦のサヨクでもない。

ウヨクもサヨクも根っこは同じで、右と左に枝が分かれているだけに見える。同じ養分を吸いながら喧嘩しているようなものである。日本という土壌は同じでも、嵐にも耐える太い幹を育てるには、思い切った枝の剪定が必要になる時が近いうちに必ず来る。それぞれに痛みを通過せざるを得ないだろう。人はなかなか土壇場まで危機を危機と認識できないものだが、破綻の淵に追い込まれないうちに再生の足がかりをつかみたい。

「戦争のため」中央体制に奉仕するという目的がなくなった戦後、会社の資金調達としての“株主制度”を形骸化して、旧体制の銀行を温存したことが間違いの始まりであった。米国は逆に預金という担保のない投資銀行に偏ったため、ひとたび金融危機が起こると地滑りを起こしたのである。

日本の郵政システムは統制経済の最たるもので、国の戦費調達手段であった郵便局はもはや市場の硬直を招くものでしかなく、財政投融資制度の破綻は避けられなかった。巨大な官のネットワークを守ろうとする政治と旧郵政省あるいは反対派の主張は、まったく意味を成さない。彼らは米国の陰謀論を語るしか能がないのである。

郵政民営化反対派の最後のあがきに関連して、読売ニュースより

かんぽの宿問題について、第三者委員会は「適法」と判断した。

ブログでも「M&A手法として逸脱したものではない」という辻広氏の論評を紹介したが、経営判断として違法行為はなかったと正式に判断されたことになる。ただ第三者委員会は、「出来レース」が仕組まれていたことはなかったが、選考過程で文書で残していないなど、不適切であったとしている。私も客観的に見て、当初「拙速」という感じはぬぐえなかった。

第三者委員会の「適法」の判断に対して、ニュースを聞くと鳩山総務相は相変わらず「お手盛りだ」と言っているようだが、与謝野財務相が押さえにかかっているようだし、鳩はもう放っておいてもいいだろう。

では、明日に続く

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2009年5月29日 (金)

経済史から見る戦後レジームからの脱却(4)

・市場経済への違和感はどこから来るか

戦時革新官僚の理想は、株主の影響を排除し、利益を追求しない株式会社を作ることだった。

日本の大企業では内部昇進者が経営者になることが多く、安定株主工作によって浮動株が減少したため非常に排他的・閉鎖的になる。「企業一家」は良い面もあるが、「会社人間」というのは「会社外のことには関心を抱かない人」のことでもあった。

年功序列で一生をその会社に委ねることができれば楽でいいのだろうが、いったんコースに外れた人間は「仕事が長続きしない駄目な人」「落伍者」といったレッテルを貼られた。好景気には受け皿もあったが、低成長率時代かつ人口構造が逆ピラミッドに近付けば近付くほど労働市場の流動化を促さなければならないのである。賃金体系も見直さなければならない。

そのような転換点を迎えているのに、戦時体制への郷愁を右派も左派も抱き続けているというのは、成長期の日本が積極財政によって再分配機能が働いていたために「政府の保護」に慣れすぎていたからである。それゆえ市場経済というものに違和感を覚え、生産における寄与に応じた本来の分配に対して不公平・卑怯と感じてしまう。年功序列や再分配、保護政策が可能だったのは、大きなパイがあればこそであった。

田中角栄が破綻することを承知していたかどうかは知らないが、「バラマキ型福祉」を形作った結果、多少の消費税増税くらいでは追いつかなくなっている。社会保障分野を充実させるためには、どうしても「大きな政府」から脱却することが求められる。税収アップには低生産部門の補助を切り捨てることも必要になってくるし、民間に移せるものは民営化し、効率性を高めて税収につなげる。その意味で郵政民営化は大きな成果を上げた。既得権が失われる過程で“痛み”が生じるのは、産みの苦しみでもあるのである。

・革新官僚の考え方が今の保守の標準となっている

戦後、アカの思想とは「資本と経営の分離」にあった。すべては公共的な目的に奉仕しなければならないとし、国家の干渉を是とした。革新思想とは、中央集権体制において財政拡大による分配を為すことなのである。

1940年の日本では、このような政策は過激な「アカ」の思想とみなされた。従って財界は強く反対した。

当時の財界は、つぎのように考えていたのである。配当が統制されれば、資本家の存在基盤が失われる。私企業が「公共性」などという曖昧なものを目的としなければならないのなら、国家によるいかなる干渉や統制も可能になってしまう。これは、自由主義経済の基本原理を否定するものだ。

このままでは日本経済は衰退するから、普通の自由主義経済に戻ろうと言うと、“新自由主義者”“市場原理主義者”とバッシングを受けてしまうのである。

(旧)日銀法は、こうなっている。
第2条 日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ

これはナチスドイツの「ライヒスバンク法」を模倣して1942年に制定され、なんと改正もされずに1997年まで健在だった。戦後の日本経済は、特振法の例に見られるように「戦時総力戦体制」として確立された仕組みなのである。

1940年までの日本の経営者から見れば、今の日本はアカの巣窟ということになる。戦争に負けて財閥の解体が起こるとは思ってもいなかったろう。右も左も根っこは全体主義なので、この人達が竹中氏らを新自由主義なるレッテルを貼って批判しているのは、市場を否定し、「外資に支配されたくない」という感情をぶつけているに過ぎない。株式の持ち合いは、身内以外を敵とみなす防衛策であった。しかし、株式会社制度は、株式の売買が自由に行われることを前提にしたものである以上、過剰な防衛は歪みを生じさせる。

・戦時経済体制のほうが特殊

日本の伝統とか品格から経済を語ったり、農耕民族だから競争は苦手、あるいは家制度の価値観から「日本人には市場原理が合わない」という議論は、筋違いのものである。

戦時経済体制が特殊なだけであったのであり、それは創意よりも規律を求めるものであった。大量生産時代にはそれでよかったかもしれないが、90年以降はIT革命によって分散型情報システムとなっている。集団規律から個人の独創性に有利性が増している。

再チャレンジなどと国がベンチャー企業を育成することは矛盾していると野口氏は言う。米国の起業家は規制緩和によってチャンスを得たのであった。国は中央に権力を集中させる規制強化よりも市場を広げる緩和をしたほうがよい。

