<加藤紘一>
5/24サンデープロジェクトの番組内容紹介
「小泉・竹中構造改革」は、失敗だったのか?
自民党の加藤紘一元幹事長が、「劇場政治の誤算」という
本を書き、かつての盟友小泉元総理大臣と竹中元大臣の
構造改革を批判している
小泉・竹中構造改革を「新自由主義に基づいた規制緩和は非人道的な許しがたい失政」と断じて、
「倫理観や良心を新自由主義はバッサリ捨てた」とする
また、経済政策は「極端な外需依存」になったため、
日本経済がこんなに傷ついたと指摘し、
「改革」の名の下に企業は空前の利益を上げながら、
「景気好調の波が個人にはなく、痛みばかり増し続けた」と
糾弾している
いったい「小泉・竹中」構造改革は、失政だったのか?
永田町で「屈指の論客」とされている、
加藤元幹事長と竹中元大臣が、田原総一朗の司会で
ガチンコ討論する!
まいったね。
こんなアンチ改革派の「為にする批判」に反論しなくてはならない竹中さんに心から同情する。
「構造改革」がこんなに誤解されるなら、渡辺喜美氏や野口悠紀雄氏のように「1940年体制からの脱却」と言い換えたらどうだろうか。一般庶民に新たな視点を提供する必要がある。
◇
・倫理観や良心を新自由主義はバッサリ捨てた
倫理観や良心を失わせる“主義”と言えば、人権無視の共産主義が筆頭だろう。小泉改革が共産主義ほどの破壊力を持っているとは恐れ入りました!
小泉-竹中以前のバブルに踊った時代、個人主義が蔓延し、倫理観は頽廃していた。物質的な豊かさを求め続け、札びらが踊った時代を通過して、初めて日本人は「失われたもの」に気づいたのではないか。「心」がキーワードとなって久しい。
不況から脱するため、その時に最も必要な処方箋を書き、なんとか日本経済を踊り場まで持ってきた小泉-竹中をまるで「日本を堕落させた張本人」と決めつけるのはお門違いである。
左翼学生運動家だった加藤氏はいまさら「資本主義vs.社会主義」のカビの生えた議論をしようというのだろうか。
英国が深刻な英国病から立ち直ったのは、サッチャーの「小さな政府」路線であったし、容赦なく古い体質の銀行を潰したが、そのおかげで英国は立ち直った。教育も立て直した。サッチャー以前は、英国でも自虐史観的な教育が行われていたのである。一方、米国においてシリコンバレーからIT革命が起こったのは、誰でも自由にチャンスを生かす規制緩和なくしてはなし得なかった。
市場が世界的に大きくなり、グローバル危機が起こった今、「この時代に最も必要な処方箋は何か」を粛々と議論するべきである。金融工学の発展によりサブプライムローンといったトロイの木馬のような証券が生み出されたわけだが、証券市場へのチェック体制、ルール整備を議論するほうが建設的である。
極端から極端に走って“主義”に走ろうとするのは、アンチ改革派の悪い癖である。
・また、経済政策は「極端な外需依存」になったため、日本経済がこんなに傷ついたと指摘し、
高度成長期に内需を潤した製造業は、ものづくりの現場を低賃金のアジアに移し、雇用と販路の市場を拡大した。国内の物の豊かさが沸点に近付いた今、ソフト面への移行を迫られている。円安誘導政策もあったが、外需拡大は日本のものづくりの底力でもあったのである。
対案と言えば、こういう類の人達は――特に保守を標榜する人は「鎖国」と言い出しかねない。お江戸やら武士道やらを持ち出すのは、金輪際勘弁してほしい。日本が国際社会でリーダーシップを取ろうという時代に不思議なことは言わないで。
少子高齢化に向かう成熟した近代国家で、グローバル市場を否定する人達は、日本を滅ぼしたいのだろうか。外需を呼び込むことを拒否するとは、つまり日本のものづくりを否定することなのである。
外国から日本に集まる投資は、数年前にほんの2.数%、英国では30%。どこが“極端な外需依存”なのか。ただし英国は製造業の比率が低くて金融に活路を見出したので、順調な時はいいが、“金融依存”に偏りすぎている。しかし、外資嫌いの日本はチャンスを自ら潰している。
加藤氏のような「為にする批判」は、反論すればするほど虚しい。
