小和田恆氏の外務省史観が日本外交を縛ってきた
諸君!12月号「まやかしの『A級戦犯・分祀論』に、終止符を打て」の中で、渡部昇一氏が小和田恆元外務次官の答弁を紹介している。
東京裁判については、以下の寄稿にも同様の内容が端的にまとめられている。
【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 政治家・官僚にお願いしたい事
≪「卑屈度」が増すばかり≫
麻生太郎さんが総理になられた。麻生さんのお考えには共鳴するところが多いのだが、安倍晋三内閣の外務大臣の時の「日本は東京裁判を受諾して国際社会に復帰した」との発言には重大な錯誤があったと思う。しかもその錯誤は多くの保守系の政治家や官僚、そしてほとんどすべてのサヨク系の政治家やジャーナリストの強い「思い込み」になっていると思われる。改めて訂正をお願いしたい。
戦後を体験した人間として不思議に思うのは、敗戦直後の日本の政治家が、チャイナやコリアに卑屈でなかったことである。それが講和条約締結から時間が経(た)つにつれて、だんだん卑屈度が増してきているという印象があるのだ。その理由としては、ハニー・トラップやマネー・トラップ(女性やお金の誘惑)が利いているのだと推測する人も少なくない。それも少なからぬ効果を発揮しているのだろうが、もっと深いところで、サンフランシスコ講和条約第11条についての外務省の解釈がいつの間にか変わってきたことに、日本政府を卑屈にさせる根本原因があると考えられるのである。
≪「裁判」と「判決」の混同≫
その第11条は、「日本は東京裁判の諸判決(Judgments)を受諾し、それを遂行する」という主旨(しゅし)のものである。ところが、外務省はいつの間にか「裁判」と「判決」を混同し、それを政治家にレクチャーし続けているのだ。たとえば今を遡(さかのぼ)ること23年前の昭和60年11月8日の衆議院の外務委員会において、外務省見解を代表した形で、小和田恒氏は土井たか子議員の質問にこう答えている。
「…ここで裁判(極東国際軍事裁判=東京裁判)を受諾しているわけでございますから、その裁判の内容をそういうものとして受けとめる、そういうものとして承諾するということでございます」
この時点で日本の外務省の正式見解は、裁判と判決をごっちゃにしているという致命的な誤りを犯しているのである。
例の第11条を読んでみたまえ。そこには「諸判決(Judgments)を遂行する」としている。もしJudgmentsを「判決」でなく「裁判」と訳したら、日本政府が遂行できるわけはないではないか。東京裁判を遂行したのは連合国である。その裁判所は死刑の他に無期刑やら有期刑の諸判決を下した。その諸判決の期間が終わらないうちに講和条約が成立し、日本が独立したので、「その刑期だけはちゃんと果たさせなさいよ」ということである。
東京裁判は、いわゆるA級戦犯の誰も受諾、つまり納得していない。たとえば東条英機被告の『宣誓口述書』を見よ。受諾したのは判決のみである。他の被告も同じだ。これは敗戦国の指導者たちとして捕虜状態にあるのだから逃げるわけにゆかないのだ。
(省略)
東京裁判はマッカーサーの条例で行われたものであるが、後になって彼自身がアメリカ上院で日本人が戦争に突入したのは主として「自衛」のためだったと証言しているから、「侵略」戦争の共同謀議というA級戦犯の罪状のカテゴリー自体も消えていることを外務省に知ってもらいたい。(わたなべ しょういち)
以上の内容を踏まえ、外務省条約局は当時なぜ「裁判」と「判決」を誤訳したのか、また明らかな誤訳を訂正することなく今日まできたのか、そのことによって歴史認識に対する多大な齟齬を来していることを渡部氏は明快に論評している。
小和田氏の歴史認識とは“外務省史観”とも言えるもので、ハンディキャップ国家論と共にその後の外務省の外交方針に影響を与えてきた。
昭和60年11月8日衆議院外務委員会
土井たか子議員の質問に答えて小和田恆政府委員が以下のように答弁している。
「一般論として申し上げますと、極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、先ほども申し上げましたように、国と国との関係におきましては、日本国政府といたしましては極東軍事“裁判”(記事の中では傍点)を受諾しているわけでございます。その裁判の過程におきまして、先ほども申し上げましたような『平和に対する罪』ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして(中略)極東軍事裁判を受けとめるということでいいのではないかと思います」
これに対して、渡部氏はこのように書いている。
恐るべき不勉強、恐るべき無知、恐るべき反日の言葉である。恐るべき不勉強という意味は、日本が国際法や条約などを破ったという認識である。(略)
恐るべき無知ということは、「裁判」と「判決」の超重大な区別も知らないことである。
恐るべき反日というのは、そこに「日本のために弁明しよう」という気が全く欠けていることである。
渡部氏は、このような外務省の正式見解がその後の内閣を縛り、外交官を縛り、教育者を縛り、極端な媚中外交に根拠を与えたことに怒っているのである。
誤った歴史認識が日本の官僚の手によって作られてきたことの罪の重さに私は愕然とする。
「村山談話」も「河野談話」も、その流れの中で何の疑問も抱かれずに閣議決定され、今も日本政府と日本国民すべてを縛っている。
「日本のために弁明しよう」という気のない父親に育てられ、「外国に行くことができないことに慣れることに努力が要った」と語るお嬢様が、日本の伝統文化を引き継ぐ最深部に嫁ぐとは、適応障害を起こさないほうが不思議ではないか。
「マイドーターイズプリンセス」と自慢げに語る父は、たぶん西欧の王室と勘違いしていたのではないだろうか。だから、そのお嬢様は、日本人にとって皇室とはどんな存在なのかを知らず「浩宮ってお偉いの?」と無邪気に祖母に聞いてしまうのだ。
きっとプリンセスは、祭祀を拒否したまま、一生を日本一のセレブのつもりでお過ごしになるのだろう。
◆◇人気blogランキングへ(ニュース社会・経済)◇◆
日本が自虐史観の呪縛から早く解放されますように。
◆◆もじもじスケッチ◆◆
(政治ジャンル)メインのブログです。
| 固定リンク