これからの時代は、英語ができないことは決定的なハンデになると野口氏は断言する。ネットの中だけでもじゅうぶんハンデを感じるこの頃である。

野口氏は、日本においては、技術と制度・思想が深刻な対立を起こしていると嘆いている。日本経済が不況にあえぐ時、現在のシステムへの疑問と改革への意欲があらわれる一方で、ブレーキをかける現状維持派もいる。

野口氏の〆の言葉

しかし、その過程において、古い制度や思想との摩擦は、さらに大きくなるだろう。われわれは、長い混迷の時代を覚悟しなければなるまい。

アクセルを踏みながらブレーキをかけているような政治状況で、日本は蛇行しながらも強い体質に生まれ変わることができるのだろうか。

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2009年5月28日 (木)

経済史から見る戦後レジームからの脱却(3)

・構造改革は政治的なスローガンにしかすぎなかった

野口氏が小泉政権の構造改革を「からっぽ」と酷評するのは、結局何も変わらなかったからである。それは竹中氏も認めていて、成果は「不良債権処理」、(中途半端な)「道路公団民営化」、「郵政民営化」と公務員改革の下書きをしたくらいなのである。支持率の高い突破力のある小泉総理にしてこれくらいしかできなかった。それは抵抗がどれほどすさまじいかを物語っている。

格差論者が日本型社会主義に郷愁を覚えるのは、「みんな平等」で格差がなかったと錯覚しているからである。GHQによって農地解放が実現し、強制的な皇室離脱など資産階級、上流階級を一掃した。そのおかげで?すべて日本人は労働者階級となった。野口氏は、上流社会の排除によって、戦後は文化を創造できなかったと辛辣に言う。

上流階級もそうだが、私は常々、会社こそ社会に貢献することによって、文化の創造の手助けをすると考える。サントリーの社風はまさにそれを目指している。会社に余裕がなければ貢献できない。企業経営者の資質にもよるが、国内に生産拠点をとどめ、国内で雇用確保できるような法的サポートをするべきである。そのために法人税減税、そして雇用調整弁としての人材派遣を認める。非生産的な正社員にまで高い給料を払わざるを得ないやり方を見直し、働き方の多様性と雇用機会の拡大を図ることが目的である。一律に「派遣を認めない」という議論は、企業の社会貢献力まで削ぐという反対の結果になる。

たとえば芸術への理解が投資を生む。サントリーホールのような文化・芸術を支える拠点作りも文化の創造に寄与する。麻生内閣の“国立マンガ喫茶”作りはカンベンしてほしい。単なる無駄なハコモノ行政である。

・バブルによって資源配分が歪んだ

野口氏は日米構造問題協議の時、不動産バブルを分析した著書「土地の経済学」に興味を示した米国側と議論したという。野口氏は固定資産税や相続税の負担を重くすれば保有コストが上昇し、資産としての土地の有利性は減殺されたはず、つまり“実物資産”として土地を持つことによってあたかも“土地本位制”のような歪んだ資源配分は起こらなかっただろうと言っている。大前研一氏は相続税を免除し、固定資産税を重くすると提言していたと思う。

バブルは適正な土地価格を破壊し、持てる者と持たざる者をふるいにかけた。「財テクしない者は無能」のように言われ、「金儲けに興味がない人も含めて、あらゆる人々を巻き込んだという意味で、歴史上最も悪質なバブルであった」と野口氏は言う。

・80年代後半の日本は、ソドムとゴモラの町より道徳的に退廃した

いったい小泉改革が日本の良心を壊したと断ずる人達は、一見豊かに見えたバブルの時代を懐かしむのだろうか。資源配分の歪みに日米構造問題協議に関わる米国人が興味を示したように、日本の政治家は問題意識を持っていただろうか。大前氏は、政策への理解を持つ政治家は誰一人いなかったと嘆いていたけれど。

失われた10年において、唯一宮沢喜一首相が不良債権処理の必要性を発信したが、霞ヶ関・銀行・経済団体から猛反発を受けて断念した。大蔵省出身の宮沢首相がこの時断行していれば・・・と悔やまれる。族の寄合い所帯竹下派の影響下では無理な相談だったのだろう。

野口氏が「大蔵省流マキャベリズムの敗北」と表現するのは、大蔵官僚の「善人でも悪人でも、強い人を味方につければよい」という(現実的な)やり方である。「有力な政治家さえ押さえておけば、政策は実行できる。その他はどうでもよい」という考えで、政策には無知な有力な政治家とつるんできた。教育してきたと言っても良い。しかし、バブル期に官僚のモラルは低下し、ついに大蔵省スキャンダルによって社会的信任が崩壊した。

大蔵官僚だった野口氏だからこそ、バブル以後の官僚の能力とモラルの低下には黙っていられないのだろう。

(続く)

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2009年5月27日 (水)

経済史から見る戦後レジームからの脱却(2)

山崎豊子の「運命の人」3巻get!
でも、他にリストアップしていた本が本屋に置いてなかったので、amazonにて6冊注文。ついでにトヨエツのDVDも。やっと雑用から解放されたので、しばらくは100ワットの電球の下で読書にふけるとするか。

その前に野口悠紀雄氏の「戦後日本経済史」をまとめなくては。(野口氏の解説を中心に私の感想を混ぜています)

・日本の保守は米国の保守と逆

ポリティカルコンパスでは、「日本人がやるとやたらとリベラル左派に判定されてしまいます。」と書かれているように、アメリカの保守と日本の保守では、経済面では対極になっている。

つまりアメリカの伝統的保守は、政府の干渉を嫌う「小さな政府」に傾き、日本では「大きな政府」-社会主義的政策を好む結果が出るのである。戦争を経て戦後の高度成長期を主導した体制がリーダーシップをとり、うまく行っていたので、中央集権体制に依存する体質が「日本人的なるもの」として共感されているのではないかと思う。

・高度成長期にすりこまれた幻想

共産党や社会党の出番がなかったのは、実に自民党が社会主義政策を採っていたので、革新はお株を取られていたのであった。73年は「福祉元年」と呼ばれ、この時の「福祉国家」への幻想が現在の日本人の回帰点になっている。