◇
<中谷巌>
反論するのも嫌になるが、勢いで書いてしまおう。情けなくて涙が出そうになった中谷巌氏のインタビューから。
週刊文春(阿川佐和子のこの人に会いたい)
中谷氏のしゃべりを入力するのを指が拒否するので、内容を一行ずつまとめる。
・欧米型階級社会でマーケットメカニズム(市場原理主義)はその産物。
資産を持つ王侯貴族が続いたヨーロッパと、奴隷を下層階級として雇用の調整弁に使ったとするアメリカを一緒くたにして、市場原理主義は欧米由来とするのは無理がある。奴隷は所有物であって雇用調整弁ではなかったし、日本の派遣労働者と黒人(差別)問題を同列に語ることにも無理がある。
市場原理主義なるものを仮に認めるとするならば、それは機会の平等を保証する先進的な法治国家の形なのである。だから、竹中氏は経営の透明性ルールの徹底と責任の所在を明確にした。ただの野放図、弱肉強食、ルールなき市場は無政府状態を指すのであり、日本はソマリアと同程度の国ということになってしまう。
グローバル化とは、法の支配が国境を越えることである。
田中直毅氏の言葉を借りると(フォーサイト⑥)
民主主義と市場経済の実践を積み重ねた長い歴史をもつ国々にとっては契約の自由を背景とした「法の支配」はグローバリズムを支える背骨に当るものだ。
米国市場が統一した実態を備えるようになったきっかけは、(奴隷制度が存在した階級社会ゆえではなく)1887年の州際通商法の成立だと田中氏は言う。
南北戦争に勝利したヤンキーによる手荒な金儲け主義の広がりが見られた十九世紀の後半は、米国の諸力の衝突が見られた時代でもある。東欧からの新移民が持ち込んだアナーキズムも、西欧発の労働組合の結成も、この時代を象徴するものである。
未発達な保護主義からグローバルスタンダードによる世界市場形成へ、課題は山積しているが、発展途上国を巻き込みながら、金融メカニズムを再点検する時なのである。「市場原理主義は日本には合わない」といった意味不明の論理で思考停止に陥っている場合ではない。
中谷氏は、社会主義が特権階級を作ることを何も学んでいないようだ。社会主義では「みんな平等」は幻想であり、格差の固定をもたらす。弊害のほうが大きいのである。いや、「日本型社会主義だ」と言うのだろうが、それは戦時から高度成長期まで有効であったにすぎない。
・日本人には切り捨ての思想は危ない。欧米の階級社会と全然合わない。日本の社会が同じ理論で政策やっちゃいけない。
中谷氏は政官業癒着も官製談合も日本人の善き性質だと言いたいらしい。同質的な日本では以心伝心で伝わるのだから、理論で統制すると弱肉強食になるということか。日本だけに閉じこもっていれば、グローバルなルールは必要ないことになる。
・30年くらい前、日本は1億総中流社会と批判されていた。こんな平等社会じゃ誰も一生懸命働かないと。ところが、今から考えると日本はその頃が一番元気だった。
イケイケドンドンの70年代~80年代?総中流だったの?格差は今よりありました!今後は低成長率時代に入るので、底辺層が余波を受けるので、貧困対策が急務になっている。平等社会でもない。今もその弊害が打破できていない。高度成長期とこれからの時代では、処方箋がまったく違ってくることをなぜ直視しようとしないのだろう。
中谷氏のように少ないパイを再分配する社会主義型社会の選択もあるが、分配するには高い税収が必要ということが決定的に抜け落ちている。「みんな仲良し」「みんな同じ」「みんなが等しく報われる」の平等思想もけっこうだが、能力ある人には新しい分野を切りひらく手助けをし、企業一家の呪縛を解いて、雇用の流動性を高めなければ、落ちこぼれは防げないのである。
少子高齢化社会といってしまえば夢も希望もないが、「成熟した大人の社会」、「ハードからソフトの時代」と私は言いたいと思う。
中谷氏もノスタルジーで経済を語る人だとわかって、心底がっかりしたものである。話を聞けば聞くほど、この人は社民党の顧問にでもなればいいと思う。福島瑞穂とさぞや話が合うことだろう。(対談希望)