時は田中内閣、名目成長率は21.8%!田中角栄はめちゃくちゃな減税をして、経済活況の中で一億総中流意識を定着させた。中谷巌氏は「30年くらい前、日本は1億総中流社会と批判されていた。こんな平等社会じゃ誰も一生懸命働かないと。ところが、今から考えると日本はその頃が一番元気だった」と当時を懐かしみ、「市場原理主義」を批判しているが、原因と結果をまったく分析していない。

田中角栄のバラマキのツケは、ほんの二十数年の間に財政計画の総点検に追い込まれていく。オイルショックが起こり、田中首相は日本列島改造論に批判的だった福田赳夫を蔵相に起用した。その際、福田赳夫は「日本列島改造論を捨てろ」と言ったという。そして積極財政から総需要抑制へと転換したのであった。

・企業労組が危機を救った

石油ショック対応において、何が功を奏したかというと、賃金決定のメカニズムである。欧米では「物価スライド条項」の賃金協定があったので、不況下での急激な消費者物価上昇率に合わせて賃金が上がり、企業を苦しめた。欧米はスタグフレーションに悩まされた。

ところが、日本は労使協調の企業労組だったので、企業一家として賃上げよりも会社の存続を優先したのである。

「有事の際の企業戦士」とはよく言ったもので、まさしく統制力を示す戦時体制が機能したと。一丸となってオイルショックを乗り越えた経験が「日本型システムはどんな場合にも優れている」と思いこませてしまったと野口氏は言う。

・大蔵省は歴史の転換点を把握できなかった

「もし石油ショックがなかったら、戦時経済システムは徐々に変質していったはず」と野口氏は結論づけているが、その後のバブルに政官業癒着のままに踊り狂った体質を見ると、中央集権の官僚体制にメスを入れるチャンスは来なかったように思える。

野口氏の言うように、より自由主義的な経済が実現していたら、お国のために奉仕することを義務づけられた戦時金融システムの中核である長期信用銀行は、直接金融にソフトランディングしていたか?難しい問いである。しかし、日本型社会主義が機能したために戦時統制経済体制が生き残り、バブル崩壊で国民が払わされたツケは、とんでもないものだったのである。

結論を先に書くと、山一証券が損失隠蔽によって破綻した97年当時、バブルのせいで投資銀行への方向付けが定まらず、特権的組織であった日本長期信用銀行が新生銀行となる過程等で、特別公的管理期間中に投入された公的資金は11兆円を超えている。

サンプロで加藤紘一氏と竹中氏がまったくかみ合わぬ討論をしていたが、竹中氏が指摘したとおり、当時、自民党政権中枢にいた加藤紘一らが、銀行が官僚接待に明け暮れていた体質のまま責任の所在を明らかにすることなく、失われた10年を長引かせた張本人なのである。その尻ぬぐいをさせられた小泉-竹中が「日本人の倫理観を失わせた」って、なんじゃそりゃ?である。問題のすり替えもここまで来るとあっぱれである。

その結果、不良債権の無税償却と合わせて納税者の負担は約49兆円にのぼったと野口氏は算出する。これだけの額を、銀行の放漫融資の尻ぬぐいのために国民が負担させられたのである。

・・・続く(4)まで更新予約済み

◆日々是語草◆ 
「日本の夜明け」の清水氏がさいたま市長に当選

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2009年5月25日 (月)

世襲候補制限の意義は公募制の徹底

自民・伊吹氏、世襲制限に慎重意見「公募制の徹底を」

自民党の伊吹文明元幹事長は24日、広島市で講演し、「親が代議士だから、バカ息子でも代議士になるのは感心しないが、息子の方が政治家として立派なのに公認してはいけないというのも無理がある」と述べた。党改革実行本部(武部勤本部長)が次の総選挙から世襲候補を公認しない方向で調整していることに慎重な考えを示したものだ。

 その上で伊吹氏は「公募制を厳密にやり、結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない」とし、公募を徹底するほうが望ましいと強調した。また、政治資金の継承には規制が必要との考えを示した。

公募制を厳密にやり、結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない

伊吹さんに賛成。
候補者選定の基準が明確でないのが問題なのであって、今まで当然のように息子・娘に地盤を継がせ、党が公認してきた体質を改善してほしい。政治資金の継承にも規制が必要。

英国のように公募で選んだ候補をストックしておき、世襲は親の選挙区以外にもっていくのも一つの考え方である。あえて強い候補者の選挙区に世襲候補をぶつけるので、当選する確率は小さい。しかし、エスカレーターのように地盤・看板・カバンに乗って当選するよりも、一回浪人する覚悟で“修行”してもらうほうが当人の底力になっていくと思う。

将来性のある候補者は、党が研修するシステムを作れば、選挙間際に知名度頼みの「タレント候補」などいなくなるだろう。世襲議員だけを制限して、ヨコミネ議員などが楽々当選してしまうような公認システムだったら笑うに笑えない。要するに世襲だろうがタレントだろうが、同じ土俵に立って、公認にふさわしい基準を党が示すことが「機会の平等」に叶う。

「公募制の厳密化」と透明性、政治信条・政策で競い合うルール作りを進めてもらいたい。

次回の衆院選で世襲の該当者は小泉進次郎君とあと一人(臼井氏だっけ?)、たった二人である。現実的には、進次郎君は県連がすでに推薦しているので、途中で公認はずしとなるとイジメに近い。他に適任の公募者がつかえているなら別だが、次の選挙には間に合いそうもない。

たとえ無所属でも選挙区替えでも、小泉進次郎君は頑張って乗り越えていくと思う。彼のためには、一度試練を与えるくらいでちょうどいいかもしれない。

自民党は、もう少し時間をかけてルール変更の意義を煮詰めていくべきである。今のままでは、単なる世襲批判の人気取り政策に堕しているように思う。

◆日々是語草◆
加藤紘一氏、中谷巌氏は社民党に行けば?(追記あり)

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2009年5月23日 (土)

日本郵政4社とも黒字。郵政2社申告漏れ。西川社長は続投できるか

日本郵政、傘下4社すべて黒字…経常利益8305億円

 日本郵政グループは22日、民営化後初の通期決算となる2009年3月期連結決算を発表した。

 持ち株会社の日本郵政、郵便局会社など傘下の4事業会社すべてが黒字を達成し、一般企業の売上高にあたる経常収益は19兆9617億円、経常利益は8305億円、税引き後利益は4227億円だった。国が株式を100%保有する特殊会社ながら、国内企業でNTTに次いで高い水準の利益を確保した。

 ただ、世界的な景気後退の影響で、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の金融2社が運用損を計上したのが響き、経常利益は08年11月時点の予想に比べて7・7%減だった。

 事業会社別の経常利益は、郵便事業会社が589億円、郵便局会社が838億円などとなった。

(2009年5月22日22時57分  読売新聞)

国に大きな税収が入ってくるようになったことだけでも、民営化の意義は大きい。これだけ利益を出している経営者を更迭する理由はない。郵便割引制度の悪用事件といった不祥事は、今後改善していけばよい。

郵政2社追徴数十億円に、申告漏れ100億円超…国税指摘

 日本郵政グループで集荷や配達を行う「郵便事業会社」(東京都千代田区)と窓口業務を担当する「郵便局会社」(同)の2社が東京国税局の税務調査を受け、2008年3月期に100億円以上の申告漏れを指摘されていたことがわかった。

 過少申告加算税を含む法人税の追徴税額は2社で数十億円に上る見通し。

 日本郵政関係者によると、郵便事業会社は、切手やはがきなどの売上の一部について、計上時期の誤りを指摘され、郵便局会社は、社員に支払う営業手当の一部について経費として損金算入できないと指摘された。

 日本郵政グループは22日の09年3月期の決算発表で、過年度法人税等として郵便事業会社が35億3000万円、郵便局会社は56億8800万円をそれぞれ計上。これは申告漏れに伴う追徴税額の見込みが含まれている。日本郵政会社は06年、郵政民営化の準備会社として設立。翌07年10月、民営化された。傘下に郵便事業会社、郵便局会社、ゆうちょ銀行などを抱える。

(2009年5月23日03時04分  読売新聞)

バブル時代の不正・企業ガバナンスの不在を立て続けに本で読んでいたので、申告漏れが可愛く見えてしまう(笑)
申告漏れが隠蔽によるものなのか杜撰経理によるものかによって違うが、「切手やはがきなどの売上の一部について、計上時期の誤りを指摘され、郵便局会社は、社員に支払う営業手当の一部について経費として損金算入できないと指摘された」ところを見ると、単なるミスによるものだろうか?

追徴金を課せられたことについて、西川社長は「国税庁と見解の相違がある」と釈明していた。損金の扱いが国税庁の胸先三寸で変わるとも思えないが、なんとなくすっきりしない。鳩山総務相にペコペコしていた西川社長が国税庁には毅然と反論しているのは、この追徴金に釈然としない思いがあるのだろう。「ペコペコしている」ように見えるのは、テレビでわざとそういう絵を切り取って見せているということもある。

かんぽの宿売却問題以来、西川社長の会見は、いつもほんの一言だけを報じるにすぎない。テレビでは総務省情報を詳しく流すことに終始し、日本郵政側の言い分を一切伝えない。サンデープロジェクトで竹中氏の反論を聞いたのみである。それも亀井静香に邪魔をされて、わずかな時間しかしゃべらせてもらえなかった。

日本郵政の西川社長、国会で続投意向表明…総務相は否定的

 日本郵政の西川善文社長は20日、参院予算委員会の答弁で「責任を持って改革の推進に取り組み、自らの責任を果たしたい」と述べ、6月の任期切れ後も続投する意向を国会で初めて表明した。

 これに対し、日本郵政の取締役人事の認可権を持つ鳩山総務相は「適格性があるかどうか、厳しく判断しなくてはならない」と答弁し、無条件の続投には否定的な考えを強調した。

 自民党の中川義雄議員の質問に答えた。

(2009年5月20日12時36分  読売新聞)

鳩山総務相は「経営に問題がある」として西川社長を更迭する気満々だが、公務員時代から公社まで、横領などの法律違反や決算のデタラメさを見逃してきたことにはほおかむりし、民営化になってから疑惑を煽って不祥事に仕立て上げ、経営者責任を糾弾する、これは本当に天にツバする理不尽なことである。

官営のままであったら、どれだけ国民の利益が毀損されていたことか、国民は鳩山総務相の論点ずらしを見抜く必要がある。

週刊誌(文春だったと思う)は、わざわざ「竹中の選んだ西川」という切り口で、一生懸命あら探しをする意図を見せるが、面白いことに「やり手で厳しい」西川像しか描けない。竹中とのカイカク利権だの癒着の証拠は一切出せていない。

トップの人事権を総務省に握られた時、民営化の意義は失われる。上場も危なくなるだろう。

日本郵政は外部取締役がほとんどである。もうファミリーの時代ではない。日本郵政指名委員会が西川社長続投を認めたことは尊重すべきである。鳩山総務相の「日本郵政はお手盛り人事」という批判は、そっくりそのままあなたにお返ししたい。

銀行時代の往年のキレ味のまま西川社長の改革姿勢がどこまで続くかわからない。完全民営化が野党と総務省の横やりで風前の灯火である。孤立無援の中、日本郵政はもう一度姿勢を正し、実績をもって巻き返せ。

官邸周辺の反応は?

朝日新聞ニュースダイジェストより抜粋
ひかぬ総務相、政権に火種 どうなる郵政社長人事? 取締役会は再任案決定

鳩山総務相『日本郵政が国民の財産をかすめ取って売り飛ばそうとした。(社長の)責任がないことを私が認めれば、正義感を捨て去ることにつながる』

西川社長『正義にもとることをやったという認識はない』

菅義偉・自民党選対副委員長『頼んで民間から来て頂いた方だから、例えば辞意表明とかがなければ、政府から(更迭することは)あり得ない』

与謝野財務相『すべての閣僚は首相の指揮下にある。郵政に関する総務相の権限も内閣から付与されている』と、暗に鳩山氏に自制を求めた。

首相周辺『西川社長の自発的な退場を待つしかない』

麻生首相
首相は最近、郵政民営化法に反対し、西川氏の続投に否定的な山口俊一首相補佐官にも『官邸としては動くな』と指示した

麻生首相もその周辺も、鳩山総務相の暴走に手を焼いているようだ。
この際、鳩山友愛弟にはとことん意地を通してもらって、結果がどうなるか見てみたい。

◆日々是語草◆
加藤紘一氏、中谷巌氏は社民党に行けば?

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2009年5月22日 (金)

経済史から見る戦後レジームからの脱却(1)

野口悠紀雄さんの「戦後日本経済史」は、週刊新潮の連載中に読んでいたので、本は買ったまま積んでおいた。かなり忘れているので改めて読み直してみると、なかなかページが進まない。関連したことが思い出されて、欄外にメモを書いたりするうち、思考が脇道に逸れたまま戻ってこれなくなったり…。当分読み終わりそうもないので、読み終わる頃には最初のほうを忘れてる、、なんてことがないように、ブログにメモしておこうと思う。

おおづかみに内容を言うと、戦前から戦後に続いた官僚による統制経済が停滞をもたらしているので、経済の「戦後レジームからの脱却」が必要ということである。

渡辺喜美氏が主張する「1940年体制からの脱却」は、野口氏の考え方を参考にしている部分も多いのでは?小泉改革の郵政選挙に批判的だったり、「構造改革」のスローガンを酷評しているのもよく似ている。しかし、野口氏は財政投融資が“金融鎖国”状態でのみ有効で、市場がグローバル化している時代にはいずれ破綻することは明言している。郵政選挙がアブノーマル(!?)だったとしても、郵政民営化が軌道に乗るようにもっと応援してほしいなあ、と思う。

通商産業省発足当時の外務省と商工省のヘゲモニー争いは面白かった。

GHQの命令で、貿易を管理する役所を作ることになった。通産省を作ったことで有名な白洲次郎であるが、白洲は外務省出向者が多い貿易庁長官であったので、商工省人脈と外務官僚の間に激しい対立が生じたという。「白洲次郎 占領を背負った男」をわくわくしながら夢中で読んだものだが、通産省の初代次官に白洲がなぜならなかったかはよくわからなかった。引き際を心得ていた印象だったが、野口氏の解説によれば、通商局の課長以上を外務省の出向者が占めるかわりに、次官は商工省の出身者にすることで手を打ったのだという。「ならなかった」のではなく、「なれなかった」のである。通産省内部での「国際派」と「統制派」の対立は続いていく。

岸信介の時代にあっても、統制官僚派は、産業の国家統制によって日本型社会主義を目指した。とはいえ、国家総動員法の下でも財界は政府と激しく対立していたわけで、完全な産業統制は実現できなかった。

当時、業界団体として「統制会」が作られ、統制会の上部機構である「重要産業協議会」が「経済団体連合会」となった。55年体制ができた時には、財界から自由民主党への献金システムを整備している。

戦後の大企業は、通産省と(鎖国的な)金融機関と一体だったのである。

戦時中は大企業は国のために奉仕し、戦後は国の庇護の下に成長した。アメリカの歴史かジョン・ダワーは「純粋に戦後生まれの企業は、ソニーとホンダしかない」と言う。

岸信介といえば日米安保改正である。余談だが、「郵政民営化は米国の陰謀」を主張し続ける森田実氏は、当時の共産主義者同盟(ブント)の指導者だったそうだ。

田原総一朗氏の「改正安保は既存の安保条約よりよくなったのではないか」という質問に対し、森田氏は「その点がぼくらの弱いところで、反対の明確な理由付けは出来なかった」と答えている。

そのことをもって、野口氏は安保反対運動を「根拠なき熱狂」と格調高く表現しているが、明確な理由もなく反対運動するのは「ただのアホ」ではないか。

戦後「日本型企業」と言われるものは、「労使協調路線」によって成立した。(その代表は、東芝争議を収めた石坂泰三)

1,戦時期における企業改革で大株主の影響が排除された結果、大企業経営者のほとんどが内部昇進者になった。つまり社長とは、出世レースに勝ち残った労働者なのである。=経営者と労働者の未分離
2,労働組合の特殊性。先進諸国の労働組合は産業別に組織されるのが普通だが、日本では企業別労働組合がほとんどである。

EUの高福祉国家では、産業別労働組合が失業者の職業訓練や雇用対策を手助けしている。日本型は企業内ファミリー意識が強いことを“美徳”のように考えるが、高度成長期に形作られた原型へのノスタルジーが消えないのではないかと考えられる。

野口氏はこう言う。

それは、全員が共通の目的のために協力するという意味で、軍隊と同じ性格の組織である。だから「企業戦士」という言い方は、比喩以上の意味を持っている。

政府は、このような「企業一家」を支えた。
終身雇用は法的に明記されたことはない、高度成長によって、結果として解雇しなくて済んでいたというだけのことであると大前氏は言っていたが、政府は「わかりにくい形の補助」という形で、長く雇用すれば優遇する税体系を作っていた。(退職給与引当金や社宅提供による補助金等)

国が終身雇用を促してきたのである。

国は特定産業振興臨時措置法によって企業の合併や提携を進め、生産を集中させる施策をとろうとした。企業間で投資を調整する見返りに金融措置と税制措置を与えようというわけである。国策産業といえるものだが、石川泰三率いる経団連、金融界、そして大蔵省が強く反対した。

このとき保護が必要と考えられた自動車産業は、いまや世界に冠たる地位を占めている。「自動車産業は、政府の干渉がなかったからこそ成長した」と言うべきだろう。

特振法は大蔵省と通産省の戦いであった。特振法の挫折は、戦時経済体制全般にとっての「終わりの始まり」であった。

(続く)

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2009年5月21日 (木)

「官から民へ」をもう一度真剣に議論する

「小さな政府で、大きな福祉」という選択肢がある

山崎元氏の意見に全面的に賛同する。
「中福祉・中負担」という曖昧な増税・再分配議論はやめて、もう一度「官から民へ」の意義を問い直す必要があると思う。(リンク先で全文をお読み下さい)

一方、筆者は、政府や自治体が事業の主体となると、競争が働かない中で、非効率的に事業が運営される傾向があるので、福祉的サービスを購入できる金銭的な補助が行われれば、あとは、民間の事業者がサービスを提供するのがいいと思っている。公的な事業(公務員の商売)は、多くの場合、競争に晒されない独占的な事業になるので、商品・サービスにも、コストにも競争が働かない。また、消費者の側に複数の選択肢がないのは問題だと思う。

 たとえば介護事業には、率直に言ってかなり胡散臭い業者も参入しているし、現状に問題もあるだろうが、事業への参入が自由で、顧客側に複数の選択肢があれば、徐々にサービスの質が上がってくるのではないかと期待する。国が事業主体となったり、特定の事業者が国や自治体と癒着して独占的に事業を進めるようになる状態は願い下げだ。介護以外にもゴミ収集などのサービス事業は出来るだけ民間で競争的にやるべきだと思う。

与謝野財務相が選抜した委員達で構成する「安心社会実現会議」では、目指すべき国家像や社会保障のあり方について議論するという。委員の渡邉恒雄氏は、数日前に「厚労省の分割」を提案した。それは大賛成。労働・年金・医療、どれをとっても担当大臣一人が手に負えるものではない。

しかし、国家像や社会保障の在り方については、まずグランドデザインなくして「再分配の仕組み」を論ずることは順序が逆なのである。増税すれば必ず国民が求める充実した福祉社会が実現するかといえば、「どうせうやむやにどこかに消えてしまう」と国民は疑り深くなっている。消費税を福祉に使うのか地方自治に回すのか、あるいは年金にどのくらい充当するのか、政府の説明ではまったくシナリオがわからない。厚労省分割案を受けて、与謝野氏が検討を始めたようだが、くれぐれも焼け太りにならないように。

――観光庁は長官を民間からという約束だったのにあっさり国交省の役人が横滑りした。政府はスポーツ庁も作りたいようだが、種目別の協会の力関係で予算獲得合戦になるのは目に見えている。どこも欲しいのは強化費に決まっている。オリンピック選手育成を国家でやろうというのだろうか。

厚労省分割自体は賛成だが、「日本型社会主義」を信条とする与謝野氏は「大きな政府」型の筆頭格なので、厚労省の権限縮小には切り込めないだろう。

一つの例として、介護分野への行政介入は、結果として認可基準を巡る官業癒着構造を生みだした。介護業務や予防医療の名目で、必要のない器具にかかる費用まで利用者が負担しなければならず、コムスンのような「搾取型」業者を生んだ。年金・介護・雇用などの保険料は、負担する国民の見えないところで莫大な無駄を作ってきたのである。ようやく昨今、国民の命に関わる保険料が役人に食われ続けていた実態が周知されるようになった。

介護業界参入の規制緩和をある程度認めなければ、介護士が増えても派遣の需要に追いつかない。数人の介護士がチームを組んで、地元の介護に回り、感謝されているという話を聞いた。このように「搾取型」派遣に縛られない地元密着の介護士の活躍を全国展開する手助けをしたらいいのではないか。

ボランティアとしてではなく、きちんと生計を維持できるまでに産業として育成していくには、官の干渉が邪魔になる時があるのである。無駄な器具の押し付けや中間搾取をなくせば介護報酬に上乗せできるし、介護保険の増額を抑えることができる。夕飯の手伝いだけしてほしいというニーズもあるだろうし、数時間の話し相手がほしいという年配者もいるかもしれない。そうすると必ず年配者を騙して金品を奪うような、福祉を食い物にする輩が現れるので、介護士の資格に人物評定などの要件も必要になってくるかもしれない。外国人の資格認定に「漢字力」まで求めるのは酷なことである。

山崎元氏の言うようにゴミ収集事業も官だけに任せておく理由はない。大枠の認可要件を国が決めて、民間委託という小さな次元ではなく、地元密着の民間業者が新規参入できるようにすれば良い。歓楽街には歓楽街の、住宅街には住宅街のゴミ収集法があるはずである。民間に競争させることが労働市場の拡大につながり、ゴミ問題にも一役買うだろう。今は、どこの市町村もゴミ収集は利用者負担の時代である。

真剣に「小さな政府で大きな福祉」を議論してみたらどうだろう。
制度改革も話し合わない増税ありきの「安心社会実現会議」では心許ない。

参照:(過去ログ倉庫)的はずれの改革後退論議で安心社会実現ができるものか

◆日々是語草◆ 
スローシティ

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2009年5月20日 (水)

鳩山総務相の西川社長追放劇場。これが鳩山兄弟の「友愛の精神」だ

今も批判に晒されている竹中氏がいつも言うのは、「批判は誰でもできる。対案をもって初めて批判せよ」ということである。

<批判の3パターン>
1,何でも反対のことを言う
2,永遠の真理を言う
3,問答無用にラベルを貼る

なんだ、民主党のことじゃないか。
アンチ小泉改革の自民党守旧派もそうだなぁ。「優しい政治」「みんなが幸せ」などと政治家が言い出したら要注意である。鳩山由紀夫はいまだにテレビで「小泉改革が格差社会を作った」なんて問答無用に決めつけている。自民党の族議員は「地方が病弊した」と。

地方の駅前シャッター通りを顕現させた直接の原因は、郊外の大型店を規制していた大規模小売店舗法が2000年に規制廃止されたこと。それは口が裂けても言わない。岡田克也さんにそのへんのところを是非お伺いしたい。

と言っても、車社会となって鉄道利用が減れば駅前がさびれるのは時代の趨勢でもあるので、一概に規制し続けるのも無理がある。大型店の郊外への進出は米国の圧力と批判するのも当たらない。商店主の高齢化あるいは所得移転や賃貸に消極的な問題もある。少なくとも小泉改革によって地方が病弊したという証拠として「駅前シャッター通り」を出すのは間違いだということである。

このように批判の3パターンを恥ずかしくもなく晒しているのが鳩山兄弟である。「やさしい」を超えて「愛」だというんだから・・・。渡辺喜美も「愛の構造改革」と言っているけど(^_^;

鳩山兄弟は「愛」と「正義」が大好きである。祖父の鳩山一郎がフリーメーソンだったからといって、選ばれた仲間の結束を図る「友愛」を国の舵取りの理念として持ち出す時点で、この人達の器は「組合の委員長」以上ではないと思う。

鳩山邦夫が日本郵政に「正義感をもって闘い抜く」と演説していたのには開いた口がふさがらなかった。大事な国のお得意様である全国郵便局長の前で「民営化を絶対見直します」と忠誠を誓う姿に「正義」も安くなったもんだと気分が塞いだ。

郵政民営化を実質官営に戻そうと必死なのが鳩山総務相である。
「正義」の衣を剥ぐと、郵便局長会はじめ郵政ファミリーのネットワークを「壊されてたまるかっ」という悲鳴を受けて、恩を売って支持基盤を取り戻そうとする卑しい政治家の姿が見える。

公社の時よりも利益を出し、僻地の郵便局も維持し、これから軌道に乗せようという大事な時に、後押しをすべき担当大臣が民間出身の「西川社長おろし」に余念がない。某保守論客が「かんぽの宿売却問題では鳩山総務相、よくやった」と誉めていらっしゃった。

公社以前の郵政は、かつての銀行と同じようにコンプライアンスに問題があった。生田総裁は民営化前に徹底した指導を行ったが、途中ですぱっとクビを切られた。以前、その実態をブログに書き連ねたことがあるが、なぜ不正の横行が表に出てこなかったのか。銀行と同じようにメディアに影響力を持っているのである。

公務員でありながら政治運動にうつつをぬかし、自民党と癒着してきた郵政体質が今でも残っている。それが自民党の盤石の支持基盤になっていたのは御承知の通り。歪んだ構造にメスを入れることがどれほど難しいことか、小泉時代に初めて知った。

最近のニュースを並べてみよう。

時事ドットコム

日本郵政社長の再任拒否を要請へ=野党3党

 民主党と国民新党、社民党は14日、日本郵政の西川善文社長の再任を認めないよう、鳩山邦夫総務相に要請する方針を決めた。3党は、保養・宿泊施設「かんぽの宿」を一括売却しようとしたことが特別背任未遂に当たるとして15日に西川社長を刑事告発する予定で、「犯罪の疑いがある以上、社長を続けるのは好ましくない」(国民新党の長谷川憲正参院議員)としている。
 西川社長の任期は1年で毎年更新している。 (2009/05/14-18:44)

総務相、郵政社長の続投拒否を示唆=野党3党は刑事告発

 鳩山邦夫総務相は15日の閣議後会見で、日本郵政が株主総会で西川善文社長の再任を決めた場合の対応について、「総務相が認可しない限り効力が発生しないと日本郵政株式会社法に規定されている。今まで国会で申し上げてきた考え方を基に、認可するかしないか判断する」と述べ、認可しない可能性があることを示唆した。
 総務相は保養・宿泊施設「かんぽの宿」の一括売却問題をめぐり、8日の衆院予算委員会で「(西川社長に)大変大きな責任がある。在任中に起きた問題であり、一定の始末はご自分で付けていただきたい」と答弁し、西川社長の経営責任を追及する考えを示している。
 これに関連し、民主党、国民新党、社民党の野党3党は15日、「かんぽの宿を不当な廉価で譲渡し日本郵政に財産上の損害を加えようとした」として、特別背任未遂罪などで東京地検に刑事告発した。告発に先立ち、鳩山総務相に西川社長の解任も要求した。(2009/05/15-12:51)

犯罪事実ないと確信=刑事告発受けコメント-日本郵政社長(読売)

 日本郵政の西川善文社長は15日、保養・宿泊施設「かんぽの宿」を不当に安く売却しようとしたとして、民主党など野党3党が同社長を東京地検に刑事告発したことを受けて「特別背任未遂罪等に該当する事実はまったく無かったと確信している」とのコメントを発表した。また、「引き続き経営者としての責任を果たしていく」と、同社の経営を続ける考えを強調した。(2009/05/15-20:43)

日本郵政、西川社長再任を確認…総務相“追及方針”そっぽ

 日本郵政は18日、指名委員会を開き、6月に任期が切れる西川善文社長を再任する方針を確認した。

 22日にも発表する。6月下旬の株主総会後に正式に決まるが、役員人事の認可権を持つ鳩山総務相が「かんぽの宿」問題への対応などを巡って西川社長の経営責任を追及する姿勢を強めており、総務相の対応が焦点となる。

 日本郵政は、取締役候補の決定権を社外取締役が過半数を占める指名委員会が握っている。指名委員会は郵政民営化を推進してきた西川社長の実績を評価し、続投方針を認めた模様だ。

 西川社長の再任方針について、鳩山総務相は読売新聞の取材に対し、「まず株主総会があり、許認可権は私にある」と述べ、続投問題が決着していないとの認識を示した。

 「かんぽの宿」の売却問題では相手先の選定や価格に不透明な部分が多いなどとして、日本郵政は総務省から業務改善命令を受けた。国会でも西川社長の経営責任を追及する声が高まり、進退が注目されている。

(2009年5月18日12時37分  読売新聞)

鳩山総務相「西川社長を許すつもりは全くない」(朝日)
2009年5月18日1時24分

 鳩山総務相は17日に千葉市で開かれた全国郵便局長会(全特)の総会に出席し、かんぽの宿売却問題にからんで日本郵政・西川善文社長の経営を厳しく批判した。「今までも許さなかったし、これからも許すつもりは全くない」と述べ、社長続投を認めない姿勢をはっきり示した。

 鳩山氏は、日本郵政がかんぽの宿をオリックス不動産に109億円で一括売却を決めたことは「国民共有の財産を無にする絶対に許し難い行為だ」と発言。「郵政文化を邪魔する者とは正義感をもって闘い抜く」とも語った。

 日本郵政は週明けにも社外役員らでつくる「指名委員会」で経営陣の人事を内定し、6月末の株主総会に諮る方針。指名委は西川氏を再任することが有力視されているが、株主は政府だけで、さらに取締役選任の決議には総務相の認可が必要だ。

 全特の総会には全国から郵便局長やOBなど約1万人が参加。浦野修会長が退き、柘植芳文・副会長(愛知県・名古屋森孝郵便局長)を新会長に選んだ。(橋田正城)

西川社長追放劇のフィナーレか。
「正義の味方」「文化の守護神」鳩山邦夫は西川社長を切って旧郵政省の団氏をトップに送り込みたい。

「犯罪者」のイメージをつけるため訴訟を乱発するのは左翼の手口。民主も社民も腐っている。国民新党には、すでに役目を終えた古い自民党の腐臭が漂う。今、総務官僚が鳩山邦夫の黒衣となり、野党にも追及材料をせっせと渡しているのである。

参照:(過去ログ倉庫)郵政民営化委員会「見直し」の結論

民営化でちゃんと利益を出せと干渉しながら、かんぽの宿さえ天下り先として利用してきた総務省は、民営ではお荷物のかんぽの宿を売却させない。従業員の雇用を守れと命令しながら黒字にせよと言う。文化遺産の価値もない丸の内郵便局の一部を無理矢理残させ、西川社長を追い落とす。上場させない算段まで野党と打ち合わせ済み。麻生首相が後ろ盾。どこまで足を引っ張るつもりなのか。100%株主による民業圧迫ではないか。

これが鳩山兄弟の「友愛の精神」なるものである。

参照:(過去ログ倉庫)鳩山兄弟が「友愛精神」を語ってもフリーメーソンにはなれない

【追記】鳩山邦夫氏ご本人による「友愛」の説明

鳩山兄弟:「友愛」で連携…総務相自ら説明

 民主党の鳩山由紀夫代表の就任後初の国会論戦となった20日の参院予算委員会で、鳩山氏が掲げる理念の「友愛」を民主党の質問者が取り上げた。麻生太郎首相のそっけない答弁に対し、鳩山氏の弟の鳩山邦夫総務相は詳しく解説し、与野党を超え兄弟が連携する展開となった。

 民主党の峰崎直樹氏が友愛について聞いたところ、麻生首相は「(鳩山兄弟の祖父の)鳩山一郎という人が使っていたのが中学生当時の記憶だ。どう実現するか、具体的な政治行程を示すことが極めて大事だ」と民主党批判に結びつけた。

 これに対し、鳩山総務相は自ら手を挙げ「祖父が(公職)追放になり、軽井沢での晴耕雨読の日々で『パンヨーロッパ』という本を読んだ。その『友愛』思想にほれ込んだ。共生の思想だ」とすらすら説明してみせた。【田中成之】

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2009年5月19日 (火)

バブルが終わっても癒着構造は残った。アンチ改革派のネガキャンに騙されるな

さて、お部屋もきれいになったことだし、何か書くか。引っ越したばかりで殺風景だものね。

江上剛さんの「腐蝕の王国」は長い、長い、一気に読んだら疲れた。
不動産バブルに踊り、銀行経営が腐敗していく過程を人間ドラマに搦めて精緻に描いていた。精緻すぎて、あの頃の接待汚職スキャンダル等々がリアルに思い出された。

マネーゲーム、倫理なき自由競争が不動産バブルをもたらし、そしてバブルを終わらせたのもまさしく濡れ手で粟の拝金主義であった。小説では、担保の不動産をペーパーカンパニーに買い取らせる不良債権の“飛ばし”が頭取を追いつめた。文字通り死人の山が累々と…。「小説 金融庁」ではダイエー再建問題が出てくるが、竹中氏はこう振り返っている。「経産省は、産業再生機構の活用さえ回避できれば、外資系ファンドに叩き売ってもいいという態度だったと思います。面子が保たれれば、国益なんてどうでもいいという官僚たちに嫌悪感すら覚えました。」(ズバリ!先読み日本経済)

銀行と御用ジャーナリストのネガキャンも酷い。ありとあらゆるネガキャンに国民は騙された。銀行系のシンクタンクはむちゃくちゃな数字を出して、それに加担した。「貸し渋り・貸しはがしは不良債権処理のせい」というのは完全に間違い。私も騙されていた。

その後始末で資産査定を厳格化し、経営の透明化を図ったのが小泉-竹中であった。なあなあの不正の横行が常態化している中で、金融再生プログラム遂行は確かに“原理主義”に見えたことだろう。半強制的な統合再編は中で働く人達にとっては自我の崩壊に等しい。メガバンクは2つでいいとする米国の干渉もあったので、煽りを食らった当事者が「竹中は米国の使いっ走り」と恨む気持ちもあっただろう。

ついでに書くと、ネガキャンに引っかかる人達は「小泉・竹中は米国の要望通り郵政民営化をした」と言うが、郵政民営化は米国の年次改革要望書の10年前以上からの小泉さんの持論だし、米国が望む民営化の形とはまったく違う。「保険の新規参入」など米国は反発している。

バブル崩壊後、そして今回のグローバルな金融危機を奇貨として、猫も杓子も投資に振り回された時代は終わりつつある。タックスヘブンの規制まで取りざたされている。時代は変わるものだ。

短期売り抜けのギャンブル投資ではなく、安定的な企業を育てる長期投資型へ、国は国内企業を効果的に支援するために政府系ファンドに臆病になるべきではない、そのようなことを改革派議員らは言い続けてきたのである。モラルに反する投資を規制せよ、と。今、与謝野氏が言い出すずーーっと前から言っていた。金融を悪いものと斬り捨てるのではなく、健全な金融を育てるという方向を訴え続けているのである。

小泉-竹中が拝金主義で日本をダメにしたなど、原因と結果を取り違えた濡れ衣である。いや、わざと悪意に満ちたレッテル貼りをしている。企業の社会性、社会的貢献は、別に「日本的価値観」ではない。改革派はCSR(社会的責任)を重く見て、社会に利益を還元しやすいように重税感のない税体系を構築しようというのである。「小泉・竹中の弱肉強食経済から脱して日本的価値観を取り戻そう」という論客達のなんとズレていることか。

方向性を間違えたバッシングがいまだに続くのは、それだけ「壊されては困る」既得権者がいたのであり、歪んだ構造があったということである。高度成長期に走り抜く過程で作り上げられてきた楼閣が倒される前の断末魔である。

だからといって、私は小泉-竹中が正義の味方と言っているわけではない。どこに腐敗因子があり、正常な体質に戻すために何が必要であるか、その施策は一通りではない。非常に政治的な思惑の中で汚い駆け引きもしなければならない。小泉氏は「政治的解決」ということをよくわかっている政治家だと思う。政治にもっとも似つかわしくないのが「愛」とか「正義」という言葉である。なぜなら人によって「愛」の形も「正義」の方向性も違うものだから。無条件に与える愛の体現者にでもなるつもりなら出家すればよい。

鳩山兄弟は「愛」と「正義」が大好きである。

長くなるので分けよう。続きは明日(予約済み)

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2009年5月18日 (月)

お引っ越し

(旧)もじもじスケッチを過去ログ倉庫として残し、梨里庵として再スタートします。

もじスケ908エントリー、よく書き続けたものだ。一人シミジミ

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